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バレンティン、ブランコは55本の壁を超えられるのか?【カンスト・O氏超え】

バレンティン、ブランコが驚異的なペースでホームランを量産しています。囁かれる【カンスト】55本の壁を超えることができるのか?過去の事例を含め検証してみます。

更新日: 2017年06月12日

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この記事は私がまとめました

バレンティン、79試合目で32号に到達!

ヤクルトのウラディミール・バレンティン外野手(29)が3試合連発の32号ソロを放ち、過去2年のシーズン自己記録を更新した。

144試合換算で58本ペース! だが、実質は63本ペース

バレンティンは、今季故障等で31号到達時点では66試合しか出場していないので、残り試合をフル出場すると同様に65試合残っているので63本ペースということもできる。

早くもネットで囁かれる「O氏による55本カンスト」疑惑

O氏(によるカンスト)とは?
シーズンHR数が55本を超えようとする選手が現れると、様々な圧力をかけたり辛辣なコメントを浴びせることで妨害を行う謎の人物。彼によって日本球界におけるHR上限値は55本と厳格に定められている。
彼の絶大な威光により日本ではシーズンHRは55本を超えたことはないが、万が一超えてしまった場合は「数字がカンストする」「リセットされて1本に戻る」などの「対応」がされるのではないかと噂されている。

O氏とNPBのシーズン最多本塁打記録保持者の一人である王貞治・現福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長との関係は不明。

バレンティン自身も「55本の壁」を認識していた!

6月MVPのバレンティン「今のペースだとホームラン60本?数字というより、好調を続け自分のスイングをしたい。60本という前に55本という壁がある。そこに到達した時に、越えて行けるのか。常にチャレンジして、できるんだという気持ちを持ちつづけたい」 #swallows #npb

過去にあった「55本の壁」「カンスト疑惑」

■ランディバース 1985年54本

54本目を打った段階で残り試合数が2試合になった。いずれも巨人戦で、その監督は王貞治。

最初の試合(10月22日、甲子園)で先発した江川卓は3打席ストライクで勝負し1安打に抑えるも、他の投手は事実上の敬遠攻めであった。

最終戦(24日、後楽園)の第1、2、4、5打席はストレートの四球、第3打席は先発の斎藤雅樹がバットが届くところに投じた初球の外角高めの球に飛びつくようにセンター前に単打して、結局1打数1安打4四球で記録は達成できず、翌日の『報知新聞』には、「バース記録達成失敗」という見出しと、「自分はバースに敬遠を指示しなかった」という王のコメントが掲載された。

当時巨人に在籍した外国人投手キース・カムストックは、後に自らの著書でこのことを振り返り、「バースにストライクを投げると、1球につき罰金1000ドルが課せられていた」と記している。指示を出したのは投手コーチだった。

巨人バッテリーとしては、目の前でボスの記録にバースに追いつかれるのは、やはり気分がよくない。

巨人バッテリーが渋々取ったのが敬遠策だった。1打席目から2打席続けてストライクなしの、連続ストレートの四球。先発斎藤雅樹投手のボールは、すべて外角に大きく外れた。

 「打たれないように外角の厳しいとみろを突いたら、たまたま四球になっただけ。王監督からの指令?それはなかった」

と斎藤。かなり白々しくも聞こえたが、
球を受けた笹本信二捕手も指示はなかったとしたが、最後にポロっと本音が出た。

「監督が築いて、守ってきた記録だからね」。半ば暗黙の了解だった。

翌年の連続ホームラン記録の時も勝負した江川卓

この話にはまだ続きがある。
 翌1986年、6月18日のヤクルト戦で本塁打を放ったバースは、そこから6試合連続本塁打を放ち、またしても王貞治が1972年に打ち立てた7試合連続本塁打の日本記録を脅かし始めたのだ。

 そして、バースが7試合連続本塁打をかけた試合は、あろうことか王貞治監督率いる巨人戦。この巡り合わせの悪さは、運命としか言いようがなかった。巨人の先発は、江川卓。バースが55号に挑戦したときもただ1人勝負を挑んだ投手である。そんなプロフェッショナルとしての誇りを持つ江川は、果敢にもバースに勝負を挑んだ。

 おそらく他の投手なら無理に勝負をすることは避けただろう。だが、江川は、真っ向から勝負を挑んだ。

 バースもそれに応えた。江川の投げ込んだ直球をバースはものの見事に後楽園のライト場外に運ぶ7試合連続本塁打を放ったのである。

江川は、当時のプロ野球界で、本当に野球を愛するファンの夢を叶えてくれた唯一の投手だったのかもしれない。

 ただ江川1人の力でそれまで培われてきた日本の野球そのものが変わることはなかったのである。

■タフィ-ローズ 2001年 55本

ローズが55号本塁打を記録したのは135試合目、2001年9月24日大阪ドームでの西武ライオンズ戦松坂大輔投手からで、残り5試合。

138試合目の9月30日、福岡ドームでの福岡ダイエーホークス戦でローズは1番打者に起用されシーズン最多本塁打記録の更新に挑んだが、完投勝利を収めた田之上慶三郎がローズに投じた18球のうちストライクはわずか2球(球審:前田亨)、この試合2打数0安打2四球で達成出来なかった。

この日ホークスのバッテリーコーチだった若菜嘉晴は試合前の監督不在の作戦会議でも、報道陣に対しても、「王・長嶋は野球の象徴。いずれ彼(ローズ)はアメリカに帰るんだから、オレたちが配慮して、監督(王貞治)の記録を守らないといけない。うちが打たれるわけにはいかない」と発言し、投手陣全員にローズに対して敬遠を指示していたことが判明。

王は試合前の練習時に直接、ローズに対して本塁打新記録達成を望む声を掛けていた。それにも関わらず、試合では敬遠を止めなかったため、若菜だけではなく現場の最高責任者である王にも責任があるという声もあった。

ローズは試合前に王から記録達成を望む声をかけられたにも関わらず敬遠を受けたため、試合後に「日本プロ野球に失望した」というコメントを残した

徳光和夫が生放送中に「肌の色が違って、血液型もよくわからないような奴に王さんの記録を抜いてほしくない(THE・サンデーより)と発言し、翌週の放送で釈明した。

バッテリー 田之上、城島のコメント

チームで野球をやっている以上、個人の気持ちはどうであれ、決めたことには従わなければならない。城島健司捕手はローズが打席に入るたびに「ゴメンな、ゴメンな…」と謝った。投げる田之上も「ローズもつらいだろうが、投げる方はもっとつらい」とやりきれない心情を吐露。

残り試合のローズは。。。

残りはオリックス戦2試合。ブルーウェーブ投手陣は逃げずに勝負をしてくれたが、力んだローズのバットから快音は聞かれなかった。ダイエー戦でのボール攻めで、精神的にダメージを受けたことがプレッシャーになり、バッティングフォームは崩れていた。

138試合目 対ダイエー戦【1番左翼】
2打数0安打0打点2四死球

139試合目 対オリックス戦【1番左翼】
4打数1安打0打点0四死球

140試合目 対オリックス戦【3番左翼】
4打数0安打0打点0四死球

そういう意味では、残り2試合あり、勝負してくれたのだから、バースの時よりはマシな状況だったようにも思える。むしろ、ダイエーの対応やコメントが良くなかったのではないか?

■アレックスカブレラ 55本 2002年

基本は勝負されていた模様

10月02日 対近鉄         2打数1安打 2四死球 1本塁打 (ここで55本塁打達成)

10月05日 対ダイエー    2打数1安打 3四死球

10月06日 対日本ハム     3打数1安打 1四死球
10月09日 対オリックス.    4打数1安打 1四死球
10月10日 対オリックス.    5打数1安打 0四死球
10月14日 対ロッテ..     4打数1安打 0四死球

ダイエーはやはり3四死球ではあるが。。。。勝負されていたと思われる。

西武・カブレラも残念ながら本塁打タイ記録の55本で終了。ローズの時とは違って、相手チームもかなり勝負に出ていたようだけれど、最後はカブレラ自身が意識し過ぎて、完全に自分を見失っていたようだ。

「偉業達成を追い続けたカブレラが受けたダメージは、やはり深刻だった。正確無比だった照準と配球を読み取るコンピューターが、ボール攻めで壊れてしまったのだ」
「『本塁打を打つには全部のボールに手を出さないとダメだ』とボール球に手を出して『読み』のよさがなくなってしまった」(10月16日付『サンケイスポーツ』)

西武対オリックスの試合をスカパーで見た。
カブレラの56号日本新記録がかかっている試合だった。
場所は神戸
消化試合なのにレフトスタンドは満員。
内野席とかはガラガラだったのでみんなカブレラに注目している試合だった。

みんなグローブを持っていて、なかには網を持っている人もいた。
実況では、カブレラが打席にたつと
選手より観客の方が真剣に守っている(笑)と言っていました。

さて、試合はオリックスの投手は敬遠などせず勝負をしてくれた。
一打席大きな当たりがあったが、残念ながらスタンドまであと一歩。
この日はこれが一番いい当たりだった。

シーズン終盤よりシーズン中盤から攻め方が変わった方が問題?

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