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Kenji1985さん

1992

投手・内野手の二刀流でプレー

投手の打順の所に代打で登場し、次の守備においてそのまま投手としてマウンドに登ることもあった。当時、外国人投手は2人までしか一軍に登録できなかったが、内野手登録のペルドモが投手として出場したため、事実上3人の外国人投手を登録していたことになる。1試合でこの3人が登板した試合もあり、「ルール上は問題ない」とされたが、物議をかもした[1]。

2000年

クリストファー・カンバーランド

2000年、広島東洋カープに入団。左の先発候補として期待された。開幕3戦目に先発したが、打者5人に対して3失点を許し、1/3イニングでKO、二軍落ちとなった。さらに、二軍で1試合4ボークの最多タイ記録を作り、同時に入団したジェフ・ボールと共に僅か1か月で解雇された。


広島監督の達川光男(当時:晃豊)や広島ファンは彼の苗字をもじって「カンバーランドががんばーらんと困る」という駄洒落のネタにしていた。

サルバトーレ・ウルソー

変速左投手。松井秀喜キラーとして期待がかかるも、すぐに打ち砕かれましたね。何故か人気の選手

2001

落差の大きいカーブを武器に抑えとして活躍

入団テストに合格し2001年に広島東洋カープに入団。その年日本ハム時代程球速は出なかったが緩急を使った投球で抑え投手を任された

広島ファンからは「安心のシュール便」。名スカウトとしても活躍

全国紙で「12球団きっての名スカウト」と称され、記憶と記録に残る外国人選手を送り込み続ける、その手腕。そこには知られざる、人間・シュールストロムの深きカープ愛が息づいていた。シュールストロムがスカウトした選手 コルビー・ルイス、ラロッカ、べイル、ミコライオ、サファテなど

2007

2007年に広島東洋カープに入団。日本球界では珍しい本格的ナックルボーラーで、投球の大半(75%以上ともいわれる)においてナックルボールを使用する「ナックルの伝道師」。

2003年

審判の判定にキレまくり放送禁止用語を連発!口の動きで何を言っているか、テレビを通じてはっきりわかるほどでした…。また報復死球ではと疑ってしまうような行動も散見され、マウンド上で自らの感情を制御できないことはだれの目にも明らかでした。

そしてこのブロックにはもう1つ、とんでもない弱点がありました。セットポジションでの投球の際にグラブを一旦静止させることができなかったのです。ブロックも独自に対処策を講じますが、マウンドに上がると例の如く熱くなってしまいそんな対処策は頭からすっ飛んでしまったのでしょう。ペナント序盤から案の定ボークを連発!7月2日には1イニング2ボークのセ・リーグ記録(NPB記録は1イニング3ボーク)と1試合3ボークのNPB記録(当時※1)を達成!!8月5日にはまた1イニング2ボークを記録しさらに同日にシーズン11ボークの最多記録(当時※2)を更新してしまいました。

ブロックは投球以外にもファンを驚かせました。かなりの強打者だったのです。4月12日にはフェンス直撃の二塁打を放ち初安打をマークすると、6月19日には工藤公康(巨人)から札幌ドームのバックスクリーンへ本塁打!!!7月10日には投手ながら代打で登場し、死球を喰らっています。このときのコメントが秀逸で、「ヒットを狙いに行ったけど、逆にヒットされちゃったよ」などと巧いこと言っていました。また意表を突いて三盗を決めたことも…。結局2003年シーズンは打撃成績として44打数14安打(打率.318)6二塁打2本塁打四死球6三振10という見事な成績を収めました。

阪神のムーアとともに打ちまくってましたね。楽しませてくれた選手。

広島の"ボブサップ"。凄まじいパワー

独立リーグで三冠王を獲った実績や風貌から『カープのボブ・サップ』と期待された。

芯でとらえたときの飛距離はケタ外れだったが、好不調の波が激しく打率が低い上にチャンスでの凡退も多かった。夏場の大阪ドームの試合でライトフライをダイビングキャッチしようとした際に怪我をしてしまい、ベンチに下がる。それ以降は出番がなく、シーズン終了後に退団した。

エルドレッド並のパワーで当たりがでてきた頃の怪我でした。期待していたのに残念でした。

2004年

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