1. まとめトップ

三種の神器にまつわる伝説をまとめてみた

日本神話にある三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))、日本の歴代天皇が継承してきた宝物についてまとめてみました。

更新日: 2013年08月05日

29 お気に入り 78847 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

junkworldさん

■ 三種の神器

八咫鏡(ヤタノカガミ)
草薙の剣(クサナギノツルギ)
八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)

■ 天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)

日本神話で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲国の簸川(ひのかわ)上流で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したときに、その尾から出たという剣。のちに、熱田神宮に祭られる。別称、草薙剣(くさなぎのつるぎ)。→草薙剣

大蛇を倒して手に入れるとかかっこいいですね!

都牟刈の太刀(つむがりのたち)(偉大な力を持つ太刀)などとされることもある。古事記では初登場はこの名称だった。

だがオロチがいる場所は常に雲気があったから叢雲の名が付いたという(天は尊称)

鳥取県と島根県の県境にある船通山(鳥髪岳)は、スサノオノミコトが降りた地、ヤマタノオロチと戦った地である。
その山頂には、天叢雲剣出顕の地として直刀を模った石碑と石宮があり、毎年7月28日には熱田神宮の宮司など神職揃って宣揚祭という神事が行われる。

玉せん集裏書にある剣の形について

剣の長さは、二尺七、八寸(約85cm)。刃先は菖蒲(しょうぶ)の葉のようで、中ほどには厚みがあり、また本のほうの六寸ほどは魚の背骨のように節立っており、全体的に白色であった

剣の色が、白色であったのは、これが銅剣ではないことを証明します。

新羅の僧道行による盗難事件

668年に新羅の僧道行による盗難事件が起こります。道行はこの剣を新羅に持ち逃げしようとしますが船が難破して失敗します。その後は朝廷で保管していましたが688年に天武帝が病に倒れると「神剣の祟り」だという事で熱田神宮に戻ります。

この道行はおとがめなく釈放され、寺まで持たされています。
つまり、盗めと指示したのは・・・

安徳天皇と共に壇ノ浦に沈んだ

日本略記によれば、平家滅亡の際、安徳天皇と共に壇ノ浦に沈んだと記されています。

しかし、沈んだのはレプリカだというのが通説です。

大戦末期に米大統領を呪った?

先の大戦末期に機密勅令で全国の主だった寺社で米大統領を呪ったというのだ。

高野山や東寺でも禁断の大元帥明王法が修され、熱田神宮でも政府中枢からの相当強硬な圧力がかかり、天皇でも自由に見ることができないこの神剣が開封され、大宮司によって呪いに使われたという。

ここからはこの大宮司のひ孫から聞いたという話をその同級生だという人がネットに載せていたのでその話を記載してみる。

このとき記された形状は「錆びることのありえない素材」=金無垢で、さらに7つに枝分かれし、その先が左右に羽根をひろげるが如く長く手を広げているという、材質・形状どちらも剣としてありえないものだったという。
あくまでも祭祀用のとして造られたと思われる。当時の大宮司は、自らの日記の中で御神剣が七支の形状をなしていた事実と、記紀中のヤマタノオロチより剣がいでたとの伝承を結び合わせ、ヤマタノオロチの八つの頭がそのまま草薙神剣の七支の穂先と幹の突端になったのではないかとの自説を記しているという。

儀式中に起きたことは、大宮司が祭文を唱えるにつれ、御体が唸り声のような重い音声をあげたかと思いきや、祭殿の左、西の方角に向けて自らいざりはじめ、そのまま震えて祭文を唱え続ける大宮司に代わって、御神剣を押しとどめようとした禰宜職が触れた途端、口より青い炎を上げて体が燃え上がり、骨も残さず溶けるように一片の黒い炭になってしまったという。

■ 八咫鏡(やたのかがみ)

八咫鏡とは、日本神話に登場する鏡である。伊勢神宮に奉斎され、またその御分霊が皇居でも祀られている。

※ 画像はイメージです。

天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋に隠れたとき、大神の出御を願い、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が作ったという鏡。

伊勢神宮にも皇居にも複数あるのは???

崇神天皇の時代に、天照大神の分身である「八咫鏡」を、宮中に置いておくのは畏れ多いとして、伊勢神宮の前身である笠縫邑に祀り、宮中にはレプリカをつくってこれを祀った。そして、そのレプリカを鋳造した地が、この鏡作神社

宮中にあるものはレプリカですが、どちらも本物という位置付けで、「本体」と「分身」という関係ということです。

天照大神の御魂代(みたましろ=神霊の依り代)

太陽の光を映すものとして、太陽の化身と考えられていた。 神社の社の扉を開けると、そこに丸い鏡が祀られているという光景を思い浮かべることができる。 これはすなわち、太陽信仰が偶像を求めた結果ともいえるだろう。

農耕民族にとって太陽ほど重要なものはなく、従って鏡ほど重要な祭器もないということになる。

1