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灘中灘高の伝説教師、橋本武氏死去。「銀の匙」を教材に選んだ4つの理由、その信条

恩師の存在が人生においていかに大切か、を感じさせられます。

更新日: 2013年09月12日

njip.fibさん

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伝説の教師 橋下武さん亡くなる

小説「銀の匙」一冊を3年かけて読むユニークな授業で知られ、伝説の国語教師と呼ばれた神戸市の進学校灘中・高校の元教諭、橋本武(はしもと・たけし)氏が11日午後、神戸市中央区の病院で死去した。101歳。京都府出身。

関係者によりますと、橋本さんは神戸市東灘区の自宅で1人で暮らしていましたが、先月、暑さで体調を崩して市内の病院に入院し、11日午後6時すぎに亡くなったということです。

手作りのプリントで授業を行う

1912年生まれ。34年に東京高等師範学校(現・筑波大)を卒業後、神戸市東灘区の旧制灘中学校(現・灘中学、高校)に赴任。戦後は「生涯、心の糧になるような教材を」との信念から教科書を一切使わず、手作りのプリントを授業で用いた。

それには時間と労力がかかります。しかし、自分がしたいことをやらせてもらえるということで、夢中でやっていた。若かったから、夜の2時、3時までガリガリとやっていてもいっこうに苦になりませんでした。

「ぺらぺらでこんなものでは授業なんかできないと思いました。それでもなんとか生涯に渡って子供の記憶に残る授業をしたいと考えていました」

「銀の匙」を取り入れる

軍国主義的な記述を黒塗りした教科書に嫌気が差し、小説「銀の匙」を3年かけて読む「スローリーディング」を授業で実践。

小説「銀の匙」を3年間かけてじっくり読み解くユニークな指導法を取り入れたことで知られ、作家の遠藤周作さんをはじめ、多くの著名人を教えました。

「教え子は、神奈川県知事、東大総長、最高裁事務総長、作家の遠藤周作氏など第一線で活躍する人が多数」

『銀の匙』で学んだ初代生徒たちは、6年後に15名が東大合格。その6年後、2代目は京大合格者数では日本一に。そして3代目。1968(昭和43)年に灘校はついに東大合格者数日本一という快挙を成し遂げた。

アンケート調査をしたら、『銀の匙』の授業を始める前には5%しかいなかった国語好きの生徒が、95%にまで増えました。

「銀の匙」を題材に選んだ4つの理由

『銀の匙』は、夏目漱石も絶賛するほどの美しい散文でつづられていて、日本語の勉強にはもってこいです。

内容も、等身大の男子の成長が描かれていて、生徒も追体験しやすい。

江戸下町の風俗や、日本古来の風習などが散りばめられていて、知識を広げる余地がいくらでもあります。

新聞小説であったため、1章の分量が長からず、短からずで、授業で扱いやすい点にも注目しました。

調べさせ、考えさせる授業を展開

「学ぶ」と「遊ぶ」の境界線をなくし、数多くの手作りのプリントを使って、どんどん横道にそれながら『銀の匙』を少しずつ少しずつ咀嚼(そしゃく)するように丁寧に教えていく。

●「遊ぶ」と「学ぶ」の違いは何か?
●“ぶ”を取って残った言葉にはどんな語句が当てはまるか?
●「遊」の字がもつ意味は?
●「ぶ動詞」を探してみよう。思い浮かんだ数が今の国語力。
●「あかさたなはまやらわ」を反対から言える?

教材中の章のタイトルを自分で考えさせたり、言葉の意味を自分で調べさせたり、ときには中勘助さんに直接、質問の手紙を書かせたりもしました。

たとえば「みそっかす」という言葉は辞書を引けばわかりますが、関西人には聞き慣れない言葉です。そんなことを手紙で中勘助さんに聞いたら、実にていねいに返事をくださる。

生徒たちはますます張り切って調べ物をしたり、質問の手紙を書いたりしていました。

橋本さんが国語を好きになった理由

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njip.fibさん