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北海道拓殖銀行 破綻

都市銀行の中でも最少だった拓銀ですが北海道経済の中核を担う銀行でした。長い北海道の低迷は、拓銀破綻も大きく影響しています。

更新日: 2019年03月18日

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SuperEarthさん

北海道拓殖銀行

株式会社北海道拓殖銀行(ほっかいどうたくしょくぎんこう、英称 : The Hokkaido Takushoku Bank, Ltd.)はかつて存在した日本の銀行。第二次世界大戦終戦までの特殊銀行であり、その業務を継承して1998年(平成10年)まで存在した都市銀行である。

【特殊銀行として発足】

北海道拓殖銀行法(拓銀法)を制定、これに基づく特殊銀行として1900年(明治33年)2月16日に北海道拓殖銀行が設立

【普通銀行への転換】

拓銀法廃止を控えた1949年(昭和24年)には、政府保有株式を放出し東京証券取引所に上場していた(証券コード:8312)。翌1950年(昭和25年)、旧拓銀の普通銀行業務を継承し、正式に民間銀行として再発足。1952年(昭和27年)をもって開業以来の拓殖債券(金融債)の発行を停止し、この機能は日本長期信用銀行へ移った。1955年(昭和30年)には発行済債券をすべて償還、同時に全国地方銀行協会を脱退し都市銀行の仲間入りを果たした。

【拓銀の転落】

カブトデコム

拓銀の破たんはバブル期の過剰融資がその原因ですが
中でも、カブトデコムへの融資は群を抜いていました。
これが、後々破たんへ繋がるとは

前身は、不動産開発業者カブトデコム(札幌市)の子会社であったエイペックス社
(1993年からは北海道拓殖銀行の子会社)が
総工費約650億円をかけて1993年に開業した会員制高級ホテル
「ホテルエイペックス洞爺」である。

1997年、ホテル運営会社「ザ・ウィンザー・ホテルズ インターナショナル (WHI) 」(東京都港区、社長・窪山哲雄、資本金:1億6,500万円)による運営となり、ホテル名が「ザ・ウィンザーホテル洞爺」に変更された。 同年、北海道拓殖銀行が経営破綻、翌1998年にはエイペックス社も自己破産し、ホテルは廃業した。

【日銀特融】

日銀特融

戦後の日本では1965年の証券不況の際、山一證券に対して初めて行われた。
その後一連のバブル崩壊時の木津信用組合、コスモ信用組合、兵庫銀行、山一證券
北海道拓殖銀行の破綻の際にも発動

当時、北海道民からは拓銀の破たん処理は見せしめとの意見もあった。

【破綻から20年:2017年】

断末魔の拓銀、半年で大口定期性預金の4割流出
 内部文書で明らかに

資金繰り安定の基盤となる大口定期性預金(10億円以上)が
破綻1年前の96年秋から半年で4割近く、1兆円超も流出した。

【Twitter】

@Emi_k71 気づいたら家にこれらのグッズがあって、でも、名前はよく知らなくて。そういわれてみれば、こういうキャラ、いっぱいいたなーと思いました。スレでも指摘されてましたが、「みんなのたぁ坊」は北海道拓殖銀行のマスコットだったので、特に馴染みがあります(´○`)

97年の北海道拓殖銀行破綻時には、引受先の北洋銀・中央信託銀へ預金保険機構から1兆8,000億円の金銭贈与が行われております。どういう仕訳だったんだろう(預金保険機構年報を読んでいる

病気になる前15年間トヨタ関連の会社で、 総務・人事の仕事をしていた。 1度給与の振り込みが半日ほど遅れたことがある。 社員から苦情がいっぱいきた。 その数ヶ月後その銀行は破綻した。 北海道拓殖銀行。

「銀行これくしょん」とかいうゲーム思いついた。銀行同士をうまく成長、合併させて大きくしたり、失敗して北海道拓殖銀行みたいに経営破綻するやつ。

低成長期: 戦後の経済大国時代 冷戦後の経済変革期 失われた10年 : 日産生命 山一証券 北海道拓殖銀行 、翌 1998年 には 日本長期信用銀行 などの名門金融機関の破綻が相次ぎ、大手金融機関同士の合併・統合が進んだ。 kitiyomu.com/issue_detail.p…

ようやっと繰り越して引退した、北海道拓殖銀行の通帳。ちなみに、競馬のPAT専用口座。 instagram.com/p/i3CS4OlNGI/

【日本の遺構】サハリン(樺太)にある旧北海道拓殖銀行に行ってみた / 石造りの外観がとても美しい rocketnews24.com/2012/08/17/235…

兜神社といえば、歴史を感じるのが「山一證券」の奉納石碑。 ow.ly/i/4b8t6 あの時代を知らない人が増加するなかで、山一證券の破綻は、日本経済崩壊を象徴する風景の一つでした。三洋証券、北海道拓殖銀行、長銀と・・・。私にとっては単なる歴史以上です。

【拓銀と銀行システム】

日本アイビーエム・ソリューション・サービス株式会社
 (ISOL:アイソル)

沿革
1984年08月:
システムフロンティア株式会社(SFK)として設立

1987年06月:
日本アイ・ビー・エム株式会社が資本参加
これまで培ってきた金融システムのソフトウェア開発力に
日本アイ・ビー・エムのグローバルな技術が加わり
より付加価値の高いシステム構築が可能となる。

1998年04月:
たくぎんコンピューター株式会社(TCK)が加わり
日本アイ・ビー・エム株式会社100%出資の新会社
日本アイビーエム・ソリューション・サービス株式会社として発足

拓銀継承3行から基幹系アウトソーシング・サービスを一括受注

本年4月に拓銀システム関連会社の要員を中心に当社の100%子会社として設立した、日本アイビ ーエム・ソリューション・サービス株式会社(ISOL、本社・札幌、社長・原島七生)が、当社と協業し担当します。ISOLは、今月16日に新たに旧拓銀事務システム部門 の114名を採用し、総勢592名となりました。ISOLは今後も、これらの人材が培ってきた高い業務知識とIT(情報技術)スキルに加え、今回の難易度の高いシステム切 替えおよびシステム運用の実績により強化された知識とスキルをもって、当社と協力しながら、金融機関に対する高品質のサービスを提供していきます。

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