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発見より100年、空中都市『マチュピチュ』の真実とは?

新世界の七不思議の一つにも選ばれた空中都市、『マチュピチュ』。ハイラム・ビンガムの発見よりおよそ100年が経ちましたが、文字を使う文化のなかったインカ帝国の遺跡は、多くの謎を残したまま。なぜ彼らは、あえて急峻な山の尾根に精巧な空中都市を建造したのでしょうか?

更新日: 2016年01月25日

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oneDogさん

謎につつまれた空中都市『マチュ・ピチュ』

マチュ・ピチュ(英語等:Machu Picchu、 ケチュア語:Machu Pikchu) は、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った高い山の尾根(標高2,430m)に所在する、15世紀のインカ帝国の遺跡である。

険しい崖の上で、霧のなかに浮かび上がるインカ帝国最大の遺跡は、“天空の都”あるいは“空中都市”などといわれるように、実にロマンチックです。ユネスコの世界遺産にいち早く登録され、いまや連日2000人近い見学者が訪れるという人気もうなずけますね。

現在は、入場人数が一日につき2000人と制限されています。
あまりに多くの人が訪れるため、遺跡の位置が毎年少しずつ下がっているそうです、、、

遺跡の面積は約13km²で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。

東京ドーム: 0.013 km² です。

居住区域の建造物だけでなく、周囲の尾根や急峻な斜面に沿って、整備された段々畑が広がっています。

南緯13度で、10月から4月までの雨季と乾季に分かれる。

熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。

日本であれば海抜2,000mほどで森林限界となることが多いですが、マチュピチュは赤道に近い熱帯雨林気候の為、海抜2,400mでありながら緑が色濃く出ており、農耕による自給自足が可能な気候です。

自然が豊かなので、様々な生物を見ることができます。
写真は、ナスカ地上絵にも描かれているハチドリ。

ツバメやビスカチャといった、遺跡の石組みの隙間に巣を作って暮らす生き物達もいます。

山裾からは遺跡の存在は確認できないことから、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと雅称される。

なぜ山の峰に造る必要があったのか、もっと便利な場所、あるいはもっと高い場所ではなぜいけなかったのか? 謎は尽きない。

アメリカの探検家、ビンガムによる発見から100年、、、

アメリカの探検家ハイラム・ビンガムは、1911年7月24日にこの地域の古いインカ時代の道路を探検していた時、山の上に遺跡を発見した。

「特集:インカ 気高き野望 2011年4月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP」より。

冒険映画『インディ・ジョーンズ』シリーズにおける主人公の、実在するモデルの一人とされています。

ビルカバンバは、下からは絶対に見ることができない山頂に建設されたという伝説があり、それを手がかりにアメリカ・イェール大学の教授ハイラム・ビンガムは現地の人々への聞き込み調査を積み重ね、子供に連れて行かれた山の峰で、1911年、この空中都市を発見する。

ビンガムは1915年までに3回の発掘を行った。彼はマチュ・ピチュについて一連の書籍や論文を発表し、最も有名な解説「失われたインカの都市」がベスト・セラーになった。この本は『ナショナル・ジオグラフィック』1913年4月号ですべてをマチュ・ピチュ特集にしたことで有名になった。

『ナショナル ジオグラフィック』1913年4月号に掲載されたマチュピチュ遺跡の写真。

また1930年の著書『マチュ・ピチュ:インカの要塞』は廃墟の写真と地図が記載され説得力のある決定的な論文となった。

以後、太陽を崇める神官たちが統治したとか、あるいは太陽の処女たちが生贄にされたといった定説が形成された。

ビンガムは2種類の考えを提示している。1つは“インカ発祥の地”説で、1911年、地元農夫の案内で遺跡を訪れたときに発想したという。

 後に自説を修正し、伝説の“インカ帝国最後の都市”ビルカバンバでもあると提案した。16世紀、インカ最後の皇帝がスペイン軍と長期にわたる戦闘を繰り広げた場所だ。

ビンガムはイェール大学の教職を辞してからコネチカット州の副知事、知事を経て上院議員になったが、彼のインカ調査への影響力は死後40年近くも残っていた。それは1つに彼の情熱的な文章のせいであった。

一方、第一人者としてのビンガムのマチュ・ピチュに関する発表や仮説がその後の研究の妨げになっていたのも事実である。

ハイラム・ビンガムはマチュピチュ遺跡の発掘において、ナショナル・ジオグラフィックからの資金援助を受ける事ができました。
スポンサーからより多くの資金援助を受ける為、必要以上にセンセーショナルな内容の発表をしたのではないか、という穿った見方もされています。

彼がこの遺跡の偉容にただ感激し、純粋にインカ帝国の隠された伝説都市と信じて疑わず、想像が行き過ぎてしまった、、というのもあると思います。

遺跡の名前は『マチュ・ピチュ』ではなかった、、、

マチュ・ピチュとは間違えて付けられたといわれている説がある。

多くの言語で「Machu Picchu」と呼ばれるこの遺跡名は、「老いた峰(Old Peak)」を意味するケチュア語「machu pikchu」を地名化したもの

遺跡に名前は決まっておらず、ビンガムが地元民に遺跡の名前を尋ねたところ、地元民は今立っている山の名前を聞かれたと思ってマチュ・ピチュと答えたことで遺跡の名前がマチュ・ピチュであると間違って伝わった、という説である。

しかも前述の引用にあるように、ビンガムを案内したのは子供であり、純粋に今立っている場所の名前を答えただけ、という可能性は高いです。

「インカ帝国最後の都市」ではない?

「失われた古代都市発見」のニュースが伝わると、研究者たちが謎解きを始めた。要塞(ようさい)説や祭祀場説などが唱えられたが、真相は長い間、分からなかった。

1980年代になって、突破口が開けた。スペイン人の征服後40年ほどしかたっていない1568年の訴訟文書が発見されたのだ。

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