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極悪非道!フランス革命前の"処刑方法"がヒドすぎる

フランス革命前の処刑方法を知ると、なぜギロチンが人道的な処刑器具と呼ばれるのか理解できます。

更新日: 2018年01月05日

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アンシャン・レジーム/革命以前のフランス

アンシャン・レジーム(旧体制)を風刺した画。

アンシャン・レジーム下では、国民は三つの身分に分けられており、第一身分である聖職者が14万人、第二身分である貴族が40万人、第三身分である平民が2600万人いた。第一身分と第二身分には年金支給と免税特権が認められていた

革命前は、同じ罪を犯して死刑の判決を受けても、貴族なら斬首、一般庶民なら絞首というふうに、身分によって処刑の仕方が違っていた

当時処刑はエンターテイメントの一つだった

1610年アンリ4世を暗殺したフランソワ・ラヴァイヤックの処刑(八つ裂きの刑)を見物する市民。

人々にとっては、処刑を見物することは、スポーツ観戦や観劇と同じように、一種の気晴らしに近かった。友人知人とわいわい騒ぎながら、ひとたび処刑が開始されると、その光景を固唾を呑んで見守るのであった。

フランスでは1939年までギロチンの処刑が公開された。公開処刑は常にお祭り騒ぎで、最後の処刑では周囲の建物までが見物のため貸切られるありさまであり、

死刑囚はまずコンシェルジュリー監獄へ

現在のパリ裁判所庁舎。

14世紀後半から牢獄として使われ始め、フランス革命の際には、多くの王族や貴族が収容されました。

当時はその牢獄に入るとかならず死刑になるというので「死の牢獄」「ギロチン控えの間」とよばれた。

処刑の舞台はパリ・グレーヴ広場

現在のパリ市庁舎前広場。

死刑囚はセーヌ川をまたいでその威容を誇る中世の建築、コンシェルジュリ監獄に収容され、この広場に馬車で運ばれ処刑される。

フランス革命の時はコンコルド広場にギロチンが置かれたのは有名ですが、それ以前はここで公開処刑が行われていました。

処刑を執り行うのはサンソン家の一族

フランス革命期の死刑執行人で、サンソン家4代目当主。

ルイ16世やマリー・アントワネット、エベール、デムーラン、ダントン、ラヴォアジエ、ロベスピエール、サン=ジュスト、クートンといった著名人の処刑のほとんどに関わった。

恐怖政治の時期だけで二千七百数十名を処刑した。

革命以前の処刑方法

革命前にはいろいろな処刑があった。絞首刑、斬首刑、火炙りの刑、車裂きの刑、八つ裂きの刑等々。斬首刑が見事成功する以外は、どれも長時間に渡って大変な苦しみを味わうことになる。

死刑執行人はこれらの刑罰全てに熟知していることを要求された。

【NO.1】絞首刑

フランスの場合は公開処刑が基本であった。つまり絞首刑はまさに見せしめとして執行されていたのである。

【NO.2】斬首刑

魔女として処刑されるレオノーラ・ドーリ。

革命期の人々は、斬首がもっとも苦痛少なくして迅速に人を死に至らしめる"人道的"な方法だと考えた。だが、剣で人間の首を斬るというのは、とてつもなく難しいことなのである。

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