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daiba49さん

<2.逃避行 >
寝ているとたたき起こされた。
マツムラ伍長が来て「早く家から出てください」との事。
「ソ連が侵攻してます。ご主人の仕事柄、あなたの家が狙われてます。」
「ヒデヨが工場から戻ってない」
「置手紙でソウル駅で会おうと」
「日本人の病人は朝4時に移動させます」
伍長「駅長は友人です。これは駅長へのメモです。今行ってください」
伍長が私のおでこにキスをした「忘れません、友情をありがとう」
私は伍長に「武運長久」と書いた書を手渡した。
母が伍長にお礼を言い、伍長は出て行った。



ヒデヨに手紙を書き、最低限の荷物を持ち出て行った。
川に沿って駅までの近道を歩く。
行進の音が聞こえ、伏せる。
コウ「彼らは反日朝鮮人共産主義同盟だ」
行進の音が近づき、朝鮮語で「敵を殺す練習しろ!」と男が叫ぶ。
私は嘔吐した。

1945年の夏、終戦も知らずに、中国大陸で死の逃避行を続けていた日本人たちがいました。
戦争によって生み出された国・満州では、終戦前後、およそ8万人もの日本人開拓民が死亡しています。
その生存者が、当時の過酷な状況を語りました。

長野県南部の阿智村に、2013年、そのあまりの悲惨さから、語られることが避けられてきたテーマを扱う記念館がオープンした。
開館してから3カ月ほどで、来場者が1万人を超えたという「満蒙開拓平和記念館」。
中には、満州国の旗などが展示されていた。
今から80年余り前、日本は満州事変を契機に、当時の中華民国と武力紛争となり、中国東北地域を占領し、満州国を建国する。
政府はそこへ、当時日本国内にあふれていた貧しい農民など500万人を、開拓移民として送る計画を立てた。
その結果、日本各地からおよそ27万人が、満州と隣接する蒙古の名を冠した、いわゆる満蒙開拓団として組織され、満州国へ送られたという。

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