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幼い宇多田ヒカルに全米デビューの夢を託し、家族団結してドサ回りで資金を集めたアメリカ時代の知られざる感動的な苦労話

本当はロックなどの洋楽が好きだった藤さんは、その夢を娘に託した。80年代、家族3人で「世界を目指そう」とニューヨークで生活を始め、資金が底をつくと帰国し、一時引退していた歌手業の地方回りで稼いだ。

苦しかったその頃、ニューヨークの時計店で買った“宝物”の高級時計を質店に入れて食いつないだ時もあった。日本中が衝撃を受けた宇多田のデビュー曲「Automatic」には「time will tell」というカップリング曲が収録されている。実はこのタイトルはその時の時計店の名前。藤さんは記者に「私はこの子に自分の人生のすべてをかけている。その象徴の一つ」と、そこに込めた思いを明かしていた。

幼少期から勉強好きで成績優秀だった藤さん。しかし、浪曲師の旅芸人だった両親との生活は貧しく、高校進学を断念せざるを得なかった。00年に宇多田が米国の名門コロンビア大学に合格したのも、学業を犠牲に歌手の道へ進んだ母の思いを知っていたからこそで、母娘執念の“倍返し”だった。

02年に宇多田の全米デビューが決まった時は、まさに母の夢を娘がかなえた時だった。しかし、米レコード会社と専属契約を結んだ時に撮影した親子仲良しのスリーショットをその後、見ることはなかった。

藤さんは生前、家族3人で乗っていた愛車「ミニ」の話をよく記者にしていた。娘を養うために地方を巡った7年間、この車で全国を回った。照實氏が運転し、藤が助手席。狭い後部席が幼い宇多田の指定席で「前に座りたい」とねだると「私より大きくなったらね」と約束したという。

しかし、日本音楽史上空前の大ヒットを記録した時、照實氏はベンツに乗り、宇多田は仕事でワゴン車を使うようになった。いつしか「ミニ」はホコリまみれで忘れ去られ、藤さんは「またあの時のように3人寄り添うように乗りたい」と話していた。

現在、音楽活動を休んでいる宇多田は、往年の母親の歌唱シーンを投稿動画サイトで探すなど、歌手として最も尊敬する大好きな母の姿を今も追っている。ミニの助手席に座る夢は果たせないままになってしまった。

≪銀行も信用せず≫藤さんと会うたびに驚かされたのは、いくら入っているのか分からないほどの現金をキティちゃんのバッグなどに入れて持ち歩いていたことだ。一緒にマクドナルドに入店した時も、カバンに手を突っ込んで「私、払おうか」と言うから、そのたびに止めた。極度の不安症のためか人を信じず、銀行も信用していなかったためだ。決してやましい金を持ち歩いていたわけではなかった。

互いに歌手としてリスペクトし合う母娘の強い絆

2010年末に芸能活動休止以降、ほとんど表舞台に登場していないシンガーソングライターの宇多田ヒカル(30)が現在、レギュラー出演しているラジオ番組がInterFM「KUMA POWER HOUR with Utada Hikaru」(毎月第3火曜後10・00)。パーソナリティーを務める宇多田は、22日に亡くなった母・藤圭子さん(享年62)の曲を番組内で流すなど母娘の強い絆をうかがわせていた。

番組は現在“人間活動中”の宇多田が日々の生活の中で出会った音楽を紹介する1時間。オープニングテーマ、選曲、編集も宇多田1人で行っており、記念すべき第1回放送(4月16日)では、最近のお気に入りの音楽のほか、母・藤圭子さんの「新宿の女」を流し、6月18日の放送では、幼少の頃に藤さんから「ヒカルの声は素晴らしいわ。シャーデー(54)みたいに、と言われて以来のファン」というエピソードを披露している。

96年に「藤圭子 with Cubic U(宇多田の別名)」で「冷たい月」をリリースしており、2年後の大ヒットシングル「Automatic」の足掛かりとなった。

昨年7月にはツイッターで、動画配信サイト「YOUTUBE」から藤さんの歌う「面影平野」の動画が削除されたことに触れ「『面影平野』歌うカーチャンすごくかっこ良くて美しくて、ああくそどうにかあれダウンロード(保存?)しときゃよかった…」と投稿していた。宇多田のツイッターは20日以降は更新されていない。

1995年の北海道新聞のインタビューで、12歳の娘・宇多田さんについて「娘の英語の歌を聴いて、これはすごいな、私が歌うことないな、と思ったんです。娘の人間性、才能を崇拝してます」と語っていた。

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