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「あさま山荘事件」の連合赤軍メンバーのその後が壮絶すぎる。自殺、病死、逃亡、静岡でスナック・・・

昭和を揺るがした大事件「あさま山荘事件」「山岳ベースリンチ事件」をおこしたテロ組織「連合赤軍」。事件から40年を迎えようとしている中、その後の彼らの人生が壮絶すぎるのでまとめました。

更新日: 2018年05月04日

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tetsukota96さん

連合赤軍とは

1971年から1972年にかけて活動した日本のテロ組織、新左翼組織の1つ。共産主義者同盟赤軍派と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流して結成された。山岳ベース事件、あさま山荘事件などを起こした。

山岳ベース事件

1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。当時の社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍の起こしたあさま山荘事件とともに日本の新左翼運動が退潮する契機となった。

都市部での活動に敗退した赤軍派と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会は山岳ベースを築き合流して連合赤軍となる。
山岳ベースでは共産主義化の理想のもと厳しい統制や教化が敷かれ、その行き過ぎた末路が14人もの同士を殺しあうリンチ事件となった。
注目すべきはメンバーのほとんどが一流大学を出ていることだ。

浅間山荘事件

1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。

山岳ベース事件後、警察の手が及んできたため逃走を図る連合赤軍。
指導部が逮捕されたことにより迷走し、その逃げ着いた先が浅間山荘であった。
銃で武装した彼らは人質を取り、警察と熾烈な銃撃戦を繰り広げた。
事件で左翼の英雄として語られたがのちに山岳ベース事件があらわになると、左翼活動は急激に衰えその最後を締める役になった。

連合赤軍メンバーのその後

森恒夫(最高幹部) 獄中にて自殺

昭和48年1月1日、元連合赤軍最高幹部・森恒夫は、初公判を待たずに東京拘置所で首吊り自殺しているのが発見された。

森恒夫は、前年の7月に同じく東京拘置所で遺書めいた文章を書いている。

「私は自分が狂気の世界にいたことは事実だと思う。私は革命の利益から考えて有罪であり、その罪は死刑である、ということである。

私が亡き同士や他のメンバーに対して言った『革命家たる者は革命の利益に反することをした場合、自らの死を持って償(つぐな)わなければならない。』ということを文字通り守らなければならないということである。」

永田洋子(最高幹部) 脳腫瘍で寝たきり後、多臓器不全

1971~72年の一連の連合赤軍事件で殺人や死体遺棄罪などに問われ、93年に死刑が確定した元連合赤軍幹部の永田洋子死刑囚(65)が5日午後10時6分、東京拘置所で死亡した。死因は多臓器不全とみられる。複数の関係者が明らかにした。

 永田死刑囚は84年に脳腫瘍の手術を受けたが、2006年3月に東京拘置所で倒れ、脳萎縮と意識障害が認められ、同5月に八王子医療刑務所に移送。07年3月に東京拘置所に移されたが、この間、寝たきりの状態が続いていたという。

永田の著作。
自己弁護との批判もあるが、永田の心理を知る手がかりになる。

坂口弘(浅間山荘事件主犯) 現在も東京拘置所在監

1993年2月19日、最高裁で上告棄却し、死刑確定。最高裁判決はあさま山荘事件発生日からちょうど21年であった。判決訂正の申し立てをするが、3月9日に棄却され、死刑が確定する。東京拘置所在監。17人殺人(司法の認定としては16人殺人と1人傷害致死)は死刑囚としては当時の戦後最悪の数字であり、オウム真理教事件で27人殺人(司法の認定としては26人殺人と1人監禁致死)を犯した麻原彰晃の死刑判決が2005年9月に確定するまで破られなかった。

坂口の死刑が執行されていないのは、共犯者である坂東國男が国外逃亡して裁判が終了していないためとされている。

あさま山荘事件のリーダー格;坂口弘の著作。

坂東國男(浅間山荘事件主犯) 超法規的措置により釈放・国外脱出し日本赤軍に参加。

あさま山荘事件から3年後の昭和50年8月4日、「日本赤軍」がクアラルンプールのアメリカ大使館を占拠し、日本で投獄中のメンバーの釈放を要求するという事件が起きた。

この日本赤軍がアメリカ大使館を占拠して人質を取り、その交換条件として連合赤軍の釈放を要求してきたのだ。

日本政府はこの条件を飲み、超法規的措置として、5人のメンバーを釈放したが、そのうちの一人が坂東国男であった。坂東国男はこのまま海外へ逃亡し、日本赤軍と合流することとなった。

この時、元連合赤軍のNo.3で「あさま山荘事件」の主犯格であった坂口弘も釈放の対象として日本赤軍から要求があったが、坂口本人が釈放されることを拒否している。

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