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ロバのパン屋さんは今…誕生から60年を迎えられたそうです。

今、ロバのパン屋さんは3代目に。夫婦二人三脚でほぼすべてを製造販売されているそうです。京都の北白川などで車が走ってるそうですよ。

更新日: 2013年08月07日

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ロバのパン屋さんといえば、この音楽

「パン売りのロバさん」(豊田稔作曲、矢野亮作詞、近藤圭子歌)

ロバのパン屋さんとは?

ロバのパン屋の正式名称は「(株)ビタミンパン連鎖店本部」

※このビタミンパンというのは蒸しパンの一種のことだそうです。
 また、連鎖店というのは、今でいうチェーン店のことだそうです。

京都市に本社を置く蒸しパンの行商を行なっていたチェーン店

創業者の桑原貞吉が戦後の食糧難を経てパン屋を再開し、
馬車を使った移動販売を始めたのが1953年の夏だった。

京都発祥の「ロバのパン」がこの夏、誕生から60年を迎えた。
2013年8月7日のニュース

販売方法は当時、斬新なものだった!

(もともとは)昭和2年(1927年)に
岐阜県出身の桑原貞吉氏が
京都で始めた饅頭と蒸しパンの店がその起源

販売方法は斬新で、楽器を演奏しながら饅頭を行商するものだった。

(その延長線上で)
昭和28年(1953年)からロバ(本当は木曽馬)に馬車を引かせて、
蓄音機で音楽を流しながらパン売りを始めた。

ただし、馬車を牽いていたのは、ロバではなく馬、
それも、大多数は日本の在来種として知られる木曽馬である。

(その後)昭和30年(1955年)に
キングレコードから発売された「パン売りのロバさん」
(豊田稔作曲、矢野亮作詞、近藤圭子歌)をイメージソングに

ビタミンパン連鎖店本部の桑原が、
「パン売りのロバさん」を実際に耳にしたのは、
発売された1955年(昭和30年)の暮れのことと、自ら記している。
即座にSP盤を数百枚もレコード店に発注し、
後には特注LPを5,000枚も用意し、全国の連鎖店に配布した。
翌年には、全国の連鎖店の馬車がこの曲を流して移動販売を始めた。

連鎖店と称した全国チェーンという
桑原の時代に先んじた経営方針によって
昭和30年代には、ビタミンパンは
全国にチェーン店を150店舗以上も抱えるまでに成長

しかし、高度経済成長によって衰退

※イメージ画像です

スピードの遅い馬車は自動車の走行を妨げるとして敬遠された。

馬の垂れ流す糞尿も苦情の対象とされるようになった。
舗装道とマンホールも、馬の蹄鉄には天敵となった。

(しかも)自動車のクラクションに驚いた
ロバが暴走し、馬車が横転するという死亡事故が発生

蒸しパンの一種であるビタミンパンは、
食糧事情が多様化すると、余り顧みられなくなってしまう。

連鎖店(今でいうチェーン店)の多くでは、
昭和40年代には、自動車による販売に急速に切り替えられた。

ピーク時には約160店あったチェーン店は
現在、岐阜市、三重県四日市市、高知市、徳島県阿波市の
4店だけになった。

60年を迎えられた今

約4年前に下京区中堂寺から上賀茂に移転。
今は3代目の桑原省三社長(57)が
夫婦二人三脚でほぼ全てを製造販売している。

小麦粉や秘伝の「パンの素」などを配合した
蒸しパン、みたらし団子の製法は昔と変わらない。
※下京区中堂寺庄ノ内町(七本松五条上ル)だったようです。

平日は、京都市の北白川や
太秦のほか亀岡市や乙訓地域でも車を走らせている。

桑原社長は
「今でも営業しているのかといった問い合わせが全国からある。
地元にも音楽を聞いて買いに出て来るお客さんが多い。
買う方がいる間は、昔の味を守りながら続けたい」と話す。

ロバのパン屋さんを扱ったブログ

みなさん、懐かしい思い出を語られているのを見るとほのぼのします。
中には「一度、会ってみたかった」という方も。

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ふみふむふむふみさん

ラッコは漢字で書くと海獺。海の獺(カワウソ)だよー。