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【7月12日】忘れてはいけない。北海道南西沖地震を振り返る

日本には忘れてはいけない過去がたくさんある。忘れてしまった人、知らない人、「7月12日」を振り返りませんか。

更新日: 2013年07月16日

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INFO-RAVENさん

北海道南西沖地震とは

北海道南西沖地震は、1993年(平成5年)7月12日午後10時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した。

震源の深さは34km、マグニチュード7.8、推定震度6の日本海側の観測史上最大の地震となった。

当時の奥尻島に震度計が設置されていなかったことなどから、正式な震度については発表されていない。

被害

死者202人、行方不明者28人。

当時の奥尻島の人口は約4,700人ほど。

特に奥尻地区の観音山大崩壊は麓にあったホテルやレストラン、灯油備蓄タンクなどを飲み込み、大惨事を招いた。

道南奥尻町では地震発生の2~3分後に第1波が到達、4m~29mの大津波が襲い、島全体に壊滅的な被害をもたらした。

津波到達までは時間があると判断し、車で避難しようとして渋滞中に、また車で避難中に避難路の選択を誤ったり、あるいは避難前に用を済ませようとするうちに津波に飲まれた人も少なくなかった。

青苗地区では船舶火災と建物火災が発生し、翌朝まで広範囲にわたり延焼し続け、津波と火災により青苗地区は一夜にして壊滅状態となった。

鎮火に至ったのは、最初の出火から約11時間後で、延焼面積は約5ha、焼失は192棟に及んだ。

デマや誤情報に怯える日々

「18日夜に“また津波だ”っていわれて高台で夜明かししたけど、デマだったんだ」

「25日朝“津波警報だ”ってんで高台に逃げたけど一時間ぐらいして無線が津波は来ないって放送したから安心した。震度4の余震が2回もきたのに何の情報もなかったから、心配したモンがいて、デマになっちゃったらしいね。大きい地震でも小さい地震でも正碓な情報を早めに流してほしいね」

その後、復興が進められ…

津波により、完全流失した青苗地区は、徳洋記念緑地公園として生まれ変わった。

奥尻島は震災発生から5年後の平成10年3月に「完全復興宣言」をした。

今に活かされている教訓

NHKでは気象庁から出た予報文をそのまま発表していたが、これに「場所によっては予想より高い津波が襲う」、「津波は第1波よりも第2波以降が高くなることもある」、「津波は何回も襲う」などといった文言が追加された。

奥尻町では、防災訓練を組み込んだ中高生向けの修学旅行の誘致や、当時被災した町職員で構成する「語りべ隊」を作り、島の内外への防災教育に力を注いでいる。

課題はまだ残る

東日本大震災の教訓を受け、国は海で起きる地震の長期予測の見直しを急いでいる。しかし、具体化したのは南海トラフなどの太平洋側だけで、日本海側は手付かずの状態だ。日本海の地震は太平洋と比べ発生頻度が低いためデータが少なく、予測が難しい。

国と北海道、奥尻町が防災にかけた費用は計約764億円。宮城県亘理町の斎藤邦男町長は「日本国中が奥尻島に目を向け、(予算を)集中したからこそできた。今、同じものを作るのは無理」と分析する。

忘れない

1993年7月の北海道南西沖地震から20年を迎えた2013年7月12日、最大の被災地、檜山管内奥尻町で「北海道南西沖地震災害奥尻島20周年追悼式」が行われ、遺族ら関係者約400人が犠牲者の冥福を祈った。

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