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2015年度NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の感想ツイッター

平成27年大河ドラマ 『花燃ゆ』吉田松陰の妹・文(ふみ)。のちに松下村塾の 塾生で志士、久坂玄瑞の妻となる。吉田松陰は、思想家、教育者、明治維新の精神的指導者として知られる。文は、激動の長州藩の運命に 翻弄されながらも、 新しい時代へと、松陰の志を引き継いでいく。

更新日: 2015年12月13日

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最悪だ楫取素彦と美和。寿が病床で動けないのをいいことに二人で抱き合ってるし。まだ寿が生きてるうちからこういう描写入れるなよ。 #花燃ゆ

まさかの文之進様の見せ場大一番、全カット (介錯人だったという千代さん出てないから当たり前!!) #花燃ゆ このためにだけでも千代さんが主人公でもおかしくなかっただろうに…

第42話「世界に賭ける糸」

今日は檀ふみの演技にグッときた。それにしても吉田松陰の脇差が群馬からアメリカに渡ってたとは。歴史って、僕が知らないだけで、いろんなところでいろんな人が活躍してるんだな~。 #花燃ゆ

19歳、森永くん名演技お疲れ様!杉敏三郎の史歴資料は少なく、奇兵隊入隊もフィクション。吉田松陰ファミリーを鮮烈に描いてる今までにない大河になってるけど、艶さんの死亡話は出たのに、7人兄弟で一番長生きした千代さんが全く出てこないのが不思議すぎる。#花燃ゆ

どうにかこうにか新井良一郎渡米決定。それに際して、アメリカに行きたがっていた寅兄の脇差しを新井に委ねる寿姉 #nhk #花燃ゆ

第41話「いざ、群馬へ」

また、松下村塾の塾頭玉木文之進も事件を教唆したことから自害している。12月3日、萩に護送されていた前原ら首謀者は、斬首の判決を受け、即日執行された。前原一誠、享年43歳という短い生涯であった。このあたり、今週のクライマックスになると早合点していたのは、私だけ? #花燃ゆ

楫取素彦が明治9年に着任した当時、高崎城周辺には兵部省の施設もあって県庁機能は分散して置くしかなかったので楫取は効率良く整備すべく高崎の有力者に費用協力を求める…けど高崎側は渋る。 すると前橋側が施設整備に熱心で招致活動の熱意を感じた楫取は前橋移転を政府に申請しちゃう。 #花燃ゆ

前原「越後で判事をしておりました。聞いておられますか?」視聴者「初耳です」 #花燃ゆ

第40話「二人の母」

明治2年11月17日、6歳になった久坂秀次郎が急に山口に来たらしい。その間の事情は、私には不分明。美和も寝耳に水で、慌てたという話もある。久坂家の二男(長男は久米次郎)となり、明治12年に至り、久坂家を相続した。#花燃ゆ

萩の乱、超高速で済まされそうだな。玉木文之進叔父上にとってはとってもとっても重大な事件のはずなのに、今回かけらも伏線がなかったし。もっとしっかりやってしかるべきだと思うんだが。 #花燃ゆ

夫が別の女に産ませた子がいきなり家に現れて、さんざん産んでないから母にはなれないって言ってたくせに育てると言い出したが、やっぱり母親の元に返さなきゃかわいそうとお前は要らない子と猿芝居。この回必要だったの? #花燃ゆ

第39話「新しい日本人」

松陰は敏三郎のために、九州遊歴の際、熊本で加藤清正を祀る浄池廟(墓所)を詣でている。これは当時、難病の治療に特効があるとの信仰を集めていたことによる。こういったエピソードは、1月の放送段階で、残念ながらスルーであった。#花燃ゆ

毛利敬親は名君かどうかはわからんが人材を大切にした事は大きいよね。松陰なんて他藩なら密航の罪で処罰させられてもおかしくない。それを自宅で塾を開くことを許すんだもんな… #花燃ゆ

第38話「届かぬ言葉」

当時の山口県要路の構成員を詳らかにできないが、楫取素彦と高杉小忠太がいたことは確か。高杉は、奇兵隊創設者である高杉晋作の父であり、当時は山口藩権大参事。木戸孝允と諮って脱隊騒動を鎮圧した。息子が作った奇兵隊を鎮圧するとは、因果なものである。#花燃ゆ

諸隊の反乱の首領格が、元松下村塾の富永有隣でした。 有隣は山口藩を脱走すると7年間、土佐に潜伏します。やがて捕らえられて東京へ送還。7年間を獄中で過ごした後、許されて山口へ戻っています。この晩年の有隣の姿を描いたのが、国木田独歩の『富岡先生』です。 #花燃ゆ

そうだよあの野山獄であんなにキャラがたっていた富永有隣を奇兵隊士反乱に使わないのはこれは大河スタッフ無能すぎるだろ。#花燃ゆ

第37回「夫の忘れがたみ」

このような状況の中で、慶応4年(1868)年1月2日、鳥羽・伏見の戦いが勃発した。鳥羽・伏見の戦いは、薩長両藩にとって、手詰まりの中での大僥倖であったのだ。ここで幕府軍が進撃をためらったならば、その後の情勢は全く違ったものになったであろう。#花燃ゆ

錦の御旗は戊辰戦争が最初でなく、承久の乱で使われたのが最初だったかな。戊辰戦争での錦のエンブレムは決してパクリではなくオマージュである感じかな。御旗をデザインした玉松真弘(岩倉部下)は決して盗作していない訳で。#花燃ゆ

鳥羽・伏見の戦いは激戦だったといわれていますが、近年の発掘調査で、旧幕府軍の弾丸はほとんど発見されていないとか。5千人の新政府軍を前に、1万5千人の旧幕府軍はなす術なく、退却していったようです。 #花燃ゆ

第36回「高杉晋作の遺言」

高杉晋作は亡くなる十日ほど前、「今年の雪見はもうできないから」と見舞いにもらった長岡銘菓『越乃雪』を松の盆栽にふりかけて雪見の名残をしたという。 #花燃ゆ pic.twitter.com/bQb7S5Nvjr

高杉晋作もう一個の遺言が「吉田へ」。 奇兵隊駐屯地の吉田へ、なのか吉田松陰の墓の近くへ、なのか解釈が分かれたとか。#大河 #花燃ゆ

高杉晋作の墓は4ヶ所あります。 ・下関市東行庵(遺骸墓) ・下関市桜山(招魂墓) ・萩市団子岩(遺髪墓) ・京都市霊山(招魂墓) 晋作が死亡したのは27歳8ヶ月ですから、現在の高良健吾さんと同年代。早い死が惜しまれます。 #花燃ゆ pic.twitter.com/Nqbbf3prbM

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