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画像で見るざっくり西洋ファッションの歴史【女性編】

知ってるようで知らない西洋のファッションの歴史を勉強がてらざっくりまとめてみました。

更新日: 2015年01月17日

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shikibu56さん

古代ギリシアの代表的衣装キトン。

日本の着物のように布を体にかけ、帯やピンによって着つける衣装。

画像のようなドーリア式(厚手ウール)と後に広まったイオニア式(麻、シルク)がある。
色は素材そのものの色か白。

ヨーロッパの衣服の特徴は曲線のパーツを組み合わせ身体に沿ったシルエットを作ること。

なので、ヨーロッパのファッションのルーツはギリシャ・ローマではなく北方のゲルマンの衣服となっている。


ヨーロッパではギリシャ・ローマ時代を美の完成形と考えていたので後世、しばしばギリシャ・ローマ風のデザインが流行する。


16世紀頃までのヨーロッパの基本素材はウール、リネン、シルク。
綿は北限が北緯40度くらいなので栽培はされず、大航海時代に入りインド綿がもたらされるまで、ほとんど使われていない。

古代ローマの代表的な衣服トーガ、共和制初期には男女とも着用したが、共和制中期には男性のみのものとなっていく。

色や縁飾りのデザイン、巻き方などによって社会的地位を表していた。

トーガを着用しなくなった女性はギリシア式の衣服を着ていたが色は赤青黄などが用いられるようになっていた。

形は弓型、楕円形、台形などの説がある。

直径が5-6mで中心の長さが2m。
カーブの部分に縁飾りが付けられている。
素材は毛織物だが、中国からシルクが入ってきたこともあり、シルクと麻の混紡のものもあった。

時代が進むにつれ、形式化が進む。

ローマ帝国が東西に分裂したうちの東ローマ帝国(首都コンスタンティノープル現;イスタンブール)をビザンツ帝国という。

衣服は古代ローマの文化を継承しているが、ヨーロッパとオリエントをつなぐ位置にあり、世界各国の物資が取引されたことから豪華絢爛なものとなる。

男性はペルシアや中央アジアから移動してきたフン族やゲルマン人の影響を受けズボンをはくようになる。

画像は最近になって作られた王妃ブリュンヒルデの像なのでイメージです。

フランク王国はゲルマン人の王朝。北方の民族のため衣服はズボンとぴったりとしたジャケットであり、ヨーロッパのファッションのルーツといわれる。

しかし、フランク王国が勢いづいているカール大帝のころの女性の衣服はまだローマ末期と同じ形式だったそう。

11-12世紀頃西ヨーロッパではキリスト教の影響が強くなり、封建制度も確立されていく。
同時に力を持った王や聖職者、諸侯などの衣服の流行への関心も高まっていく。

衣服は十字軍の遠征によりオリエントのモードの影響を受けた長いワンピース形式に。基本は白麻で作られた丈長の下着シェーンズ(chainse)にシルクで作られた丈長の表着ブリオ(bliaud)に半円や長方形のマント。

袖は装飾品的なもので取り外せたり、複数あることも。
14世紀までボタンは知られていないので筒袖は肘から先を脱ぎ着の度に縫い合わせたり解いたりしていた。これが腕を抜いて着られる飾り袖を生んだという説も。

14世紀半ばにイタリアから流行したコタルディ(cotehardie)
この頃イケてる国はイタリアだった。

タイトな身頃は前時代と同じだが、紐締めにより身体に密着させていたものが縫製によるものになってきている。

袖もボタンが知られるようになり着脱も簡単に。

特徴は肘から下がった飾り布ティペット(tippet)とアップリケや刺繍で全面に一族の紋章を配したデザイン。
(画像ではしていませんが)髪型はこめかみ辺りで編みこみをまとめてネットで形を整えていた。

ルネサンスもあり、イケてる国は依然イタリアだが、絶対王政で地位を築いたスペインもイケイケ。

繊細なレースが首の周りを覆う襞襟はスペイン風。

全体に丸みを帯びたシルエットと深い襟ぐりはイタリア式。

この辺りのデザインの特徴は肩から垂れ下がった装飾的な垂れ袖。

上半身をピッタリと身体に沿わせ、ウエストを強調し、スカートを大きくふくらませるスタイルはコルセットとペチコートの登場により顕著になる。

亜麻や紗で作られ、連続した壁のある襞襟はフランドル風。

上半身と下半身を二分したかたちのローブはスペイン様式。

ペチコートははじめは厚い布製だったが、次第に針金や籐、鯨の骨などで作られるようになった。

繊細なレースや金銀宝石の刺繍が権威の象徴。

こうした絢爛豪華な衣服はしばしば批判の対象となった。

これは1670年にイギリスの女性を描いたもの。

この頃はスペイン風は廃れ、袖の詰め物もとれ襟元は開放され衣服は軽快になっていく。

だんだんに膨らんだビゴラスリーブやスカートを重ねてぽリュームをだし、中のスカートを見せるような着方が出てくる。

胴を細く見せるためのコルセットがどんどん発展していく。

1740年代、ルイ15世時代ののドレス

18世紀の特徴は針金やくじらのひげでつくられたペチコートで広げられた巨大なスカート。

絶対王政の末期で貴族文化が栄えていたのでとにかく優美。フランス宮廷の正装であるローブ・ア・ラ・フランセーズ着用の際のパニエは「肘付き」とも称された。

V時に胸元の開いたガウン式のローブの下には三角形の胸当てをつける。
背には畳まれたプリーツがありゆったりと広がっている。
襟や袖口はレースやリボンなど多彩な装飾に彩られている。

1770年代のドレス

ローブ・ア・ラ・フランセーズの背面プリーツが分かる画像。

この頃になるとパニエの巨大化は止まり、ヘアスタイルに興味は移っていく。

Jean-Baptiste Gautier Dagotyにより1775年に描かれたマリー・アントワネットの肖像画。

当時のヨーロッパのファッションリーダー。
ローブ・ア・ラ・フランセーズは宮廷服として着用され、日常着により簡単な様々なローブが出てくる。
裾の上げ下げができるローブ・ア・ラ・ポロネーズやパニエ無しで着るローブ・ア・ラングレーズなど。

頭髪は巨大化し、1度髪型を作ると貴族の女性でも1週間、中産階級では1ヶ月もそのままだったとか。

フランス革命が起き、絶対王政が終わり、ロココはチャラチャラしすぎたから硬派に行こう、ギリシア・ローマ時代のように自然がいいんじゃない?となる。

そこでハイウエストでコルセットを用いないエンパイアドレスのスタイルが生まれる。素材は薄手の木綿のモスリン地が人気。

革命後の混沌とした空気は様々な奇抜な服装を生み出し、過激なものでは、透けて見えるようなシュミーズドレスにぴったりとした肌色の肌着というものもあった。

薄手のシュミーズドレスはギリシャはともかくヨーロッパでは寒すぎたため、カシミール産のショールが大流行する。ペイズリー柄とかのアレ。

理性や合理性を重視した新古典主義の反動として、感受性や主観を重視したロマン主義が流行する。

ロマン主義の作家たちはルネサンス栄光の時代である16世紀を舞台とした作品を発表し、その舞台となった時代の服装が流行した。(芝居の舞台衣装などがリアルだった)

当時は芝居が娯楽の代表格だったのでリアルな衣装や舞台装置の影響が大きかった。

袖はルネサンス期に流行したジゴ袖(羊脚)に宮廷服の基本の細い胴に広がったスカート。

ロマン主義から時代が進むと、肩幅がすぼまり袖のふくらみが下がってくるなどの変化があった。

スカートの広がりはどんどん大きくなり、ペチコートの枚数も増え重さに悩まされるようになったが、鋼鉄製の輪を重ねたかたちのクリノリンの登場により解消される。

クリノリンは拡大を続け、1860年にすそ周り9mのものも現れ、風刺の対象になった。

この頃、裕福な女性は時間と場所に応じて服を使い分けるようになってきた。午前中の部屋着や昼食用、午後、外出用、夜会服など日に5,6回も着替えたらしい。

ミシンや合成染料、既製服も出回りはじめた。

画像は1883年のドレス

丸く大きいクリノリンは1870年代には後腰をふくらませたバッスルスタイルへと変わっていく。
襟は正装以外はスタンドカラーが多く、袖は初期は細かったが、しだいに大きなジゴ袖になっていく。
バッスルスタイルは1890年ころまで流行し、鹿鳴館のドレスもこのスタイル。

衣服産業も他の産業と同じく機械化や改良が進み、比較的低価格で既製服を購入できる百貨店などの流通形態が生まれた。

その流れを受け、衣服は簡素な既製服と高級志向の注文服オートクチュールに分かれていく。

画像は1890年のドレス

芸術運動として曲線や植物模様が特色のアール・ヌーヴォーが起こり、ファッションもその影響を受ける。

画像のようなパフスリーブのついた砂時計型のシルエットから次第にS字カーブラインのドレスへと流行は移っていく。

1903年のドレス

ドレスのラインはS字に近づき、細いウエストを形作るためのコルセットが下着メーカーにより作られた。

この時代、上流階級の社交のため、乗馬やテニス、水泳やサイクリングなどのスポーツ服が誕生する。

1913年のドレス

アール・ヌーヴォーを装飾過剰とした装飾芸術家の運動から機能的で直線を重視した幾何学的なアール・デコスタイルへ移行していく。

装飾は簡素で機能的、ここでコルセットを必要としないスタイルとなった。

1921 Gloria Swanson

18世紀からの中国趣味、19世紀後半のパリ万国博覧会以降、日本趣味の流行や北アフリカの植民地化などの影響で東洋的なデザインが取り入れられていた。

直線的なモダンスタイルのなかにはは日本の着物の影響を見て取れるものもある。

第一次世界大戦を経験し、女性服にも合理性が求められ、スカートの裾はとうとう地面を離れる。

1925年ごろにはスカート丈が膝頭まで上がった。スカート丈が短くなるにつれ長く美しい脚が注目されるようになる。

ローウエストで直線的なシルエットが好まれ、髪を短くカットしたギャルソンヌルックが流行。

下着は胸を平らにするブラジャーを着け、ウエストのくびれを消した。身に付ける下着はキャミソール、ブラジャー、ガードルくらいになり以前に比べるとずっと簡素化した。

ギャルソンヌは職業婦人をも意味し、機能的、活動的な新しい女性が生まれた。

画像は異国趣味の出た柄のドレス。

1929年のスーツ

実用性と機能性を持つジャージーやツイードを素材に使った働く女性のためのシンプルなスタイルを提案した。

1937年のドレス

1930年代は再びロング丈のドレスが流行する。
バイアスカットで身体に沿うような女性らしいラインが好まれた。

ラインを身体に沿わせるためコルセットも着用されたが、改良され軽く美しいものとなっている。

1940年の写真

戦時中は女性も労働力とされていたため、活動しやすい機能的な服が求められた。その上、物資の複素から使える布地の量も制限されていたため、襟が小さくポケットの装飾も少ないデザインのスーツが着用された。

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