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さん

チャゲアスというと一般的に思い起こされるのは『SAY YES』と『YAH YAH YAH』。
J-POP史に残る名曲なのは確かだが、「愛と勇気」とでも言うべきこの二曲のために陳腐なイメージがチャゲアスにはついてまわる。
しかし、じつはASKAは一時期、著しくロックな活動をしていたことを知っているだろうか―――

この動画は98年、MTVアジアのイベントにASKAソロで招かれた時のものである。
どうだろう。パブリックイメージとはかけ離れるパフォーマンスではないだろうか。
とてつもなくハスキーな声で絶唱するASKA。
ここには「SAY YES」のド・ポップな「チャゲアス」はいない。

ASKAは何かを振り切るように、97年にソロ活動に突入した。
『はじまりはいつも雨』(’91)『晴天を誉めるなら夕暮れを待て』(’95)などがASKAソロとして知られているが、これらはあくまでもチャゲアスの幕間劇としてのソロ活動だった。
97年からのソロはそれまでとはまったく意味合いが違う。
本格的ソロ活動の狼煙をあげる意味で発表された『ID』は、異常に暗い曲調と歌詞で、ファンは大いに混乱させられることになる。
♪ID
「かるく麻酔を打たれたくらいの速さで 僕の夢は深い場所を抜けて行く」
ドラッグの幻想の世界を示唆するような、かつてない世界観だ。
あのポップな「みんなのチャゲアス」はどこに?続いて発表されたアルバム『ONE』もつかみ所がなく、一風変わった曲がいっぱい入っている。

97年のソロアルバム『ONE』はロンドンで、現地の優秀なプレイヤー、プロデューサーによって録音された。
シングルカットされた『ONE』のPVも英国人によってプロデュースされている。
独特の胸苦しい雰囲気が充満している。

♪ブラックマーケット
「不良品でも並べます あしたは場所を変えます みんなこっちだよ 他人同士さ 電波になって 秘密になって 汗の出所も消えてます」

初めてのソロツアー『ID』では異常にリラックスした様子のASKAが見られる。
実際にASKAも「チャゲアスのときは何回やってもステージ前は緊張するけど、ソロではまったくしない」というコメントを残している。
J-POP評論家の田家秀樹に「日本でここまで本格的なロックショーをやれる人はいない」と言わしめたASKAの97年『ID』ツアー。
翌年はもっとすごいことになった。

翌98年は予定していたチャゲアスの活動を取りやめ、ソロ活動を継続。
ツアーのときに集めたメンバーが最高だったようで、快感を手放せなかったのだろう。
キーボードに松本晃彦、ギターに是永巧一、ドラムに江口信夫という、日本でこれ以上はないという布陣。
お互いをリスペクトし合っての、最高のプレイが展開された。
ソロ次作は日本で録音された。アルバム『kicks』を発表。
当時の音楽雑誌にはロックとクラブミュージックの融合(?)などと書かれる問題作となった。
ツアー『kicks』を敢行し、MTVのイベントで台湾に招かれたときの映像も残されているが、どちらも狂ったかのような熱唱ぶりだ。

♪now
「いまここにあるのはマスターキーかい エクスタシーかい 警戒しても匂いに 向かっちまう」

絶唱に次ぐ絶唱でASKAの信じがたい98年は過ぎ、翌99年はチャゲアス20周年のため、再始動。
チャゲアスでもロック路線を継続。CHAGEも歩調を合わせてしかるべき曲を作った。

『この愛のために』 2年のソロ活動ののち、99年に発表されたチャゲアスの最高傑作。
この年に発表されたアルバム『NO DOUBT』も疑いなく名盤である。
しかし残念ながら、2000年以降は才能が枯渇してしまい、名曲名盤と誉れ高い作品は99年までである。

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