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映画「イノセンス」で押井守が言いたかった事【考察】

哲学的で難解なイノセンスのテーマを分かりやすくまとめました。。参考にしたのは日本テレビ放送網出版「押井守論―MEMENTO MORI」、徳間書店出版「イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談」です。押井守監督もテーマについては明言しているので、考察というよりは本当にまとめですが。

更新日: 2013年08月25日

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この記事は私がまとめました

▼イノセンスとは

押井守監督が作った劇場版攻殻機動隊シリーズの第二弾。
キャッチコピーは「イノセンス、それはいのち」

前作から比較してその哲学的なテーマは更に難解になった。しかし関連書籍などを読むと押井守が考えていたテーマが明確になってくる。

▼テーマは「人間には身体がない」

自分の存在とイコールのレベルで身体が存在してる人がいるんだろうかということなんです。*
人間である以上必ず自意識があるわけだから。自意識があるってことは、必ず自分の身体を外部化しちゃう。

出典日本テレビ放送網出版「押井守論―MEMENTO MORI」 pp.28-31

我々人間は根本的に身体を持っていないという身体論が今回の映画のテーマである。前作で身体を完全に捨て去った素子。しかし残されたバトーはこの不完全さにどう向き合うのか。その他の人々はどう向き合うのか。

■身体を持たない人間は「犬」を求める

犬などの動物は自身を客観的に見ることはしない。つまり自意識をもたない。それは「精神」と「身体」が絶えず一致していると言える。犬は身体を持つのである。

進化によって「身体」を失ってしまった人間は、動物としての完全さを備える「犬」を求める。

種類の比はあるが、我々の様に自己意識の強い生物が決して感じる事の出来ない、深い無意識の喜びに満ちている。

出典映画「イノセンス」

イノセンスでキムが語った言葉。人形や神と同等な完全さを動物が持っているという。

■身体を持たない人間は「人形」を求める

人形の姿は人間の身体を模して作られている。しかし作り物の「身体」に「精神」は存在しない。人形は「身体」そのものである。

人間の「精神」は「身体」から離れる方向で進化してきた。物理的に外部化された「身体」である人形もまた、人間にとってはある種の完全さを備える。

人間の認識能力の不完全さは、その現実の不完全さをもたらし。そして・・・その種の完全さは意識を持たないか、無限の意識を備えるか、つまり、人形或いは神においてしか実現しない。

出典映画「イノセンス」

イノセンスでキムが語った言葉。素子は無限の意識と融合して神に等しい存在となった。それが出来ない者は完全に外部化された身体を求めるしかない。

■身体を持たない人間は「子供」を求める

自意識が発達する前の子供。それは「精神」と「身体」が一致した完全な動物であり、親にとっては外部化された完全な身体である。

子供を産むという古来からの行為。それは動物を飼うことと、人形を作ること両方に似ているのかもしれない。

人間の前段階としてカオスの中に生きる子供とは何者なのか?明らかに中身は人間とは異なるが人間の形はしている・・・

出典映画「イノセンス」

イノセンスでのハラウェイの言葉。子育てを人形遊びと同じではないかと明言しつつ、自意識の欠如についても触れている。

▼その道はゴーストの数だけある

自分の生きた証、自分の存在を求める方法は無数にある。

人間の不完全さ故にバトーは犬を求め、キムは人形を求め、トグサは子供を求めた。そして素子は身体からの開放を求め、不完全さを克服していった。

自分の身体の替わりになるものは人間の数だけあるんじゃないかな。*
確かに道具立てはSFなんだけど、語りたいことはSFと関係ないんです。あくまでも今の話で。さらに大それたことをいえば、人間が生きてきた何万年もの話をしたいんです。

出典日本テレビ放送網出版「押井守論―MEMENTO MORI」 pp.44-45

人間には根源的に身体がない。それ故に人々は身体の替わりを求めてきたという。「身体を持たない」という不完全さをどのように癒すのか。それをテーマに押井守はイノセンスを描いたのだ。
これは決して義体化が進んだSF世界のみに当てはまるテーマではない。現代の我々が、そして人類が今までに直面してきたテーマなのである。

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