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【7月21日】憶えていますか。明石花火大会歩道橋事故を振り返る

今までたくさんの悲劇が起こってきました。忘れてしまった人、知らない人、「7月21日」を振り返りませんか。

更新日: 2014年07月22日

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INFO-RAVENさん

明石花火大会歩道橋事故とは

明石花火大会歩道橋事故は2001年7月21日に明石市大蔵海岸にて行われた第32回明石市民夏まつり花火大会で歩道橋において発生した群集事故。

20時45分頃から50分過ぎにかけて、数回の事故が発生したと推定。21時02分に歩道橋北側にいた救急隊から明石市消防本部へ「集団災害対応要請」が無線送信され、本部は第一次集団災害を発令

被害規模では、1956(昭和31)年の新潟の弥彦神社事故から数えて、戦後4番目の群集事故となった

警備側の問題

明石市と兵庫県警察本部、警備会社との間で事前の警備計画の協議が不十分

コンサートなどのイベント用に設計されたものを流用した2000年12月31日に行われたカウントダウン花火大会の警備計画書がほとんど丸写しにされていた

警察が暴走族対策を重視し警備要員を292名配備していた一方、雑踏対策には36名しか配備されず、雑踏対策が軽視されてしまった

兵庫県警明石署捜査本部の事情聴取に、警備責任者を務めた警備会社の社長は「警備体制の手薄さを指摘されるのが怖かった」と供述、調べによると、支社長が虚偽の事案報告書を作成

事故後の対応にも問題が。

被害者側を非難する声も・・・

連れて行った者の責任はないのか、親はどう考えているのか、という質問や意見があった

「被害者は危険性を無視したがゆえに事故に遭ったのだ」という自己責任を問う意見が歩道橋事故遺族原告団に少なからず寄せられた。

自分が連れて行った責任を感じていない遺族は一人もいない

花火大会は、そんなに危険な場所と思われているだろうか。子どもやお年寄りも含めて楽しめる、夏の楽しい風物詩であるはずだ

怪我をした人は歩道橋の北側の入り口に来たとき、入り口はまだまだすいていたというのが事実で、たいへんな混雑に子どもを連れて突っ込んで行ったというのはまったくの誤解

『群集雪崩』の恐怖

発生メカニズムからいうと「将棋倒し」ではなく「群集雪崩」というべきものである

将棋倒しは後ろの人が前の人をつき倒す形で、後ろから前へ線状に転倒が拡大していくが、群集雪崩は前の人の転倒に後ろや左右の人が引き込まれる形で、前から後方に塊状に拡大していく。

事故現場における群衆の圧力は幅1m当たり400kg程度またはそれ以上と推定

事故発生につながる過密状態が生まれた3つの要因
1. 歩道橋の幅員6mに対して階段の幅員は3mしかなかった
2. 歩道橋や階段の上で群衆が立ち止まって花火見物を見始めた
3. 階段の下に夜店が並び、群衆が階段から降りるのを妨げた

群集事故は世界中で起こっている

1989年のヒルズボロの悲劇では、イギリスのシェフィールドにあるヒルズボロ・スタジアムで、立見席に観客が詰め込まれ、圧死者96人、負傷200人以上のイングランドサッカー史上最悪の事故となった

2010年7月24日に開催されたドイツのデュイスブルクの旧貨物駅用地でラブパレードでは、入場口とされていたトンネル出口にある斜面に人があふれて倒れる人も生じ、圧迫によって21人が死亡、500人以上の負傷者を出すという惨劇が発生

事故のその後

この事故を受けて明石市民夏まつりは翌2002年から一旦中止、2004年から明石公園に場所を移して再開されたものの花火大会は開催されなくなった

この事故をきっかけに2005年11月、警備業法と国家公安委員会規則が改正され、従来の常駐警備、交通誘導警備等警備業務検定に雑踏警備が新設された

事故をめぐって明石署の当時の副署長が業務上過失致死傷の罪で強制起訴され、2014年4月に大阪高裁で実質無罪の免訴が言い渡されたが、遺族側が上告している

「群集事故」は災害のように突如として襲ってきます。
私たちは人が集まれば「群集事故」が常に起こりえるということを記憶しておく必要があるでしょう。

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