1. まとめトップ

競技中の事故で死亡したレーサーまとめ

競技中の事故で亡くなったレーサーをまとめました。

更新日: 2018年12月12日

115 お気に入り 3004303 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

romonさん

動画は衝撃の強いシーンを含みます
閲覧する場合は注意してください

スペインのオートバイレーサー
ロードレース世界選手権Moto3クラスで活躍
2012年にはポイントランキングで2位を獲得

2016年、カタルーニャグランプリの2回目のフリー走行中、右の高速コーナー(12コーナー)で転倒、バウンドしたマシンが彼の体に落下した。この結果セッションは赤旗で中断された。

サロムは治療のためにカタルーニャの病院へ搬送され手術がおこなわれたが、帰らぬ人となった。24歳没。

2015年のレース中、他のクラッシュしたマシンから飛散したやや大きめのパーツ片がヘルメットを直撃。意識を失ったウィルソンのマシンは惰性でイン側のウォールに接触し停止した。

ウィルソンはマシンから救出され搬送されるも、意識不明の危篤状態であることが発表された。回復を祈る声が寄せられたが、意識が戻ることがないまま、同病院にて死去した。37歳没。

フランスのレーシングドライバー
2013年マルシャF1チームと契約
2014年の第6戦モナコGPで初入賞(9位)

2014年、日本GP決勝レースにおいて、マシンのコントロールを失ったビアンキはアウト側に高速のままコースアウト。クレーン車の後方に潜り込むような形で追突してしまった。ビアンキは意識を失い、病院へ搬送され緊急手術が行われた。

自発呼吸の回復とバイタルサインの安定が認められた事から母国への移送ができると判断、フランスの病院に転院した。2015年、意識が戻らないまま入院先の病院にて死去。25歳没。

デンマークのレーシングドライバー
2002年にスポーツカーレースに転向
オーストラリアGT選手権のタイトルを獲得した

2013年のル・マン24時間レースにおいて3ラップ目にクラッシュ、事故死した。34歳没。

日本のレーシングドライバー
本名は中嶋修
フォーミュラ・ニッポンやスーパーGT/スーパー耐久で活躍

2012年、他車が撒いたオイルにより、コントロールを失い防護タイヤに激突。ヘリコプターで緊急搬送されたが、脳挫傷により死亡が確認された。54歳没。

イタリアのオートバイレーサー
2008年のロードレース世界選手権において250ccクラスのチャンピオンとなり、2010年からは最高峰のMotoGPクラスに参戦していた

2011年マレーシアGPの決勝レース中、前輪のグリップを失い転倒。コーリン・エドワーズとバレンティーノ・ロッシの2人は、コース中央に急角度で戻ってきたシモンチェリを避けようとするものの、すでに回避不可能な位置と速度であった。

エドワーズはシモンチェリの身体とマシンに激突し、その後ろにいたロッシもシモンチェリの頭部に衝突、意識不明の心停止状態となる。即座に心肺蘇生が行われ緊急搬送されたものの、死亡が確認された。24歳没。

2011年、ハイバンクの1.5マイルのなかでこの年最多の34台が時速360kmで密集して走るという異常な状況の中で、12周目に大クラッシュが発生する。

他のマシンに乗り上げて宙を舞ったウェルドンのマシンは、SAFERウォールの上のキャッチネットの支柱にコックピット側から叩きつけられてしまい、搬送先の病院で死亡が確認された。 33歳没。

日本のオートバイレーサー
2008年の全日本ロードレース選手権250ccクラスシリーズ2位
2009年から2010年までロードレース世界選手権に参戦した

2010年サンマリノグランプリにて、縁石外側と人工芝の間でスリップダウンを起こし転倒。富沢はコース上に投げ出されたまま横たわり、後続車が次々と接触。病院へと搬送されたが死亡が確認された。19歳没。

イギリスのレーサー
父は2輪のWGPと4輪のF1世界選手権の両方で世界チャンピオンになったジョン・サーティース

2009年のF2選手権第4戦で、クラッシュしたマシンから外れたタイヤが飛び跳ね、コースを走行していたヘンリーのヘルメットを直撃した。事故後すぐに空路で搬送されたものの、タイヤの直撃が致命傷となっており死亡した。18歳没。

オランダのレーシングドライバー
2004年にROTAX Jr Max欧州選手権でチャンピオンとなった
その後もカートレースに参戦

2009年の国内選手権に参加したが、スタート直後ほかのカートと接触しクラッシュを喫した。その際マシンは何度も回転しクノッパーはマシンから投げ出され首の骨を折り死亡した。19歳没。

1 2 3 4 5 6 7 8