ソ連は、抑留者向けに「日本新聞」を発行し、社会主義の理念と輝かしい未来を宣伝するなど、抑留者に対し徹底した思想教育を行った。こうした思想教育を通じてスターリンの社会主義の支持者となることを、ソ連は「民主化」という言葉で呼んだ。そして日本人自らの手で民主化を推進させるため、ソ連全土の収容所から若者を選抜し民主運動のリーダー「アクチブ」を養成する一方で、民主化に反発する者や将校を「反動分子」とし、「特別規制収容所」いわゆる懲罰大隊に隔離した。

さらにソ連は、米ソの対立が深まる中、「民主化した者から帰国させる」という方針を打ち出した。社会主義を支持する者を優先的に帰国させることで、戦後日本への影響力を強めようとしたのだ。抑留者たちは、帰国を果たすためにスターリンへの忠誠を競い合い、仲間をおとしめるための密告や裏切りも横行。仲間の一人を反動分子と決めつけ大勢で責め立てるつるし上げが繰り返された。

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シベリア抑留 日本人が知るべき歴史

ソ連からモスクワ時間1945年8月8日に宣戦布告され軍人だけでなく民間人も強制的に徴収シベリアだけでなくモンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方、バルト三国まで移送されて、強制労働を科された。

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