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ミニスカートが似合っていた 小川知子 いろいろ お騒がせした 芸能人でした

「幸福の科学」の広告塔となり「フライデー」の記事に対する講談社への抗議活動を行うなど、マスコミに大々的に取り上げられ、世間の話題をさらった

更新日: 2018年05月15日

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jiye195623さん

生年月日1949年1月26日
出生地, 広島県広島市
職業歌手・女優
ジャンルテレビ・映画
活動期間1960年 -
主な作品
映画
『大奥㊙物語』(1979年)
テレビドラマ
『金曜日の妻たちへ』

バレエを習いながら小学校5年のとき東宝児童劇団に入り1960年、日本テレビドラマ『ママちょっと来て』でデビュー[2]。
子役としてドラマの出演の他、精華学園女子中学校在学中から日本テレビのバラエティ番組『九ちゃん!』の司会などで活躍[2]。1965年16歳で東映にスカウトされ入社。同期に大原麗子らがいる。『悪魔のようなすてきな奴』で映画デビュー。『大奥㊙物語』(新人賞受賞)、『続・大奥㊙物語』の主演など3年間に10数本の映画に出演。また1965年、TBSの音楽バラエティ番組『夢のスタジオ』の司会を久保浩と共に務める[4]。1966年久保浩と一緒に歌ったリズム歌謡「恋旅行」を初シングルとしてビクターから発売する。1967年精華学園女子高等学校卒業。青春路線をやるという約束で東映にスカウトされたが、結局、青春ものは1本もやらずに、いやらしい題名の映画(『尼寺㊙物語』)をやらせようとしたと、18歳で単身東映本社に乗り込み東映と契約を解消した[5]。東映との契約はまだ2年以上残っており、すぐに東芝から歌手デビューしたこともあって、小川の身勝手な振る舞いに当時のマスコミはさんざん叩いた[6]。

1968年、「ゆうべの秘密」で正式に東芝から歌手デビュー。オリコン1位を獲得するヒットを記録。
なお「ゆうべの秘密」レコーディング時には熱を出していたために、いわゆる「吐息タッチ」な歌声になってしまったという。それでも男心をくすぐるその歌声で一躍人気者となりヒット曲を連打、『NHK紅白歌合戦』には1968年から1970年まで3年連続出場した。『夜のヒットスタジオ』の第1回放送にも出演。俳優時代の演技力を生かし『夜のヒットスタジオ』の挿入コントの柱となり、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』などでもコントを演じた[2]。
1968年人気絶頂時に兄と20日間海外旅行。今でこそ、芸能人でも休みをとるのは普通だが、当時はとんでもないことであった[7]。ミニスカートが流行りはじめると最も早くこれを取り入れる[8]。
18歳の時、キャンティで知り合った恋人のカーレーサー・福澤幸雄(福澤諭吉の曾孫)が1969年2月、テスト走行中に事故死。直後の『夜のヒットスタジオ』収録で「初恋のひと」を歌いながら泣き崩れた事件は、テレビ界に衝撃を与え、伝説化した[2]。

1970年代に入ると、再び映画・テレビを中心に活躍。映画では『「されどわれらが日々」より 別れの詩』(1971年)のヒロインを演じ、日本で人気があったフランス人俳優ルノー・ベルレーと共演した『恋の夏』(1972年)などに主演。
福澤の死から3年たった1973年、福澤が愛し、奪った世界をしっかりこの目で見てこの手で記録し、そして乗り越えたいと、自ら出演、監督、主題歌、撮影、録音、編集をこなしたドキュメンタリー『マカオ・グランプリ』を撮影[9]。また実年齢より落ち着いた色っぽい大人の女性の雰囲気を持ち、20代半ばでダイハツの初代シャルマンのイメージキャラクターなども務めた[10][11]。1975年当時としては珍しく個人事務所を設立[12]。テレビでは1983年から放送を開始した『金曜日の妻たちへ』などの不倫ドラマが有名。また『夜のヒットスタジオ』では、谷村新司とのデュエット曲「忘れていいの」(1984年)を歌唱中、谷村が小川の胸元に手を忍び込ませ、大きな話題を呼んだ。
私生活では1977年、俳優・林与一と結婚(のち離婚)。現在の夫は美術評論家の伊東順二。

1991年、作家・景山民夫と「幸福の科学」の広告塔となり「フライデー」の記事に対する講談社への抗議活動を行う(講談社フライデー事件)。闘士の如く絶叫し、マスコミに大々的に取り上げられ、世間の話題をさらった。この事件以降、マスメディアの露出が極端に減ることになる。その後、1998年に景山民夫が火災により死去した際には、「馬車に導かれて昇天する景山氏を見た」と極めてオカルト色の強い発言をした[13]。
1994年、ドラマ「命ささえて-ママ、パパはエイズなの?」で日本民間放送連盟優秀賞を受賞。
2000年代頃から歌手活動を再開し、2006年には『玉置宏の歌のアルバム同窓会コンサート』で、橋幸夫、錦野旦、フォーリーブスらと全国をまわった。
カラーコーディネーターの資格を持ち、多方面で活躍している。
月刊「アー・ユー・ハッピー?」で、エッセイ「小川知子の素顔のままで」を連載中(2010年~)。

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