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10月6日聖誕 君は故・マッスル北村を知っているか? ―ぜひ、愚直なあなたに見て欲しい―

その男の名前はマッスル北村。己に挑み続ける人生をひた走り40年という速さでこの世を走り切った男。ボディ・ビルダー界に一石を投じ、ストイックなその姿勢にはプロフェッショナルに共通する煌めきがあった。本名、北村克己。グラップラー刃牙の愚地克巳のモデル。

更新日: 2014年02月22日

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この記事は私がまとめました

frontwarksさん

今日は、彼の誕生日だ

冒頭いきなりで申し訳ないが、マッスル北村を「知る人」も「知らない人」も黙って、まずは、黙とうを捧げてほしい。頼む、お願いだ。

なんでこんなことをやらされるのかと思うかも知れないがこの記事を読んで損はさせないから、お願いします。

故人、マッスル北村とは?

マッスル北村
(マッスルきたむら、1960年10月6日 - 2000年8月3日)

ボディビルダー、タレント
本名、北村克己(きたむら かつみ)

東京大学理科II類中退、東京医科歯科大学医学部中退。

高学歴と相反するような生き方で、私も初めはすごく衝撃的だった。正直なところ多少バカにしていたかもしれない。私の最初は”オモシロタレント”のマッスル北村だった。

もはや伝説と揶揄される「1985年アジア選手権のトレーニング」

・8月11日の実業団選手権に優勝した直後、急遽アジア選手権のオファーが入る。チャンスとばかりに二つ返事で了承したはいいが、あと4日しかなく、コンテスト直後で身体は疲弊しきっている状態であった。「この状態で出ても結果は知れているので、少し好きな物を食べて筋肉に張りを持たせよう」と考え、食べ始めたが最後、コンテスト直後の食欲は凄まじく、コントロールできないまま食べ続けた結果、わずか2日で85kgから98kgへ太ってしまう。

・普通の人間は棄権するところだが、ここで彼は一か八かの賭けに出る。電車を乗り継いで山奥まで行き、そこから自宅までの100㎞マラソンに挑戦する。途中で足の爪がはがれ、シューズの中が血でグショグショになるほど悲惨な有様だったが、幸か不幸か爪の痛みのお陰で覚醒し、気絶することなく計120kmを15時間かけて走り抜き、14kgの減量に成功。

・アジア選手権、ライトヘビー級のタイトルを手にする。

結果的に1キロもやせている。このエピソードをきっかけに私の中でもアスリートとしての「マッスル北村」に興味を持ち始めた。調べれば調べるほどに愚直な彼の姿が、数々のエピソードが映し出され、そして優しい人間であった証明がいくつも出てきた。

私が、彼の言葉で一番に好きなのは
「ボディビルダーが真に目指す道は、心と身体の調和にあります。自分の感情をコントロールして深い集中に入ったとき心と身体に懸け橋が通ります。」

彼の永遠のテーマを基に、一人のプロフェッショナルとして”マッスル北村”に迫りたい。

マッスル北村、永遠のテーマは「限界への挑戦」

「鍛えることで自分の道は自分で切り開いていけるという信念があった。」とマッスル北村は語っている。彼の限界への挑戦を見ていきたい。

実は、競輪選手・ボクシンサーを目指していた時期もあるが諦めている。挫折から何を学び。影響を受けてきたのだろうか。

・進学校に在学していた高校生時代は自転車に熱中。

・ある日、深夜2時に家を出発し、推定距離200kmを、ただひたすら走り続けるという計画を立て、実際に行動をおこす。
・16時間ぶっ通しで、推定約200キロの、アップダウンの激しい坂道を含む道中を漕ぎ続け喉の渇きを潤すために持ってきた牛乳を飲むも腐っていた。道中で意識を完全に失い、倒れてしまった。
・競輪選手を紹介され、一緒にトラックで走る機会を得たが、競輪選手の驚異的な走行技術に驚き、「僕は足元にも及ばない」と絶望し、競輪選手の夢を諦める。

ボディービルを始める前の兄は漫画の『あしたのジョー』に憧れ、親に内緒でジムに通っていたぐらいですから、体はどちらかといえば細く余計な脂肪がなく、腹筋もしっかりと割れており、それなりに様になっていたのですが、その腹筋も分厚い脂肪に覆い尽くされ、歩くときも股ずれするらしく、足を開き気味に左右に体を少し揺らすように歩くようになってきました。

・浪人時代の行き場のない葛藤の最中、あしたのジョーに出合い、家族に内緒でボクシングジムに通い、ボクサーを目指す。

・裸眼視力が0.01ほどしかない上に「相手が気の毒でね。さぞ痛かろうって思うと殴れないの。自分が殴られたパンチの数を数えておいて、その数だけ殴るの。自分が殴られた分だけならいいかなって」という性格が災いして、この道も諦める。



・様々な挫折は、北村にとって無駄だったというわけでなく、「ボクシングジムでね、アルバイトで暮らしながら練習して、チャンピオンを目指す方がいらっしゃるのね。なれるかどうかなんてわからないけど、その方はチャンピオンになりたいという目標に人生賭けてチャレンジしてるの。そういうのって、人として素晴らしいなって思った」と、その後の北村の人生哲学に影響を与えている。

自転車の話も含めて出典

TV番組「CLUB伸介」より
wikipedia「マッスル北村」より

挫折も多く経験し、ボディビルディングに出会う。

・東大に入学後、東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部の先輩と出会い、薦められるままに関東学生選手権に出場する。しかし、筋肉質とはいえプロボクサーを目指していた55kg程度の身体では、まるで大人の中に子供が混じっているような状態で、恥ずかしさと情けなさで泣きそうだったという。

・しばらくすると惨めさが消え、今度は激しい怒りが湧きあげてきた。凄まじい執念が実り、わずか1年程で96kgまで増量、2年後の関東学生選手権を圧倒的実力で優勝。雪辱は果たしたが、既にボディビルへと傾倒していた彼は、社会人大会へとステップアップしていく。時に22歳。

「人を傷つけない。」「限界に挑戦していきたい。」という彼にはまさに天職であったと思われる。

「マッスル北村」の名づけのきっかけ

当時ボディビルダーとして食べていけなかったため、TV番組の腕相撲の力自慢企画に応募することに
その際付けた名前が「マッスル北村」である。

その腕相撲の企画内容は
5人抜くと5万円、7人抜くと20万円というものであった

タレントとして活躍する一方で、「いつかはボディビルダーとして続けていきたい」という思いを常に持ち続けていた。
本人は自身のマッスル北村の名前を振り返り、「悪役レスラーのようで嫌だ」とも語っている。



タレントとしての自分に対して北村は
「ボディービルダーのアマチュアを続けていきたいという思いも強くプロフェッショナルになり切れていない」とも語るが、
「タレントとしてはブラウン管を通して健康的なイメージでみなさんをハッピーにしていきたい」とも語っていた。

死因は減量を理由とした、事実上の餓死

・2000年8月3日、ボディビルの世界選手権に参加するべく脂肪を極限まで落とすために20kgの減量を行った結果、異常な低血糖状態となり、急性心不全を引き起こして亡くなった。享年39。亡くなる数日前にも倒れて救急車で運ばれており、この時は処置が間に合い助かっていた。身を心配した実妹が「めまいがしたらアメをなめて、アメでいいから」と懇願するも、「僕はそんなカロリーすら摂取したくない」と断る徹底ぶりであった。が、この熱情が結果的に北村の命を奪った。死亡時の体脂肪率は3%を下回っていたと言われている。

今、20代の僕がマッスル北村を調べて思った事

最後に私がなんでマッスル北村を取り上げたのか、どうしても書きたかったので聞いてほしい。

ちなみに、私はリアルでは一度もマッスル北村について見ていない。たぶん正確には見たことはあったかもしれないが、記憶には残っていない。

社会人として世に出て、今僕の周りを見てきて思うのが

こんなにも愚直で、
こんなにも優しくて、
自分にストイックで、
沢山の失敗も経験して、

人によっては要領悪そうでダサいと思うかもしれないが、僕はそうは思えなかった。
どういう大人になりたいのかと思ったとき、つらいとき、逃げ出したいとき
こんなにもさわやかな大人を目指したいと思ったからだ。

常に考え、
常に努力し、
ニコニコ笑って、
「自分はマダマダです。」と言えるだろうか?
言える大人になりたいと思う。

今日、10月6日にこの男は生まれた。
39歳という若さでこの世を去った。
多くのボディビルダーに影響を与えたと思う。

なんでも効率的にこなせる世の中だからこそ、僕の心に刺さったんだと思う。

最後の最後にすごくいい言葉が待っている。最後まで見て欲しい。

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