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【都市伝説】日本人ユダヤ同祖論【ルーツ】

日ユ同祖論をご存知だろうか?これは書いて字のごとく日本人とユダヤ人が実は同じルーツを持っていて先祖を辿ると同一である、という説である。ここではそれらの概要をまとめてみた。

更新日: 2013年10月08日

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damiane_66さん

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【日ユ同祖論とは一体なに?】

日ユ同祖論(日猶同祖論、にちゆどうそろん)は、日本人とユダヤ人(古代イスラエル人)は共通の先祖を持つ兄弟民族であるという説。
主に、日本人とユダヤ人によって提唱されている。

日ユ同祖論は、主に三つの立場がある。
古代イスラエルの「失われた10支族」は、日本に渡来したという説。
古代イスラエルの「失われた10支族」のみならず、12支族が、日本に来たという説。
古代日本人は、ユダヤ人の先祖であるという説。

【失われた10支族の行方】

●イスラエル政府によって比較的有望とされた説

[1]アフガニスタンに。
パシュトゥーン人にはヨセフ族(エフライム族+マナセ族)の末裔という伝承をもつ部族がいる。10支族はメディア(今のイラン)を経由して東に逃れたという説があり、その地はスキタイ人と同系のサカ族または月氏族が居住し、現在のアフガニスタンの一部を含むものであった。


[2]一部はエチオピアに。
イエメンを経由してアフリカに入ったもの。イスラエル建国後にエチオピアから相当数が移住したが、それ以前には多くのユダヤ人が居住していた。


[3]一部は中国に。
宋代まで開封にはユダヤ人の街が存在した。また中国の回族のうち、かなりの部分が古代ユダヤ人の末裔が改宗したものではないかという説もある。


[4]一部は日本に。
大陸からの帰化氏族である秦氏がユダヤ人(もしくは10支族)ではないかという説。一時は国際的にも有名だった説である

●学術的な検証という意味では上記の説以上に問題があるとされる説

[5]インドのカシミール地方に。
カシミール地方にキリストの墓とモーセの墓と言われるものがある。


[6]インド東部に。
マナセ族の末裔と称するブネイ・メナシェという人々がいる。


[7]ミャンマーに。


[8]朝鮮に。


[9]日本に。
いわゆる「日ユ同祖論」といわれる説。また、かつて北海道の先住民族アイヌ人は、周囲の諸民族とは異なるヨーロッパ人的な風貌のために、古代イスラエル人の末裔だと思われていたこともあった。


[10]イギリスに。
経緯不明のユート人はエフライム族、またはダン族であると言う説。


[11]新大陸(アメリカ)に。
ミシシッピ文化を作った民族・マウンドビルダーはアメリカ先住民の祖先であることが明らかになっているが、19世紀にはマウンドビルダーの正体は謎であり、アメリカに渡った10支族がこれらの遺跡を築いたマウンドビルダーなのではないかとする説もあった。

【日ユ同祖論の起源】

明治期に貿易商として来日したスコットランド人のニコラス・マクラウドは、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱、体系化した。

日ユ同祖論の歴史は、彼の日本での英語の著作The Epitome of The Ancient History of Japan(意味は『日本古代史の縮図』 長崎日の出書房、1878年(明治11年) Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan 京都)によって始まった。

これは、後の1901年、「ユダヤ大百科事典」ニューヨーク版失われた10支族の項目に引用されたという。
彼の主張は、10支族の内の主要な部族は、青森戸来村、沖縄奄美、朝鮮半島らを経由して日本へ鞍馬寺へ渡ったのに対して、ダン族など残りの支族は、そのまま朝鮮半島に留まったというものであり、諸説論理上の整合性は取れている。

【日本と古代ヘブライ(ユダヤ人)の共通点】

日ユ同祖論を語る上で忘れてはならない日本とユダヤの共通点について解説します。

その1 伊勢のカゴメ紋(六芒星)

伊勢神宮の内宮から外宮に至る道路(御幸通り)の両側に並ぶ石灯籠(合計約700基)には、不思議なことに「カゴメ紋(六芒星)」が刻み込まれている。カゴメ紋は別名「ダビデ王の紋章」といわれ、ユダヤ人のシンボルになっている。事実、現在のイスラエル共和国の国旗にも、はっきりと描かれている。

この旗は、1891年にシオニズム運動の運動旗としてユダヤ人ダビデ・ウルフゾーン(リトアニア出身)が考案したものです。

その2 「過越(すぎこし)祭」=お正月

過越祭(ペサハ)はユダヤ教でいう新年の祭りで、ユダヤの祭日のうちで最古、かつ最大のものである。その日は、日本の年越しと同じように、家族で寝ないで夜を明かす。

更に過越祭の日だけは普段と食べるものが違っていて、いつもはふっくらとしたパンを食べるのであるが、この日に限って「種なしのパン(マッツォ)」を食べる。この種なしパンは日本でいう「餅(モチ)」に当たる。しかも、ユダヤ人は丸く平べったい種なしパンを祭壇の両脇に重ねて供えるのだが、まさにこれは日本の「鏡もち」以外のなにものでもない。

また、過越祭は全部で7日間と規定されており、これも日本の正月の期間と全く同じである。

その3 鳥居=ヘブライ語アラム方言で 「門」

神社につきものの「鳥居(とりい)」は、外国人のみならず日本人自身にも説明がつかない代物である。

しかし、ユダヤ人が見れば即座に理解できる。なぜならば、「鳥居」の形は古代ヘブライの建物(玄関口)とそっくりの構造をしているし、赤い色をしていることにはしっかりとした宗教的根拠があるためである。

「トリイ」はヘブライ語アラム方言で「門」という意味である

その4 モーセの「エジプト脱出事件」=日本の鳥居・年越しのルーツ

ユダヤ人の過越祭(ペサハ)は、かの有名なモーセによる「エジプト脱出事件」(紀元前1290年)にルーツを持っているが、同じく日本の年越しも鳥居もこの大事件にルーツを持っているといえる。

モーセは、かたくなな心を持つエジプト王ファラオにヘブライ奴隷集団の脱出を認めさせるため、一種の“魔術競争”をしたのであるが、エジプト脱出前日に“殺戮の天使”がエジプト全土に襲いかかって来た。その時、モーセはヘブライ人たちに“殺戮の天使”の害に合わないためにと、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、“殺戮の天使”が静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示したのであるが、これこそが鳥居のルーツであり、年越しのルーツである。

モーセは、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、“殺戮の天使”が静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示した。

その5 古代ヘブライの神殿=日本の神社

古代ヘブライの神殿と日本の神社の構造は、驚くほど酷似している。

もともと古代ヘブライの神殿は 「幕屋」と呼ばれる移動式だったが、幕屋はその名の通り、周囲を幕や板で囲み、中で神に捧げる祭祀を行なった。全体ではないが、囲むという概念は日本の神社でも見られ、同様に祭祀は極秘である。

また、幕屋の中の構造は、基本的には聖所・至聖所・拝殿に分かれていて、祭壇には明かりをともす常夜灯があり、脇には手を洗う水盤があった。

また有名な古代ソロモン神殿の前には、お賽銭(さいせん)を入れる箱も置かれていた。

もともと古代ヘブライの神殿は「幕屋」と呼ばれる移動式だったが、日本の「神社」と構造が酷似している。

後に固定式となった「ソロモン神殿」もまた日本の「神社」と多くの共通点を持っていた。

その6 古代ソロモン神殿ライオン像=狛犬

日本の神社の前に置いてある狛犬(こまいぬ)は、犬というよりもライオンであるが、古代ソロモン神殿の前にもライオンの像が置いてあった。

ライオンはダビデ王統を担うユダ族のシンボルであった。

その7 「ヒラクティリー」=山伏

現在でもユダヤ人は祈りの時に『旧約聖書』の言葉を収めた「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱を額部分に付けるのだが、

これは山伏が頭につける兜巾(ときん)と使用方法が酷似している。

ユダヤ人は祈りの時に『旧約聖書』の言葉を収めた「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱を額部分に付けるのだが、これは山伏(右端下)が頭につける兜巾(ときん)と使用方法が酷似している

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