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romonさん

少年期の戦争体験

美輪の実家は、長崎市内の「丸山遊郭」と呼ばれた遊郭街で、『世界』という名前のカフェを経営していた。しかし「敵性文化を商売にする事は時局にそぐわぬ」と言われて、カフェを閉店せざるを得なくなり、金融業に転業。

1945年8月9日、美輪は縁側の机で宿題の絵を描いていた。絵の出来を見ようと椅子から立ちあがり後ろに下がったとき、凄まじい光に包まれたと思った瞬間、大音響、地響き。瓦が落ち、窓ガラスが飛び散った。

美輪は奇跡的に一命を取り留めた

投下した原子爆弾によって当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊した。(wikiより)

家の外は地獄絵図だった。髪がずるりと抜けた人、服なのか皮膚なのか判別がつかないほど焼けただれた人。理性的な行動をしている人は誰もいなかった。

「ずいぶん多くの人に末期の水を飲ませました」(美輪)

美輪自身も放射能の後遺症に苦しむことになる。

髪が抜け落ちたり、吐血した「死んでたまるか、と思ってました」(美輪)

終戦後、憂さ晴らしに観た映画の中で、主題曲などを歌う加賀美一郎少年の美しいボーイソプラノに衝撃を受ける。

その日から1週間毎日映画館に通い、何曲もの歌詞を聞いて書き取りすべて覚えきった

歌手を夢見て、1951年の春に国立音楽大学付属高等学校進学の為、15歳で上京。

シャンソン歌手

上京後まもなく実家が破産。学校を中退し、ホームレスに近い生活を送ることに。

「駅の構内は、焼け出された人がぎっしり住んでいた。雨露がしのげるところを探して、ビルとビルの間をさ迷いました。それでやっと見つけた寝られる場所で、体にかける新聞は、下着に入れて隠しておくんですよ。取られちゃうから」(美輪)

銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』の美少年募集の張り紙をきっかけに、銀巴里との専属契約を交わし、歌手デビュー。国籍・年齢・性別不詳として売り出す。

シャンソンを中心にタンゴ・ラテン・ジャズを歌い、日劇やTV・ラジオに出演するようになる。

22歳のとき「メケメケ」でレコードデビュー。マスコミに「神武以来の美少年」と取り上げられて全国的に名が知られるようになる。

三島由紀夫との関係

戦後の日本文学界を代表する作家の一人。代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『豊饒の海』四部作など、戯曲に『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』など 人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。(wikiより)

美輪は三島由紀夫、野坂昭如、大江健三郎、遠藤周作、寺山修司、なかにし礼等、文化人の支持を得る。

中でも、70年に自決した文豪・三島由紀夫との親密な関係はあまりにも有名である。

三島は美輪を「天上界の美」と絶賛

三島は美輪に「君には一つ欠点がある。それは俺に惚れない事だ」と言ったエピソードがある。

映画版「黒蜥蜴」では俳優同士としてキスシーンも演じた

同性愛を公表

週刊誌にて、自身が同性愛者である事を公表。

同性が好きだと公言した日本で最初の芸能人と言われている

しかし、世間の風当たりが強く、化け物扱いされ、美輪は見も知らぬ人から石を投げつけられたこともあったという。

美輪は自著で「男も人間なら女も人間。とすれば、男が女を愛し、男が男を愛し、女が女を愛しても、神の目から見れば、それはただ人間が人間を愛しているだけではないか」と表現している。

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