太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)8月。ソ連は日ソ中立条約を破棄し、満州国に侵攻した。圧倒的な戦力を前に、関東軍の大半の部隊が激しい戦闘をすることもなく8月15日の終戦を迎えた。武装解除された日本軍将兵や民間人はソ連によって捕らえられ、57万を超える人々が各地の収容所に送られた。

当時ソ連は、ドイツとの戦争で国土が疲弊。深刻な労働力不足に直面していた。スターリンは、抑留者の強制労働によって豊富な資源が眠るシベリアの開発を推し進め、国力回復の足がかりにしようとしたのだ。冬には氷点下30度を下回るシベリアで、抑留者たちは森林伐採や炭坑作業など過酷な労働を強いられ、少なくとも5万5千人が命を落とした。

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シベリア抑留 日本人が知るべき歴史

ソ連からモスクワ時間1945年8月8日に宣戦布告され軍人だけでなく民間人も強制的に徴収シベリアだけでなくモンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方、バルト三国まで移送されて、強制労働を科された。

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