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その声と生き様に感動する…。西の最果て、音楽の島に生きた裸足のディーヴァ

50歳を手前に突然全世界でブレイク。故郷の貧しさを想い、最後まで裸足で歌い続けた黒人女性歌手、セザリア・エヴォラのまとめ。

更新日: 2015年03月22日

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セザリア・エヴォラという女性

1941年8月27日 - 2011年12月17日
アフリカの島国カーボ・ヴェルデ出身の女性歌手。

西アフリカの島、サオ・ヴィセント島のミンデロという寂れた漁村にセサリアは生まれて育った

孤児院に育ち、孤児院で歌を覚えたセザリア少女は歌手に憧れ、10代の頃から島にある数件の酒場で歌うようになり、歌い手として島ではなくてはならない存在となっていきました。

大西洋西部沖のカーボベルデ共和国 出身の歌手で、長い間埋もれていた宝石の原石のような人

アフリカのセネガルから西に450キロ、大西洋に浮かぶ島国の酒場で歌う彼女の類い稀なその才能は、長らく埋もれたままになっていました。

1988年、カーボ・ヴェルデの血を引く若いフランス人ジョゼ・デ・シルヴァがパリでのアルバム製作 を持ちかけた

彼女の才能が"発見"されたのは1988年になってから。このとき、カーボヴェルデの酒場で歌い続けていた彼女は既に47歳になっていました。

初CDが出されたのは、40歳も半ばを過ぎてから

47歳前後でレコーディングした「La Diva Aux Pieds Nus」のアルバムで一定の評価を受け、その4年後、1992年にレコーディングした「Miss Perfumado」でさらに脚光を浴びるように。
人生も半ばを過ぎた頃、初めて国際的なスター歌手になりました。

2003年にアルバム「Voz D'Amor 」でグラミー賞の最優秀コンテンポラリー・ワールドミュージック・アルバム賞を受賞

そしてついにグラミー賞という国際的な権威をも手にしました。

"裸足のディーヴァ"と呼ばれた歌手

人は彼女を《裸足のディーヴァ》と呼びました

いつも裸足で歌う彼女は、いつしか"裸足のディーヴァ(歌姫)"と呼ばれるようになりました。

彼女は一度も靴を履くことなく裸足で、水夫や冒険家、湾の中で光の壁のように錨をおろしているクルーズ船の観光客に、そしてCongelo漁業会社のメンバーのためにその夕食で歌った

孤児院で育った彼女に靴はなく、10代でバーで裸足で歌い始めた頃から、ずっと裸足のままでした。

住むところのない貧しいCabo Verdeの人々をおもんばかり、自分がステージに上がるときは、彼らと同じく素足だから

後に世界的な名声を得た後も、ステージで歌うときは必ず裸足だったそうです。

彼女が歌う音楽は「モルナ」

出身地、カーボ・ヴェルデ共和国の位置。
大西洋の重要な交易点として、各地の文化が混合した独特の文化を持ち、特に音楽や文学は高く評価されています。

ポルトガルファド、ボサノヴァ、ラテン、アフロと、いろんな音楽系統が混じっている歌で「Morna=モルナ」と呼ばれる音楽

セザリアが世界に広めたカーボヴェルデ独特の音楽は、「モルナ」という音楽です。

カーボベルデはカーボベルデ・クレオール語で歌われ、クラリネット、ヴァイオリン、ギター、カヴァキーニョが伴奏するフォークソングの形式モルナによって国際的に知られている

ほかの国にはない独特の音楽の発展により、カーボ・ヴェルデという国の名は音楽ファンにはよく知られています。

曲は、踊りだしたくなるような軽いテンポが多いが、どれも深い悲しみに満ちていた

その音楽の根底にあるのは「ソダーデ(郷愁)」という感覚。明るく乾いたサウンドの中に、深い哀しみが感ぜられます。ソダーデ(Sodade)は、ポルトガル語の「サウダージ(Saudade)」とほぼ同義です。

魂を込めて歌う楽曲のすばらしさ

カーボヴェルデの海

セザリアの歌う歌は、奴隷中継地であったというその島の歴史が絡んで、切なく、ノスタルジックで聴く人の心のひだを震わせます

セネガル沖に浮かぶ島国カーボヴェルデは、ヨーロッパ、アフリカ、ブラジルをつなぐ重要な交易場として、古くは奴隷貿易の時代より栄えた歴史を持っています。

クリントン大統領もセサリアの歌を聴いた。マドンナは泣きじゃくった

その歌声はビル・ゲイツやマドンナ、そして作品を出す毎に若い世代のDJやミュージシャンなどからも多くの賛辞を集めました。

「誰もクレオール語を解らない。でも、それは問題じゃない。音楽がその全てを示すのよ。彼らは音楽を分かるの。」

セザリアの言葉より。カーボヴェルデで話されているクレオール語は誰も理解できずとも、彼女の歌は世界中の人の心に響きました。

彼女はどこにいても全力だった。望郷の思いだけがつらかった

世界で活躍するようになってからっも、彼女は故郷カーボヴェルデを忘れませんでした。パリではポルトガルレストランを探し、ヴァンクーヴァーではホテルの下の太平洋の青さをあまり真剣に見ないように努めた。

2011年12月17日、カーボベルデにとって一種の音楽の申し子である、セザリア・エヴォラが亡くなった

音楽を通じ、最果ての島国であるカーボヴェルデをも有名にしたセザリアは、2011年の暮れにそのカーボヴェルデで亡くなりました。享年70歳でした。

彼女の祖国カーボベルデ共和国政府は2日間の喪に服することを発表

亡くなった際、カーボヴェルデ大統領は彼女が同国の文化の重要な象徴だったと語ると、首相はスターが死なないように彼女もカーボベルデ人の記憶の中にいつまでも留まるだろうと彼女への敬意を示しました。

名声が彼女を変えることはなかった

彼女は、最初にほろ酔いの父親が4弦のマンドリンであるカヴァキーニョを演奏するのを聞いた場所であるミンデロの家に、母親とともに住み続けました。そこで、彼女は10の寝室を加え、ゴールドディスクを壁に掛けたが、彼女は依然として立ち寄る人のためにcachupaを料理し、魚を揚げ続けたのです。

動画

当時47歳だった彼女を一躍スターダムに押し上げた名曲、Sodade(ソダーデ)。この曲が収録された1992年のアルバム"Miss Perfumado"は世界で30万枚を超えるセールスを記録。

ベサメ・ムーチョとは「たくさんキスして」の意味。1940年頃に書かれたこのスペイン語の名曲の数多いカバーの中でも、セザリアの歌唱は最高のものと称されています。

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