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この記事は私がまとめました

oshiegoさん

すずスタ! コラボトークでの宮台真司(社会学者)とすずかんの対談を勝手に要約したものです。

「すずスタ! コラボトーク」とは
ネット選挙活動解禁にともない、新宿の「すずスタ」で、すずきかん(通称、すずかん)と各方面の一線で活躍する方々が、政治について議論し、それを生中継をするという試みです。熱い議論にご注目ください!

他の対談一覧はこちら

大前研一×すずきかん 対談要約
http://matome.naver.jp/odai/2137316242972283801

藤原和博×すずきかん 対談要約
http://matome.naver.jp/odai/2137368700401220101

駒崎弘樹×すずきかん 対談要約
http://matome.naver.jp/odai/2137367621097356201

「宮台真司×すずかん」コラボトーク
こちらから全内容が見られます

ネトウヨに関する投票・アンケートから

鈴木:はい。みなさんこんにちは。コラボトークの時間です。今日も飛び切り素敵なゲストにお越しを頂きました。社会学者の宮台真司さんです。
宮台:はい。今晩は。
鈴木:昨日(6月16日)、新大久保で在特会としばき隊の「もみ合い」で、初の逮捕者が出たということも受け、ネトウヨについて、宮台さんにきちっと教えて頂こうと思っているのですが、まずちょっとアンケートを聞いてみたいと思います。

今日ご覧の皆さんのうち、自分が「ネトウヨ」であるという意識をお持ちの方が何人ぐらい、何割ぐらいいらっしゃるのかという辺りから伺ってみたいと思います。

はい。15.2%の方が自分はネトウヨであるという自意識をお持ちのようです。ありがとうございました。ちゃんと反応して頂いて非常にフレンドリーで暖かい。感謝したいと思います。では、ネタの第2問。

「自由民主党はネトウヨの同志であると思うか?」

あのこれは15%の方のみお答え頂ければと思います。あ、まあでもいいか。はい。同志であるか否か。お願いいたします。もう今日はさすが宮台さん359人、がーっと増えてきますからね。42%がイエス、ノーが58%という結果が出ました。

それでは次、ネトウヨの皆さんにお伺いしますが、次のうち誰を支持しますか?
「安倍晋三」、「石波茂」、「麻生太郎」、「その他」と。

はい、安倍晋三36.9%、石波茂12.3%、麻生太郎16.1、その他が多いですね。皆さんご協力ありがとうございました。それでは早速、宮台さんに伺っていきたいと思いますが、このネトウヨという言葉は大分馴染みが出てきましたが、この言葉は、使う人によって定義がバラバラですよね。

ネトウヨはナショナリズムや右翼とは無関係

宮台:ネトウヨについては、歴史的な流れが大事ですよね。1997年に「新しい歴史教科書をつくる会」が出来まして、特に小林よしのりさんが、自分自身もメンバーになって、「ゴーマニズム宣言」と合わせて活動されるようになってから非常に大きくなっていったところ、いわゆる「嫌韓中」という風にいわれるような流れにも繋がっていくのですね。

そういう意味では、当初からネットとは切っても切れない流れがあります。これは、実際に多くの社会学者あるいは若者ウォッチャーの人達も言っており、その1つの記述に、特に北田暁大君が言っていた「繋がりの社会性」があります。ワーキングプア・非正規雇用者を支援する運動、プレカリアート運動のようなものの流れの中で特に言われました。元々ネトウヨだった人がプレカリアートに参加したり、戻ったりというような現象が珍しくなかったということから、北田君的に言えば、ある種のお祭りネタというか繋がりネタとして、たまたまネトウヨが選ばれたり、プレカリアートが選ばれたりするということではないかという議論がありました。

これはネット現象ですから、いわゆる炎上現象がつきものなのですが、例えば「電凸」という動きが起こりました。道徳的な問題を釣り針にして企業の攻撃に回って、東芝を攻撃したり、毎日新聞ワイワイ問題で攻撃したり、色々なことがありましたが、電凸の仕掛け人というのが、実は日本でごく僅かな人数の人がいて、その人達がいわば燃料投下したり、ネタを投下したりして、その炎上具合を競うっていうゲームをやっていたのです。そのカリスマ電凸仕掛け人の1人が僕のゼミにいましたので、かなり詳しい話を聞く事が出来たのですが、この上の方で仕掛けている人間達は、自分自身は内容的なコミットメントって全く無く、実際はどれだけ釣れるかと、ちょうど釣りを楽しむのと同じようにして横で楽しんでいましたね。

そういう一連の流れの経緯を知っていればネトウヨというのは、むしろイデオロギー的な背景とあまり関係がない1つのモブ現象だという風に言うほか無いと思います。

元々在日特権を許さない市民の会の流れを主導してきた人達というのは元々関西で「チーム関西」という動きをやっていて、実はナショナリズムあるいは右翼とは実は関係が無かったですね。

部落の特権叩きは新住民問題
宮台:僕は関西で育ちました。したがって、在日の方々とか部落の方々と仲良くしたりもみ合ったりしながら、小学生時代を過ごしてきました。

ご存知のように、在日特権、同和特権、組合特権等があります。例えば、良く知られているのは、京都の市バスの運転手の倍ぐらいの給料を、市バスの運転手が取っていたのは組合利権ですよね。同じように大阪清掃局の話とか色んなことがネットでも話題になったと思います。それで特権叩きが起こるようになりました。

しかし、関西で育った人間から言うと、特権叩きというのは新住民現象なのです。関西というのは、元々、同和や在日については差別がすごくて、JR、阪神、阪急等、どの駅のどこに住んでいるかで、大体色んなことが分かってしまうという社会なのです。
僕が若い頃の、昭和40年前後の関西というのは、ちょっとグシャグシャのカオスな所があったので、僕なんかはヤクザの人達の子ども達にケツ持ちしてもらって学級委員になったりしたことがありました。そういう風にしてみんな大人になると、焼鳥屋とかで、たまたま在日の人や部落の人と飲んだりもするみたいな、そういう中でまあ確かに特権はあるけど、昔俺達も色々ひどいことやったからな、償いっていう意味でもしょうがないかな、みたいな感じで、ある種の救助民的な包摂の中で許容されてきたという所があると思うのです。

ところが、そういう事情を知らない新住民が、社会的流動性が高くなると、どんどん増えますよね。増えるとこの方々にとっては、そういう特権というのは、やはりアンフェアなのです。

ある時代以降、かつての旧住民的な包摂を前提とした特権許しはできなくなってきました。これは政治学的に見てもアンフェアなので、擁護しているわけではないですが、在特会のベースにあるチーム関西が勢力を付けていくプロセスの背後にあったのは、新住民問題なのです。

ネットをベースにルーツを知らない人たちが相乗り

特権叩き自体はナショナリズムとは何の関係も無い。ところがその動きに、ネットをベースにしてルーツを知らない人たちが、相乗りしてくる。これがまさに新住民現象なのです。

さらに、社会がグローバル化によって崩れていく。中間層が分解して、共同体が空洞化していく。そうすると不安で鬱した人が増える。この人間達は溜飲を下げたいので、極端な事を言ったり、排外的な振る舞いをしたりして、盛り上がる。

鈴木:日本では、特にこの10年間ぐらい、相対的貧困率や非正規労働者割合が急上昇する中で、未来に希望を持てない、まさに鬱屈したルサンチマンの裏返しが起きているように思えます。
ハンナ・アーレントはこういう所にある種の全体主義的な起源があるのだと言っており、フランスやオーストリア等でも同じようなことが見られます。

宮台:根っこは基本的にはどこも同じですが、違いは社会的なリアクションの方です。ヘイトスピーチは、外国では基本的に禁止されていて、刑事罰の対象になっているところが多いです。あるいは、名誉毀損されれば巨額の損害賠償も請求出来るという状態になっています。

しかし、日本では、ヘイトスピーカー達がネトウヨという言葉でも言い方でも分かるように、右翼の一種みたいに考えられて、市民社会の中に許容されています。先進国標準って言えば、右翼左翼という問題ではなくて、簡単に言えば「可愛そうなヘタレ」なのだというような理解が一般的です。なので、思想どうこうではなく、如何に地域社会がうまく包摂して、あるいは宗教団体がうまく機能してこういう鬱屈して不安な人達の受け皿になっていくかというのが一般的な議論の方向性です。

ネトウヨはマークシート型の日本教育の犠牲者

鈴木:ネトウヨと言われている人達は非常に気の毒な方だという風に私も思っていて、ある意味で、マークシート型の日本教育の犠牲者でもあるのではないかと。承認欲求に繋がるコミュニケーション教育を日本はきちっとして来なかったので、貧困等を背景とした鬱屈を、社会に受け入れられる形で表現するような学びの機会を与えられなかったということもあるのかと思います。

宮台:そうですね。統計的に見ると、日本の特異的なデータはたくさんありますが、「政府が貧困層を助けるべきか?」という質問に対してノーと答える割合が日本は先進国ではダントツ1位なのです。

ノーと答える割合は、ヨーロッパ標準だと8〜9%。アメリカでさえ2割台半ばです。それに対して、日本は、3割代半ばがノーと答えるのです。

アメリカの場合には、政府を頼る人は左翼だといい、逆に、右翼が反国家主義だと言われます。日本の場合には、アメリカのような自立の文化は無く、国家主義者が右と呼ばれる恥ずかしい伝統があるのですが、そもそも、日本でなぜ政府は貧困層を助けてはいけないのでしょう。調査会社の解釈では、日本の場合は、貧困といっても大して貧困ではないのではないかという風に、まだ日本は豊かだからではないかとされています。

しかし、僕は、日本では、貧困の問題が「共同体の問題」として捉えられていないことが最も大きな理由だと思います。ヨーロッパには、共同体自治を行政が補完するというのが原則であり、アメリカはトクビリズムの伝統のもと、共同体が解決できないものについてのみ、連邦政府が出てくるというのが原則です。

一方、日本ではそのような原則はなく、貧困は、個人や個別家庭の問題と考えられています。だから「なんであんなやつを助けるんだ。俺を助けろ。」みたいに、生活保護の受給者のうちの0.4%にも満たない不正受給の問題に吹き上がりました。

最も恥ずかしいのは日本の生活保護の捕捉率は2,3割しかない。ヨーロッパでは、捕捉率は7割、8割。貧困の芽は、共同体が相互扶助で摘み取れれば一番よいのですが、それが出来ない時には行政が手当てをするべきで、そうしないと共同体の維持が出来ません。逆に言えば、日本は共同体がそこまで空洞化しているので、貧困が個人や個別家庭の問題として理解されているという、ある種の社会の空洞化が起こっているように思います。

問題は関係性の貧困

鈴木:なるほど。私も、コミュニティスクールやコミュニティソリューションということをずっと言ってきました。経済的貧困の問題もさることながら、まさに関係性の貧困、これが日本の最大の問題ですね。

民主主義の本質は、多数決原理ではなく、自治であり、王様が民衆の生活を統治するのではなく、自らが自らを統治するセルフガバメントというところにあると思いますが、そこが抜けていく中で関係性の貧困を誰が埋めていくのかという話になります。

宮台:そうですね。関係性の貧困というのは、「ソーシャルキャピタル」とも言いますよね。社会関係資本と訳すのが一般的ですが、人間関係資本と訳してほしいと個人的に思っていますが、それにはさらにベースがあり、経済的な豊かさや集会場があるとか、共通の産業基盤があるとか、こちらの方は「コモンズ」、社会的共通資本と言います。

コモンズがあって、その上に人間関係資本が成り立って初めて自治が可能になります。それが成り立たない場合に、実はネトウヨが出てくるのです。

右翼か左翼かは資本主義の賛否と関係ない

鈴木:右翼や左翼ということについて、その定義も日本では本当に乱れて来ているので、説明をお願いします。

宮台:右翼というと、資本主義賛成で、社会主義的あるいは福祉国家主義的な再配分に反対と言いますが、石原莞爾や北一輝を振り返ると、彼らは戦前の極端な右翼でしたが、資本主義を否定していて、社会主義的な再配分をほぼ全面肯定でしたよね。だから市場や資本主義を肯定するか否定するかということと、右翼左翼とは何の関係もありません。

では何が正しいのかというと、右左は、主意主義か主知主義かの違いなのです。ユダヤ教・キリスト教文化圏にあるような超越的なもの、つまり神様や絶対の真理を信じる超越依存の立場が主知主義・左翼。それに対する批判をする側が主意主義。不条理であろうが理不尽であろうが内側から湧き上がるものこそが全てであるっていうのが主意主義・右翼なのです。

分かりやすい例は、シュライエルマッハという19世紀の有名なプロテスタント神学者の議論です。どうして神が存在するのに不条理、理不尽といった悪があるのかっていう問いです。これにうまく答えないと、神はいないということではないかということになる。回答には2つの方法があります。

一つは、悪や不条理、理不尽の全ては神の計画である。我々は神の計画を知らないので、理不尽、不条理を悪だと思うのですが、神の計画を知っていればそのようには思わないはずだと。我々は不完全な相対者なので、絶対者を知ることは出来ないが、近づけば段々分かるはずだ。これが主知主義です。つまりちゃんと理屈が通っているのだと。

それに対して、神は全能者だから何をやってもオッケーなはず。理不尽、不条理、悪だろうがそれは神が勝手にやるからだと。人には内なる光が存在していて、理不尽だろうが不条理だろうが前に進もうと思う。これが主意主義者の立場です。

ギリシャも日本も、伝承は主意主義的

鈴木:その分類から行くと、私は完全に主意主義ですね。ヨーロッパの文明では、神は唯一であるのに対して、日本の場合は神々という文化・伝統がありますよね。神々の不条理というものが古事記、日本書紀などのメインのテーマの1つですよね。

宮台:あまりにも重要なご指摘です。ギリシャのパンテオンには実は、複数の神々がいて、神々の間のカオス的な営みが描かれており、そもそもは世の中が不条理、理不尽だということを伝承の形で語り継いでいくという所に大きな目的があったと理解されています。日本の古い伝承もやはり主意主義的なんですよね。神を頼っても、国家を頼っても、偉い真理を頼っても寝首をかかれるので内側から湧き上がる何かを信じる。

鈴木:経済至上主義っていうのは主知主義の塊であって、むしろ右翼というのは、ある種の文化多元主義・価値多元主義ですね。

宮台:元々はそうですね。

アメリカは経済的自由が尊重されすぎる嫌いがある

鈴木:いつから逆転というか倒錯が起こってしまったのでしょうか?

宮台 それは中々難しい質問ですね。ヨーロッパとアメリカとで事情が異なります。アメリカの保守は、「政治保守」と「宗教保守」と「経済保守」がそれぞれ分岐してしまいます。アメリカの政治保守は、力が弱くなっており、基本的には銃規制の時なんかに出てくるタイプの人達であり、クリント・イーストウッドが典型です。もっぱら力を持つのは経済保守で、これはある種の資本主義的なゲームの中での自分達の権益が守られる限りでの左叩き、あるいは再配分主義者叩きをやる人達なので、実は元々の右という概念にはあまり当てはまりません。

鈴木:物質文明崇拝論者ということですね。

宮台:宗教保守というのは、むしろ超越に依存するタイプの主知主義の方々で、実はこうした分岐が生じたのがレーガン政権の時で、もうグラスルーツの右が立ち行かないので、こうした経済保守や宗教保守も全部連携をすることでレーガン政権を支えようという話になったのです。これが実はアメリカの本質を示していて、ここにコミュニタリアニズムが出てくるルーツがあります。

つまり、かつてのアメリカはこうだった。しかし昔のようなアメリカはもう維持出来なくなったということです。そこで新しい右が必要だということで、それ以降の新しい共和党になったのです。ただし、まだ古い共和党を本義と思う人も多く、アメリカは経済的自由が尊重されすぎるというきらいがあります。

ヨーロッパは政治的自由に注意が集中

宮台:ヨーロッパではそういうきらいは元々無く、むしろ政治的な自由を主張する人間が過激になって、それこそジャコバン党、ナポレオン帝政、あるいはヒトラーのような全体主義を呼び込むかもしれない危険性が意識されるくらい、元々経済的自由に対する危惧は無い代わりに政治的自由をどこまで尊重するべきなのかっていう所にすごく注意を集中してきたという歴史がありますよね。

日本の右の歴史はぐちゃぐちゃ

宮台:だから、ヨーロッパとアメリカの違いの中に置くと、日本というのは、よく分からないのですが、歴史的に見ると戦前と戦後は全然違うし、戦後でも戦前の右翼を引きずるタイプの右翼もいたりします。ヨーロッパもアメリカも一貫した歴史の中に右も左もあるのですが、日本は歴史の中でぐちゃぐちゃです。しかし、日本の右翼全部がそうかというと、以前護国団という暴力団体の石井団長という方と20年ぐらい前に一緒にイベントやった時に、今の右翼はアメリカの政権の提灯持ちして褒め殺したりする国家に従属する存在だったけれども、昔はそうではなかったのだ、むしろ国家に異議申し立てをするような戦前右翼の伝統に連なるはずだったのだが、もはや今の段階では右翼と言われるものの9割以上がそういう「戦後的ヘタレ」なのだということをはっきりおっしゃっていました。そのように言う日本の右翼団体も中にはいたということです。

ヘイトスピーチの規制はすべきか

鈴木:ヘイトスピーチ規制の話をしたいのですが、私は規制すべきではないと思うのです。ヨーロッパなどではヘイトスピーチ規制というのが公然とありますが。表現の自由というのは非常に重要です。ネトウヨがどれだけ増えているかということもありますが。

宮台:在特会など、ウェブ所のメンバーは増えているようですが、街頭でやる人の数はものすごい勢いで減っていますね。

鈴木:私はその背景になっている何か胸のつかえが溜まる状況を、少しでも直していく、あるいは色々な事をサポートしていくという事をすべきであると思うのです。

宮台:賛成です。日本の統治権力は、自民党の憲法改正草案見ても分かるように、憲法の「け」の字も理解していない人達が憲法改正を謳ったりするという後進的な国なのです。そのことを考えるにつけても、アメリカ・ヨーロッパの統治権力に何か任せるのと、リスクが全然違うのです。ヨーロッパの補完性の原則やアメリカの共和制の原則からいっても、自分達が出来る事は自分達でやる方がよいのですよね。

よくも悪しくも、昔は政治家にはすごくオーラがありました。例えば橋龍さんは、1キロ先からでも光が見えるぐらいものすごいオーラがありました。そういう政治家の方って今は本当にいない。

鈴木:いないですね。

宮台:田中角栄とまでいかなくても、やっぱり昔は浅ましさやさもしさを嫌うというようなある種の矜持みたいなものが政治家にもあったと思います。ところが昨今の政治家同士のやり取りを見ると、そうではなくなってきています。そういうのを見て育ってきた若い人達が、浅ましい、さもしい振る舞いがまるでイデオロギー、あるいはその価値に基づくものであるかのように錯覚する。だからネトウヨがまるでナショナリズムや思想の問題みたいに理解されているのではないでしょうか。それを癒しのナショナリズムだと言う人もいます。しかし、在特会のようなものはナショナリズムと関係なく、新住民現象です。
そこだけ見るとひどいことに見えるけど、全体を良く見てみると自分達はどういうゲームをやってきているのかという時間軸、空間軸を見てみよう。そうすると直接的な感情をセーブして、その感情を越える振る舞いが出来るようになる。実はそれが戦前的な意味での右の本義なのです。

鈴木:直接的な感情を抑えるところにリスペクトが生まれるのですよね。リスペクトは押し付けることが絶対出来ないものだと思います。

宮台:だから三島由紀夫は、愛国教育に反対をしたし、徴兵制にも反対したのですね。「なんでこんなにヘイトスピーカーがいるのに国家権力は放置しているのだ!東京都は、警視庁は何やっているのだ!」ではなく、自分達が何が出来るのかということについて見極めはちゃんとした方が良いですね。

鈴木:ヘイトスピーチ規制の賛否アンケート取って頂きました所、規制すべきが3割。で、ノーが7割なんですね。まあちょっと多い、まあこんな感じですかね?

宮台:評価が難しいけれども、ヘイトスピーチが非常に重大な問題になるなということを理解していないからヘイトスピーチ規制しなくてもいいというのが7割という可能性もありますね。この数字自体解釈が難しいと思いますが、多分多くの人はヘイトスピーチの重大さを理解していないと思いますね。

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