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【海の武士道】 一番砲だけ残し、総員漂流者の救助に当れ!

日本海軍の駆逐艦「雷」は海面に浮遊する大勢の英国兵を発見した。敵潜水艦の哨戒海域で長時間の停船がもたらす危険は承知の上での艦長・工藤俊作中佐の決断であった。戦いが終われば敵も見方もない。「一番砲だけ残し、総員漂流者の救助に当たれ」と命じた。

更新日: 2017年07月07日

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sting222さん

この事実を知っていますか?

世界に誇れる素晴らしい日本人がかつて存在した。
 工藤俊作という方をご存知でしょうか。

時は大東亜戦争開戦の翌年の昭和17年3月2日

大東亜戦争中、ジャワ海の制海権争奪に敗れた米英豪連合軍艦隊の残存艦艇は、日本艦隊の隙をついて同海域からの脱出をはかった。

。昭和17年3月2日午後2時頃、2隻の英海軍艦艇は、インド洋への脱出を試みてジャワ海北西海域において日本艦隊に捕捉され相次いで撃沈された。

英海軍の巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員は21時間に亘って漂流

出典ameblo.jp

英駆逐艦「エンカウンター」

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英巡洋艦「エグゼター」

両艦の乗員合計約450人は脱出し漂流を開始するが、約20時間近く経過した翌3日、午前10時頃には生存の限界に達していた。

日本海軍の駆逐艦「雷」乗員は全部で220名

雷(いかずち/いかづち)は、日本海軍の駆逐艦。

なんと敵将兵は450人以上が浮游していたのである。

『艦長はいったい何を考えているのだ!戦争中だぞ!』と批判の声が出た。

英米による石油禁輸措置によって石油が乏しい日本国にとっては、発進・停止を繰り返す救助活動は、その後の戦闘行為を不可能にする事になる。

「雷」艦長工藤俊作少佐

救助を決断した「雷」艦長工藤俊作少佐(当時)は41歳、山形県出身、当初は敵将兵の蜂起に備え、軽機関銃を準備し警戒要員を艦内主要箇所に配置していた。

「1番砲塔だけ残し、水兵員、溺者救助用意」

マストに『救難活動中』を示す国際信号旗を掲げた。

英国海軍400名を確認した『雷』の工藤俊作艦長は、敵潜水艦の音響の有無を再三に渡って確認させ、その上で、『敵兵を救助する』と号令し、マストに『救難活動中』を示す国際信号旗を掲げました。

英海軍将兵をロープで固縛し艦上に引き上げた

英海軍将兵は、艦から降ろした縄はしごを自力で登れないばかりか、竹ざおをおろして一たんこれにしがみ付かせ、艦載ボートで救助しようとしたが、力尽きて海底に次々と沈んで行ったのだ。

出典ameblo.jp

工藤艦長の駆逐艦「雷」は、危険を承知で敵兵の救出作業を開始しました。彼は「一番砲だけ残し、総員敵溺者救助用意」という、極めて異例の命令を発しました。



「雷」に殺到する英国兵士。

ここで下士官数名が艦長の意を呈し、救助のためついに海に飛び込んだ。そしてこの気絶寸前の英海軍将兵をロープで固縛し艦上に引き上げたのである。

救助した英兵を貴重な真水で洗い、衣服まで提供して工藤艦長はこうスピーチした。

「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。私は英国海軍を尊敬している。ところが、今回、貴国政府が日本に戦争をしかけたことは愚かなことである」

『貴官達は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。』

救助された英兵達は大感激をした。
そもそも英国海軍の規定には、危険海域における溺者救助活動では、『たとえ友軍であっても義務ではない。』としている。
それが敵兵である自分達を、戦域での危険を顧みず救助し、衣・食を与え、敵国の病院船に引渡しまでしたのだから、英兵達の感激は当然と言えるだろう。

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