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マチュピチュ、地上絵だけじゃない!凄すぎるインカ文明の遺跡まとめ

南米のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまでの南北に渡る広い範囲に広がっていたというインカ帝国、また、インカ文明以前に高度な発達を遂げた諸文化、プレ・インカ文明。その数々の遺跡をまとめました!きっと、まだまだあるはず、、、適宜、追記・訂正していきます。

更新日: 2018年10月10日

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oneDogさん

▼マチュピチュ

やはりここが文句なしで一番だとは思うので、最初に。さらっと。
幻の空中都市として名高い『マチュピチュ』、ユネスコ世界遺産では、自然遺産と文化遺産のそれぞれの登録基準項目を満たす複合遺産。
圧倒的な自然と、驚異的な建造物群が一つになった、世界でも類を見ない光景です。

アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った高い山の尾根(標高2,430m)に所在する、15世紀のインカ帝国の遺跡である。

▼ナスカ(地上絵)

こちらも有名な世界遺産。なので、こちらもさらっと。
プレインカ(インカ帝国以前)の一つ、ナスカ文明の遺跡とされています。

ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表面に「描かれた」幾何学図形、動植物の絵。

あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が難しい。

このような巨大な地上絵を何故描いたのかというのが大きな謎の一つとなっている。

▼クスコ市街、周辺

▽クスコ市街地

インカ帝国の首都であったクスコ。市街地が世界遺産になっています。
スペインからの侵略による破壊を受けていますが、残った部分は現在も建物の一部に活用され、高度な石材加工技術を見ることが出来ます。

侵略者であるスペイン人が建てた住宅地や商業施設に、所々インカ文明の遺産が垣間見える、不思議な雰囲気です。

石は積んでいるだけではなく、ちゃんと噛み合わせの部分を造ってくっつけてるのです。

たまに大きな石どうしに小さな隙間が出来るのでしょうが、そのほんのわずかな隙間にも適した大きさの石を積めているのです。その指よりも細い隙間にぴったりと石を合わせてるのが驚き!

よく見ると、石材と石材の組み合わせ部分が平らでなく、丁寧に面取りされているのがわかりますか?

フラットな加工をするところは、そのようにしているので、意図的なデザインとして面取りが施されているようです。

12角の石のほうが大きく、見栄えするのでこちらはあまりメジャーではないようですが、一応、、、

コリカンチャ=太陽の神殿。サント・ドミンゴ教会。

かなり重要な神殿であったらしく、ひときわ精緻な石組みが行われています。さらに、黄金の財宝で満たされていたそうですが侵略者達が持ち去り、神殿は破壊されて、教会の土台にされています。

チリ、ペルーは大きな震災が度重なり、サント・ドミンゴ教会は幾度も壊れました。
しかし、インカの複雑な石組みは耐震も考慮されているのか、震度M8の地震を数回に渡って受けても、土台の部分は僅かに隙間ができている程度。驚くほど頑丈なものです。

複雑かつ精密に、石材を組み合わせて作られた神殿は、わずかに残る一部分の構造だけ見ても圧巻!これは、コリカンチャの通路の曲がり角にある石材の一つですが、一つの大きな石に何箇所も直角を設けています。

「12角の石」のように、一枚の写真にはどうしても収まらないので動画で。

神殿の中、最も小さい石材の部品だそうです。

※これと同程度の小さい石も見つかりますが、キリスト教の宣教師が額縁を掛けるためにあけた穴に、小石をはめ込んだ程度の物で、インカの職人により加工されたような精度はありません。

これらの驚異的な施工技術は、マチュピチュ遺跡をはじめとする、他の遺跡についても基本的に同様に見られる特徴です。
職人達が心血を注いできた石材加工技術に大きな感銘を受けると共に、残酷な侵略行為によって高度な文明が失われたことに、切ない思いがこみ上げてきます。

▽サクサイワマン

クスコの中央広場から車で10分ほど走った場所に、市街地とともに世界遺産となっているサクサイワマン遺跡がある。

石壁が300メートル以上にわたって続くサクサイワマン。

組み上げられた石で最小のものは約40キロ、最大のものはなんと100トンを超える。ここでもやはり、どの石組みも隙間なく精巧に組み上げられている。

▽ピキヤクタ

巨大な都市全体が泥壁の城壁で囲まれており、さらに内部には泥壁に挟まれた通路が延々とつながっています。

遺跡はプレインカのものでクスコとは異なる様相ですが、インカ時代も継続して使われていた、と言われており、コンキスタドールが侵略した際に破壊を受けたとの事。

インカ帝国は、制圧した地域を破壊したり、自分たちの様式に積極的に作り変えることはしなかった、とも聞いてます。

↓引用元のサイトでは、ピキヤクタ遺跡のそばで通りすがった異なる遺跡も紹介されています。

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