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85歳の現役ジャズピアニスト秋吉敏子が色々とすごすぎる件

アメリカのジャズ界で最高の栄誉である「ジャズ・マスター賞」を受賞し、アメリカのジャズ専門誌で29回も人気ランキング1位を獲得したジャズピアニスト“秋吉敏子”をあなたは知ってますか?

更新日: 2016年04月02日

frompapuaさん

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※秋吉敏子プロフィール

ニューヨーク在住のジャズピアニスト、作編曲家。

1929年12月12日、遼陽(旧満州国)に日本人の両親の元に生まれる。

小学1年生のときにピアノを習い始め、終戦後に大分県に引き揚げると、別府の駐留軍キャンプ「つるみダンスホール」でジャズピアニストとして演奏を開始。

1953年に来日したオスカー・ピーターソンに才能を見出され、1956年に日本人として初めてバークリー音楽院に奨学生として渡米。

1973年に自身がリーダーを務めるビッグバンドを立ち上げると、ジャズと日本古来の和楽を融合した新しいサウンドが高く評価され、以後様々な賞を受賞。

※代表曲

故郷から遠く離れたアメリカの地でジャズミュージシャンとして生きてきた苦しい道のりを表現した曲。題名の"Yellow"は黄色人種としての自分を表しているそう。

※すごすぎる受賞歴

グラミー賞ノミネート回数14回

※正確にいえば「受賞歴」には入らないが、グラミー賞の正式ノミニー(最終候補)に選ばれること自体が稀有かつ名誉なことである。

米国DownBeat誌の「ビッグバンド部門」では、批評家投票で1979年から5年連続1位、読者投票でも1978年から5年連続1位を受賞

その他、「ベストアルバム部門」や「作曲家部門」などを合わせると、1978年から1996年までの間に合計で29回も1位を獲得している。

日本人としてダウンビートマガジンの表紙を初めて飾ったのも秋吉敏子(1980年)。

2013年3月に上原ひろみ(Pf)が表紙に登場し話題になったが、その間33年、日本人ミュージシャンが表紙に登場したことはなかった。

全米芸術基金"Jazz Master賞"を受賞(2006年)

米国を代表する偉大なジャズミュージシャンだけに贈られる、米国ジャズ界で最も権威のある賞。秋吉敏子が受賞した2006年時点で87人しか受賞者がおらず、同年の受賞者がカーティス・フラー(Tb)やフィル・ウッズ(Sax)と聞けば、ジャズをかじった程度の人でもこの賞のすごさが分かるはず。

日本人で始めて『国際ジャズの殿堂(International Jazz Hall of Fame)』入り

その他、紫綬褒章、旭日章、NHK放送文化賞など、多数受賞

日米の名誉表彰だけでも20件以上、ジャズ雑誌などの受賞歴を入れれば100件近い受賞歴があると思われる。

※すごすぎる活動歴

1953年、銀座のナイトクラブで演奏中、来日していたオスカー・ピーターソン(Pf)に才能を見出される

初レコーディングのプロデューサーは、"Verve"と"Pablo"の両レーベルの創設者として有名なノーマン・グランツ

ファーストアルバム"Amazing Toshiko AKiyoshi"から。当時の秋吉敏子はバド・パウエル(Pf)の影響を強く感じさせる力強いな演奏が特徴的。

1956年、バークリー音楽院に奨学生として入学するため渡米

秋吉は後に渡辺貞夫(As)をバークリーに呼び寄せており、その渡辺の著書を通じていわゆる「バークリー・メソッド」と呼ばれるジャズ理論が日本にもたらされた。

バークリー音楽院に在学中の映像。在学中にはニューポート・ジャズフェスティバルなどにも出演しており、演奏技術と作曲センスの両面から注目を集めていた。

1973年に夫のルー・タバキン(Ts、Fl)と秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成すると、バンドを解散する2003年まで、30年にわたって継続的にライブ活動を行う

ビッグバンド(ジャズ・オーケストラ)は、大所帯(16人~20人程度)であることが災いして、経済的に成り立たなくなり解散してしまうことが多く、30年以上も活動を継続させているバンドは数えるほどしかない。

NYの超名門ジャズクラブ"Birdland"で、1996年から2003年までの間レギュラーバンドを務める

「レギュラーバンド」とは、ツアーに出ているときなどを除き、毎週同じ曜日に出演するバンドのこと。毎週でも集客ができる人気はもちろんのこと、常連客を飽きさせないだけの豊富なレパートリーがないと務まらないため、極めて実力の高いバンドでないと務まらない。

73歳でビッグバンドを解散した理由は「ピアニストとしての原点を見つめ直し、もっとピアノが上手くなりたい」から

73歳でも向上心は衰えず。

80歳でバンドを再結成

「久々に集まっちゃう?」的なノリだったのかどうかは不明だが、日米のファンが切望していたのは間違いない。

83歳にしてブルーノート東京で4日連続&毎日2ステージのライブを開催 → 連日満員

バンドのメインソリストは、もちろん旦那のルー・タバキン(73歳)。

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frompapuaさん