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【幻の東京五輪】1940年、東京はオリンピック誘致に成功していたのに、辞退していた

オリンピック招致で何かと話題になる東京都。しかし、かつては東京はオリンピック招致に成功していたのに開催を辞退した経験も持っている。実は1940年、東京はオリンピック誘致に成功していたのに、戦争の影響で辞退していた。この歴史についてまとめました。

更新日: 2013年09月07日

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shiro05さん

1940年(昭和15年)、幻の東京五輪・・・

・実施が見送られた背景には、日中戦争などの、当時の日本が歩みつつあった戦争の歴史の暗い影がある。「史上初めて欧米以外の有色人種国家」でのオリンピックとなるはずだったのにそれを辞退した背景には何があったのだろうか。

東京とヘルシンキの一騎打ちとなり、東京が開催権を獲得しました。

・日本と同盟関係にある枢軸国のイタリアを説得して、ローマが招致を断念。そしてヘルシンキとの一騎打ちに持ち込んだ結果、東京での開催が決まった経緯がある。

史上初めて欧米以外の有色人種国家、そしてアジアで行われるオリンピック大会として準備が進められていたものの、日中戦争の影響等から日本政府が開催権を返上、実現には至らなかった。

駒沢公園は、1940年に日本で行われるはずであった、第12回大会のメイン会場、選手村などの建設予定地であった。

・その駒沢公園は、後の1964年東京オリンピックの会場として「返り咲き」を果たしたことでも知られる。

戦争によって世界から批判された1940年の東京オリンピック。

国内では大会組織委員会を設置するなど準備が進められました。しかし、1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件勃発以降、日本に対する国際的な批判の高まりを背景として、東京でのオリンピック開催に反対する動きが各国で強まっていきました。また、国内からも、現在は物心両面で国の総力を挙げて戦局に対処すべきであるとして、オリンピック開催に反対する声が高まっていました。

・戦争の暗い影は、オリンピックの開催にまで影響を及ぼしていた。世界からの批判を浴びた結果、また国内からのオリンピックを自粛すべきとの声の結果、1940年の東京での開催は断念となった。

東京開催が決まった直後の1937年、日本軍と中国軍の間に盧溝橋事件が発生、近衛文麿内閣は「これ以上戦争を拡大しない」との声明を発表したものの、戦火は広がるばかりだった。

・この翌年(1938年)、閣議で開催取りやめの勧告が出されることになる。

・また、国際的に承認されず、日本の傀儡国家として批判されてきた満州国のオリンピック参加をめぐっても問題になっていた。

各種団体からの満州国選手団の参加を求める抗議行動が続いていた。

・ちなみに、1932年のロサンゼルス五輪をめぐり、満州国の選手として、国威発揚のために出場させようとした中国人の選手がいたが、その選手が満州国代表としての出場を拒否したという話もある。

そして1940年東京五輪は「幻の大会」になってしまった

日本政府は1938年(昭和13年)7月にその実施の中止を決定した。1940年(昭和15年)大会の代替地として、オリンピックの招致合戦で東京の次点であったヘルシンキが予定されたが、第二次世界大戦の勃発によりこちらも中止となった。

・結局、東京で開催できなかった1940年のオリンピックは、代替地であるヘルシンキでも開催できず。1940年は結局「オリンピックが開催できなかった年」となった。

参考

・その後、東京は1964年にオリンピックを本当に実施する事になった。

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