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ジブリ新作『風立ちぬ』主人公のモデルとなった2人の実在人物とは?

宮崎駿監督の5年ぶりとなる映画『風立ちぬ』。「堀越二郎」と「堀辰雄」、主人公のモデルとなった2人の生涯をわかりやすくまとめました。

更新日: 2013年07月15日

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RX200さん

あらすじ

ゼロ戦設計者として知られる堀越二郎と、同時代に生きた文学者・堀辰雄の人生をモデルに生み出された主人公の青年技師・二郎が、不景気や貧困、震災などに見舞われ、やがて戦争へと突入していく1920年代という時代をどのように生きたのか、その生きざまや薄幸の少女・菜穂子との出会いなどを描く。

堀越二郎  世界恐慌が生んだ天才設計者

群馬県藤岡市出身。藤岡中学校、第一高等学校、東京帝国大学工学部航空学科をそれぞれ首席で卒業し、三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)に入社。

「当時、三菱は恐慌の影響で業績が悪く、帝大出の優秀な人材を獲得、育成して挽回を図ろうとしたんです。それが堀越を成長させました。」(藤岡歴史館職員・軽部達也氏)

戦前には七試艦上戦闘機、九試単座戦闘機(後の九六式艦上戦闘機)、戦時中は零式艦上戦闘機を含め、雷電、烈風と数は少ないものの、後世に語り伝えられる名機の設計を手掛けた。

「エンジンの種類が決まると、堀越は、まずボディ全体のイメージを描き上げたのです。これは一般的な手順とは違います。なによりも流れるような美しい機体を実現させたかったんですね」

新三菱重工業を退社した後は、教育・研究機関で教鞭を執った。1963年から1965年にかけて、東京大学の宇宙航空研究所にて講師を務めた。

長男の雅郎(ただお)さん(75)は「父は理詰めで典型的な技術屋。ロマンチックな人間とは思えなかったが、あの世でにやりと笑って見ているのではないか」と話す。

風立ちぬは見ますよ!なんせ堀越二郎だ!九六艦戦だ!零戦だ!烈風だ!

(´・ω・`)堀越二郎がアニメの主人公になる時代が来ようとは

堀辰雄  肺結核と闘いながら小説を書き続けた作家

1904年(明治37年)東京に生まれ向島で育った。堀にとって重要 な年は1923年(大正12年)で、数学者を目指していたが、萩原朔太郎の「青猫」 を読んだことがきっかけになり、文学の道へ進むことになる。

高校在学中に室生犀星や芥川龍之介の知遇を得る。一方で、関東大震災の際に母を失うという経験もあり、その後の彼の文学を形作ったのがこの期間であったといえる。

『聖家族』で1930年文壇デビュー。 肺結核を病み、軽井沢に療養することも多く、そこを舞台にした作品を多くのこしたことにもつながっていく。

1934年、矢野綾子と婚約するが、彼女も肺を病んでいたために、翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所にふたりで入院する。しかし、綾子はその冬に死去する。

「風立ちぬ」は、堀の婚約者、矢野綾子がモデルとされる。婚約者が富士見町のサナトリウムで亡くなったあと、堀は軽井沢で作品を書き上げた。

「風立ちぬ、いざ生きめやも "Le vent se lève, il faut tenter de vivre."」(風が起きた、生きてみなければならない)

堀辰雄は『風立ちぬ』の冒頭でポール・ヴァレリー作『海辺の墓地』の一節を引用した。

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