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romonさん

人物

ボディビルとの出会い

目標を失いふらふらしていたところ、偶然東大ボディビル部の先輩と出会い、進められるまま関東学生選手権に出場する。

まるで大人の中に子供が混じっているような状態で、恥ずかしさと情けなさで泣きそうだったという。しばらくすると惨めさが消え、今度は激しい怒りが湧きあげてきた。

その日以来東大に通わず、日雇いのアルバイトで金を稼ぎ、狂ったようにトレーニングする日々が続いた。

肉体改造

家族と一緒にとる「普通の食事」以外に、卵を20-30個、牛乳を2-3リットル、さらに鯖の缶詰を3缶、加えてプロテインの粉末300gを毎日摂取した。

さらに筋肉のサイズアップに効果があるとして、鶏肉をミキサーにかけペースト状にしたものを大量に摂取した。

凄まじい執念が実り、わずか1年程で96kgまで増量、2年後の関東学生選手権を圧倒的実力で優勝。

伝説の1985年アジア選手権

ミスター日本ボディビルコンテストに出場した時の様子。

彼の経歴の中でも最も語り草となっているのが、1985年アジア選手権における凄まじい減量である。

8月11日の実業団選手権に優勝した直後、急遽アジア選手権のオファーが入る。

大会まで4日しかない期限の中で、100キロを走りぬくマラソンによって14キロのダイエットを成功させる。

計120kmを15時間かけて走り抜き、14kgの減量に成功。アジア選手権、ライトヘビー級のタイトルを手にする。

タレント活動

1986年7月20日 「ジャパン チャンピオンシップス」において優勝。かねてから憧れであった「ミスターユニバース」の切符を手にする。

しかしドーピングコントロール委員会により筋肉増強剤の使用ありと言い渡され失格になってしまう。

事実上国内でのコンテストビルダーとしての道を閉ざされた北村は、自らのステージを切り開くために芸能界へ足を踏み入れ、TV出演やセミナー、後に海外コンテストなどにも活躍の場を求めていくようになる。

壮絶な最期

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