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切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)とは【アーロン・コスミンスキー】

切り裂きジャック(きりさきジャック、英: Jack the Ripper、ジャック・ザ・リッパー)は、1888年にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件の犯人の通称。この事件は未解決事件である。

更新日: 2014年09月08日

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切り裂きジャック

切り裂きジャック(きりさきジャック、英: Jack the Ripper、ジャック・ザ・リッパー)は、1888年にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件の犯人の通称。

概説

1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間にロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで少なくとも売春婦5人をバラバラにしたが、犯人の逮捕には至らなかった。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。神経症患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、1世紀以上経った現在も犯人は不明。

切り裂きジャックは売春婦を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者はメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。そのような事実から解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。

ただ、このような事件が起きていた間に、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人を迎え入れている形跡がある事から、実は女性による犯行とする説もあった。また、犯行は1年以上続いたという説もある。

「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、日本でいう「名無しの権兵衛」のように英語圏で呼び方の定まっていない男性を指す名前である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E3%82%8A%E8%A3%82%E3%81%8D%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF

切り裂きジャックが取り上げられたアメリカの雑誌『Puck』の表紙(1889年9月21日)

犯行

イギリスでは17世紀前半まで、ワインやビール、シェリーや蜂蜜酒や林檎酒が飲まれていた。イギリス人は多量の酒を飲んだ。ひとつには水が煮沸しなければ飲めなかったからだが、庶民(ほぼ半数が貧民)には、人生は飲んだくれて忘れてしまいたい憂さで満ちていたから、というのが大きな理由である。
そんな中現れたのが、ジンであった。ジンは安く、製法が簡単だったのでただちに広まった。また、1690年には法令によって誰にでもアルコールを製造し、売ることができるようになったので、イギリスのどの町にもジンの販売店が急速に溢れかえった。
その有名な宣伝文がこれだ。
「1ペニーで酔っぱらい、2ペンスでぐでんぐでん、清潔なストロー付き」。
ビールやワインは高価だったが、ジンは1ペニー稼ぐか、恵んでもらえる者なら誰でも口にすることが出来た。必然的に犯罪発生率は上昇した。
売春婦、追いはぎ、物乞い、スリ、かっぱらい――、ジンを得るためなら人々は何でもした。当時イギリスでは年間800万ガロンのジンが飲まれ、ロンドンだけでも、1人平均14ガロンのジンが飲まれた。
ジャック・ザ・リパーが現れたのは、そんな貧民窟の一角、ホワイトチャペルである。

1888年、8月31日の早朝、出勤途中のトラック運転手がホワイトチャペルのバックス通りで地面に横たわっている女を発見した。スカートが腰の上までめくれあがっている。彼は最初、強姦だと思った。だが顔に手を触れてみて、女が死んでいることに気づいた。
女は首を、一方の耳からもう一方の耳の下に至るまで深く切り裂かれ、ほとんど頭が体から切断されかけていた。その上、下腹部を大きく切開されてもいる。すべての傷は右から左へ走っており、犯人は左利きであろうと思われた。また、あまりの鮮やかな手口に、かなり解剖学的知識のある者だろう、との見解が出されることになる。
被害者の名はメアリ・アン・ニコルズ。42歳で5人の子持ち。アル中の売春婦だった。

第2の殺人は9月8日に起こった。被害者の首はねじれて壁際を向いており、切り落とされかけた首を胴とつなぎとめておくためか、白いハンカチが結わえてあった。
死体は万歳するように両手をあげ、足を開いて膝を立て、大きく広げられていた。スカートは第1の殺人と同様たくしあげられ、腹部はめちゃめちゃに切り裂かれていた。耳から耳までを一気に切り裂かれたのが死因で、その後犯人は彼女の腹を裂き、腸を引きずりだし、肩に乗せた。子宮、膣の上部、膀胱の3分の2が完全に切りとられていた。
被害者の名はアニー・チャップマン。もともとは中産階級の出で、ジャックの犠牲者中唯一の教養ある女性であった。が、魔がさしたのかアルコールに溺れ家庭を壊し、売春婦に落ちぶれたのである。しかし気位の高さで仲間内の評判は悪かった。年齢は45~47歳。深酒と肺結核のせいでひどく老けて見えた。

第3と第4の殺人は同夜に起こった。
第3の被害者は「のっぽのリズ」の愛称で知られた、エリザベス・ストライドという44歳の売春婦である。彼女は喉笛を切り裂かれ、鼻から頬にかけてを切りひらかれ、右耳の一部を切除されていた。また、右目が潰れていた。殺されてからまだ間がなかった。
リズはもともと平和な家庭夫人だったが、遊覧船の沈没事故で夫と2人の子供を失い、失意のうちに街角に立たなくてはならない身の上になった、という触れ込みだったが、この殺人によりそれが悲しい嘘であることが明るみに出た。彼女は虚言癖のあるアル中で、精神に異常もきたしていたのである。
そしてその直後に起こった第4の殺人の被害者はキャサリン・エドウズ、43歳。
犯人はリズで果たせなかった残虐な死体損壊をキャシーで遂げていた(リズのときは、馬車が来る気配がしたため、早々に逃げていたのだ)。
キャサリンの腹部は数回にわたり切り裂かれ、内臓は露出し、腸が肩の上に掛けられていた。肝臓が切りとられ、左側の腎臓がそっくり切除されていた。
また、壁に例の有名なチョークの殴り書きの、
「ユダヤ人はみだりに非難を受ける筋合いはない」
という文句が残っていたのもこのときである。が、これは反ユダヤ暴動を怖れた警視総監が巡査にいち早く消させてしまったため、証拠としては残らなかった。
さて、「切り裂きジャックの挑戦状」(これがジャックを犯罪者としての「スターダム」に押し上げることとなった、といっても過言ではあるまい)が初めて届いたのは9月28日のことである。

「親愛なるボスへ。
おれはな、売春婦に恨みがあるんだ。お縄を頂戴するまでやめないぜ。おれを捕まえられるもんならやってみな? こないだの赤い血をインキにして使おうとジンジャー・エールの瓶に溜めといたんだが、ねばねばして使い物にならなかったよ。アッハッハ!
お次は女の耳を切り取って旦那たちのお楽しみに送るからな。おれが次の仕事をしたら、世間に知らせとくれ。おれのナイフはよく切れるよ。      ――あんたの親愛なる切り裂きジャックより――」

この手紙が真犯人からのものなのか、あるいはただのプラティカル・ジョークなのかは現在に至るも判然としない。だがこの「ジャック・ザ・リパー(切り裂きジャック)」という名が与えられた瞬間から、彼がただの変態猟奇殺人鬼から一段上の存在になったことはほぼ間違いがない。
これ以後、本物か偽者かも知れぬジャック名義の手紙はひきもきらず警察に押し寄せることとなった。中にはアルコール中毒の腎臓の一部と共に、

「地獄より。
ある女から切りとった腎臓の半切れを送るぜ。残りはフライにして食っちまったよ。いける味だったぜ」

と書かれた手紙すらあった。これはエドウズの腎臓なのでは? と思われたが、警察はこれもいたずらの1つだと思い、正確な鑑定を行なわなかった。(ちなみにこの手紙の書き出しは勿論、映画の「フロム・ヘル」の元ネタだ)
こういった手紙はスコットランド・ヤードに1400通近く届いたという。しかしそのうち「ひょっとしたら、犯人本人からかもしれない」と目されるもののうち、いくつかは同一人が筆跡を変えて書いたとおぼしきものがある。そして明らかに故意の誤字、無教養な言い回しをしているところからして、ジャックが無学文盲の人間などではなかったことがわかる。そしてこの事実がさらに、ジャックを謎めいた存在にしているのである。

第5の――そして最後の殺人は11月9日に起こった。
被害者はメアリ・ジャネット・ケリー。25歳と、今まででもっとも若かった。
彼女は自分の借りた貸間長屋で、死体となって発見された。ジャックは彼女の若く美しい体をもって、己れの残虐趣味を心ゆくまで満足させたものとみえる。
彼女は素裸で、両足を開いた格好で死んでいた。首は胴と皮一枚でかろうじてつながっていた。腹部は切開され、肝臓、子宮、乳房が切りとられていた。腸は壁の版画の釘に吊るしてあり、心臓は枕の横に、乳房や残りの内臓はテーブルの上にきちんと置かれていた。耳と鼻はきれいに削がれていた。この「解体」には少なくとも1時間はかかると思われた。

さて、ジャック・ザ・リパーの正体は今もって不明である――。
シャーロック・ホームズの研究家が「シャーロッキアン」と呼ばれるがごとく、ジャックの研究家は「リッパロロジスト」と呼ばれてきた。それほどにジャックは、人々の探究心をそそったのである。
容疑者として頻繁に名が挙がった人々の中には、ヴィクトリア女王の孫であるクラレンス公さえいる。その他やれ医師であるとか、産婆であるとか、黒魔術師であるとか、いろいろな仮説が飛びかった。
ちなみに1988年、ジャック生誕100年祭?として全英で放映されたTV番組において、FBI捜査官のジョン・ダグラスはジャックについて、こうプロファイルした。
「性的不適応者。女性全般に対する強い怒り。どの事件も被害者の不意をついて襲っているところからみて対人的にも、対社会的にも自信がないことがわかる。弁舌が不得意。おそらくは貧民窟にいようが明るい道路の下にいようがまったく関心をひかない、およそドラマティックなところのない人物――」
またコリン・ウィルソンは彼を「アウトサイダー」と定義している。「社会から離れた者」「疎外された者」つまりそれは一種の浮遊感、非現実的感覚をともなう。人を殺すか、人殺しの白昼夢をみているときだけ、その非現実感は消える。
その後次々に現れる「アウトサイダー的殺人者」の、彼はまさに先駆けといった存在であった。
彼は事件後100年以上経った今でも、ヴィクトリア朝世紀末の象徴的存在、そして現代犯罪史における伝説としても生きている、稀有な例である。

http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/rippers.htm

容疑者

切り裂きジャックと思われる被疑者については多数いるが、その中でも特に有名なのは以下。

モンタギュー・ジャン・ドゥルイト
(Montague John Druitt、1857年8月15日 - 1888年12月1日)

弁護士、教師。風貌が当時の目撃証言と似ているとされた。最後の事件の後、12月1日にテムズ川に飛び込み自殺。
第1と第2の事件の時に所在不明。メルヴィル・マクノートン(事件当時の英国捜査当局の責任者)のメモにより20世紀半ばになってから有力な被疑者と呼ばれるようになった。メモによると精神病の持病があったらしいことが分かる。ただし、マクノートンのメモにも間違いが多く(たとえば職業を医師としている)、どこまで信用できるか不明。

マイケル・オストゥログ
(Michael Ostrog、1833年 - 1904年頃?)

ロシア人医師。殺人を含む複数の前科があった。
ロシア海軍付きの外科医の経歴を持つ。詐欺や窃盗の常習犯で、警察に逮捕された末に精神医療施設に隔離された経験がある。ホワイトチャペルでの事件時に所在不明だったことから、捜査当局で疑わしい人物として名前が挙がっていた。

トマス・ニール・クリーム
(Thomas Neill Cream、1850年5月27日 - 1892年11月15日)

アメリカ人医師。危険な薬物(ストリキニーネ)を用いて売春婦を毒殺、「ランベスの毒殺魔」と呼ばれていた。
1892年に死刑執行。その際に絞首台で「自分が切り裂きジャックだ」と言い残した(正確には、"I am the Jack…"まで言った時に床板が外された)とされる。しかし一連の事件が起こった1888年当時、トマスはアメリカのイリノイ州にある刑務所に投獄されていたため犯行は不可能である。

アーロン(エアラン)・コスミンスキー
(Aaron Kosminski、1865年9月11日 - 1919年3月24日)

殺人があったイースト・エンドの近辺に住み、売春婦を憎んでいた。
目撃者の証言により当局に逮捕されたが、重い精神の錯乱が見られ、筆跡に関しても切り裂きジャックが書いたとされる手紙のそれと一致しなかった。証言も後に撤回されている。

ジェイムズ・メイブリク
(James Maybrick、1838年10月24日 - 1889年5月11日)

1889年に妻であるフローレンス・チャンドラーに殺害された木綿商人。事件の三週間前、現場近くのミドルセクス・ストリートに部屋を借りた。1991年に発見された切り裂きジャックの物と思われる日記は、メイブリクのものとされている。又、現場で何度か目撃された、金色の口髭を生やしたジャックの特徴も彼に当てはまる。日記には、被害者の体の一部を持ち去り、食したとの記述もある。しかし100年以上経過しての発見である上に、その経緯が不明確であり、信用性には疑問を持たれている。

ジェイコブ・リービー
(Jacob Levy、1856年 - 1891年)

ユダヤ人の精肉業者。犯人は「ユダヤ人」で「死体の解体に慣れていて、血まみれの格好をしていても怪しまれない精肉業者」というプロファイリングにより浮かび上がった被疑者。「ユダヤ人」説の根拠として、2件の殺人が発生した9月30日当日、1人目の殺害現場であるバーナー街の国際労働者会館前ではユダヤ教社会主義の会合が開かれており、2人目が殺害された犯行現場には被害者のエプロンが落ちていた場所の壁に「ユダヤ人は理由もなく責められる人たちではない」と落書きがされていたことが挙げられている。リービーは梅毒に罹患しており、梅毒から来る精神障害をわずらい「不道徳な行いをしろ」という幻聴を聞いていたという記録がある。リービーの妻は、「夫はノイローゼにかかっていたようで、一晩中街を徘徊していることがあった」と証言している。事件当時、リービーはフィールドゲート街からミドルエセックス街に引っ越したが、そのどちらも犯行現場を結んだ円内にあるため地理的プロファイリングとも一致する。
犯行が4件で終わった理由としては、梅毒の症状が進んだ事とキャサリン・エドウッズの殺害現場を近所に住む同じユダヤ人の精肉業者ジョゼフ・リービーに見られたからだとしている。ジョゼフは犯人がリービーであることを知っていたが、事件発覚によるユダヤ人への迫害を恐れて、捜査陣に犯人像を詳しく語らなかったのではないかと言われている。それでも、ジョゼフの「犯人は被害者より8cm高かった」と言う身体的特徴はリービーに当てはまる。なお、メアリー・ジェイン・ケリー殺害に関しては、解剖の手口が違うこと、唯一屋内で殺害されていることから模倣犯によるものであるとしている(National Geographic Channel:Mystery Files #7"Jack The Ripper")。

切り裂きジャックからの手紙

1888年9月25日、切り裂きジャックを名乗る手紙が、新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシーに届いた。"Dear Boss"の書き出しで始まるこの手紙の内容は、切り裂きジャックは売春婦を毛嫌いしており、警察には決して捕まらない、犯行はまだまだ続くと予告する挑発的なものであった。

この件が新聞で伝えられると、一日平均20通の同様の手紙が届いた。ただ、この手紙が切り裂きジャック本人のものであるかどうか確証はなく、単なるいたずらなのか犯行声明なのかは謎である。

1888年9月25日、切り裂きジャックを名乗る手紙が、新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシーに届いた。

「切り裂きジャック」のモンタージュ写真

伝説の殺人犯のモンタージュ 「切り裂きジャック」で英警察

1888年にロンドンで売春婦ののどを次々と刃物で切り、少なくとも5人を殺害した伝説の猟奇殺人犯「切り裂きジャック」のモンタージュ写真を、このほどロンドン警視庁が作成した。

当時の警察はジャックの正体に迫ることができず、事件は迷宮入り。警視庁のスタッフらは今回、過去の資料などを洗い直した上で、最新の捜査技術を駆使。現在の時点でどの程度犯人像に迫れるかに挑戦した。

モンタージュ写真の作成過程は、21日放送の英民放テレビのドキュメンタリーで紹介されるという。(共同)

2006年11月21日 17:06米国東部時間

英国史上最も悪名高い犯罪者・切り裂きジャックの正体が126年の時を経てDNA鑑定により判明

【英国】126年目の真実。DNA鑑定で切り裂きジャックの正体がポーランド系英国人 アーロン・コスミンスキーと判明 dailymail.co.uk/news/article-2… 事件の遺留品のショールと被害者&容疑者の子孫からDNAを抽出し調査 pic.twitter.com/fGPYOrnziy

(記事によると<全英文>)

・殺人現場で見つかった遺留品をもとに被害者らの子孫とアーロン・コスミンスキーの子孫のDNAを鑑定して調査した結果アーロン・コスミンスキーが犯人だということが分かった

・実はコスミンスキーは容疑者の一人だった(殺人現場近くに住んでおり、売春婦を恨んでいた)

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