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日本人が作ったor実用化した世界初の発明品まとめ

日本人が開発した世界初のもののまとめ。諸説ある場合は説明文にて併記いたしました。

更新日: 2019年07月20日

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holy777さん

ビジュアルホン VP-210は、DDIポケット(現ウィルコム)向けに供給された京セラ製PHS端末である。世界で初めて市販されたカメラ付き携帯電話(※厳密にはPHS端末)である。この発売時期は、同様にカメラを搭載したJ-SH04の発売を1年以上さかのぼる。また、VP-210は世界で初めて市販された移動体電話上のテレビ電話でもある。VP-210のカメラは主としてテレビ電話用に搭載されており、静止画のデジタルスチルカメラのためにカメラを搭載したJ-SH04と目的は異なっていた。

-Wikipediaより

日本で生まれたインスタントラーメンであるが、日本国外に多数輸出されており、日本国外における「ラーメン」は、この即席製品を調理した料理である事も少なくない。
中国の清の時代に、麺類を油で揚げる製法が開発され伊府麺と呼ばれ広がる。1953年に村田製麺所(現・都一株式会社)の村田良雄が、即席麺に欠かせない屈曲麺製法を発明し特許をとる。1955年に松田産業(現・おやつカンパニー)が「味付中華麺」を即席麺製品として開発した。余り売れずに、細かく砕かれたものが「ベビーラーメン」として売られて人気となった。

-Wikipediaより

カトウ・サトリが1899年(文献によっては1881年)、留学先のシカゴで緑茶粉末化の研究中に、コーヒー抽出液を真空乾燥して粉末にすることに成功、1901年にバッファローで行われたパンアメリカン博覧会で「ソリュブル・コーヒー」(可溶性コーヒー)として発表した。
カトウによる発明の事実に関する一次文献は散逸しており、引用あるいは孫引きと思われる文献においても名前表記が“Satori”(サトリ)、“Satoru”(サトル)、“Sartori”(サルトリ)などと一定しない、謎に包まれた人物である。

1969年に上島珈琲店(現UCCコーヒー)が発売したのが世界初。
他にも、1959年1月に外山食品が発売を予定した『ダイヤモンド缶入りコーヒー』(実際に発売したかは不明)。1965年島根県浜田市のコーヒー店「ヨシタケコーヒー」の店主・三浦義武が日本橋三越で販売した『ミラ・コーヒー』を世界初の缶コーヒーとする説もある。

1887年小型湿電池の性能に不満を抱いた日本の時計技師屋井先蔵が、より取り扱いが簡素でまた日本の寒冷地でも使用可能な時計用小型一次電池「屋井式乾電池」を発明。
しかし、国内的にはあまり注目されず、むしろ万国博覧会出品で乾電池の存在が国際的に認知されることとなったが、発明者が屋井先蔵であることが知られるのはしばらく後の事になった。

ローソク足チャートは、株価などの相場の値動きを時系列に沿って図表として表す手法の一つ。ローソクチャートともいう。ローソク足は江戸時代に出羽国の本間宗久が発案し、大阪・堂島の米取引で使われたといわれている。今では日本国内だけでなく、日本国外でも用いられる。

財団法人安全交通試験研究センタ-の三宅精一が1965年に発案、発明し、1963年に岡山県立岡山盲学校に近い国道2号(現:国道250号)原尾島交差点周辺(現:岡山県岡山市中区)に世界で初めて敷設された。

1997年12月に発売された世界初の量産型ハイブリッド車。

1964年に開業した東海道新幹線の0系新幹線(写真右)が世界初。

真珠(しんじゅ)あるいはパール(Pearl)とは貝から採れる宝石の一種である。
養殖貝による真珠生産の歴史も古く、11世紀の中国などで既に行われているが量産することは難しかった。日本では1893年に箕作佳吉の指導をうけた御木本幸吉が英虞湾神明浦で養殖アコヤガイの半円真珠の生産に成功し、1905年、英虞湾の多徳島で真円真珠の生産に成功している。

1970年以前には、日本では既にハードウェアとしてはマイク入力つきの8トラック式小型ジュークボックスが、また、ソフトウェアとしては伴奏用ミュージックテープが販売され、これらを使って歌を歌わせる店が出現していた。
井上大佑は、カラオケ関連サービスと専用装置を1971年に発明したと主張している。井上は8トラック再生機に、予め用意された調やテンポから選択して再生、歌唱できるテープを添付し、「8 Juke」と名づけてリース販売したことで、人気を博した。

-Wikipedia「カラオケ」より

当初から航空母艦を運用目的として建造された艦船としては世界初(1919年12月16日起工、1922年12月27日竣工)。
 なお起工時を基準とすると、イギリスのハーミーズ(1918年1月15日起工、1924年2月18日竣工)が世界初となる。また、 改造空母(別目的の艦船を空母に改造)としてはイギリスのフューリアス(1917年)が最初となる。

発明者は橋本和芙氏(1995年に73歳で死去)。1951年発明者が引越しをした時、以前の住人の借金催促電話が夜中までかかってきた。これではたまらないと電話がかかって来た時、電磁石により受話器を上げ、あらかじめ録音したテープレコーダーから自動応答の声が出る装置を作った。これは1957年に電話自動応対装置として日本で特許をとった。そしてパイオニアと共同開発により、1960年に米国でアンサホンとしてヒット商品になったのである。この初代の“留守番電話”は、スミソニアン協会の米国歴史博物館に寄贈されている。

出典 - http://allabout.co.jp/gm/gc/292598/2/

私たちが普段よく目にする男性と女性のシルエットのマーク。おそらく誰もが「トイレ」を示したマークだとわかります。実は、この「トイレマーク」は、1964年の東京五輪で誕生しました。64年の東京五輪は、アルファベット言語圏以外での初めての開催。様々な言語を越えて誰もが理解するには、絵で表すのが一番だとデザインチームは考えたのですね。そこで、作られたのが「トイレマーク」です。当時のトイレマークは、今よりも女性のスカートがふっくらしていました。

-NHKホームページより
http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/181251.html

現在、一般的に世界中で広く各社に使用されているエアバックは、日本人の発明である。日本でのエアバッグの発明は1963年に遡る。特許申請事務代行業のGIC(グッドアイデアセンター)を経営していた小堀保三郎が、航空機事故などで、衝撃を緩和させ、生存率を改善させる装置として考案した。後に一般的に搭載されるようになったエアバッグではあるが、当時としてはあまりに奇抜な発想だったため、発表の場では、日本人の関係者からは失笑を買い、相手にされることはなかった。

-Wikipediaより

発光ダイオードは低電力光源のため、ディスプレイへの応用が期待されていた。フルカラー表示のためには光の三原色(赤・緑・青)の発光素子が揃う必要があるが、1980年代中頃までに実用化されていたのは純赤色のみであった。
窒化ガリウムを用いた高輝度の青色LED開発に関して、基礎技術の大部分は赤崎勇、天野浩らにより実現されている。また発光層に用いられているInGaNはNTTの松岡隆志らによって実現されている。それらの技術を使って日亜化学工業の中村修二らが製品化した。
赤崎、天野、中村の三名は青色発光ダイオードに関する業績が評価され、2014年のノーベル物理学賞を受賞した。
-wikipeidaより

1950年に東京大学医学部附属病院分院の宇治達郎とオリンパスの杉浦睦夫、深海正治が世界初の胃カメラ「ガストロカメラGT-I」を開発した。これは小型カメラと光源の豆電球を備えたものだった。
その後、東大病院分院の城所仂、今井光之助、田坂定孝、崎田隆夫などにより普及が進められた。

1980年代にポケベルが日本で流行すると、これに搭載された絵文字の利用も多くなった。そして携帯電話にも絵文字機能が搭載されると日本では幅広く使われるようになる。
2000年代までは海外で使用されることは少なかったが、スマートフォンに搭載されるようになると爆発的に利用が広まり、現在では"Emoji"として世界中の人々が愛用している。

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