1. まとめトップ

[三冠王まとめ]全日本プロレス三冠ヘビー級王座[鶴龍・四天王・三銃士・諏訪魔・曙]

プロレスの「三冠」といえば全日本プロレスが有するフラッグシップタイトル・三冠ヘビー級王座(旧名:三冠統一王座)。歴史深く、そして輝くPWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(UN王座)の三本の歴史をまとめます。三冠戦全ての試合を網羅(更新中)。

更新日: 2015年11月11日

karykaruさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
11 お気に入り 132100 view
お気に入り追加

PWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(UN王座)それぞれの歴史と経緯をザッと振り返ります。

インターナショナル・ヘビー級王座の歴史

現存するプロレスのシングルタイトルの中では、最も古い歴史を持っています。
ちなみにアジア・タッグ選手権はもっと古い!

全日本プロレスがあれだけ口うるさく歴史と伝統にこだわるのも理解できる気がしてくる。

20世紀最強と謳われた鉄人。
NWAの発展に大きく貢献し、王者として世界各国を転戦して回った功績が評価され、NWA本部から1958年6月に初代王者として認定された。
なので三冠ベルトの歴史は最低でも1958年6月まで遡る必要がある。

1958年8月27日、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムにて力道山がルー・テーズを下し、二代目王座に輝いた。
アウェイでの勝利に日本国民は歓喜した。力道山時代のインターナショナル・ヘビー級ベルトは「日本プロレスの至宝」として認識された。

最後の防衛戦はデストロイヤーだった。
インターナショナル・ヘビー級王座は一旦封印される。

日本プロレスは力道山亡き後、ジャイアント馬場をプロレス界の筆頭に立てた。
NWAも日本プロレスの申し出を許可し、インターナショナル・ヘビー級王座の封印を解除し、1965年11月にディック・ザ・ブルーザーと決定戦を争い、これを制した。

このとき馬場さんは28歳!

この時点でベルトは新装されている。旧式のデザインのベルトはPWFヘビー級王座として扱うことになる。

ジャイアント馬場は第3、5、7代王者と通算で3度獲得し、通算防衛回数はなんと49回!

ちなみに写真のフリッツ・フォン・エリックとの防衛戦でプロレスが日本武道館に初めて進出しました。

防衛こそないものの第4、8代王者に輝いた。

第6代王者。ボボ・ブラジルもキニスキーも馬場から奪取した。

7代王者だった馬場が日本プロレスからの脱退に伴い返上して空位になった王座をボボ・ブラジルと争った。「頭突き世界一決定戦」と題し、一度は負けてしまうも三日後に再戦し、腰に巻いた。

第9代王者として防衛を重ねたが、所属する日本プロレスは猪木、馬場とエース格が不在で運営がどうにもならず崩壊してしまう。

韓国では「大韓プロレス」のエースとして、韓国プロレス界の発展に尽力した英雄として有名で、日本プロレス崩壊後に韓国で何度かタイトルマッチを行った。このとき、アントニオ猪木が挑戦しており、猪木の唯一のインター戦となっている。

その後は国際プロレスに戦場を移して防衛戦を展開。上田馬之助らを退けた。

第10、12代王者。
NWAに加盟していない国際プロレスで同タイトル戦を行ったことが問題になり、81年4月にNWAから大木へ王座を返上するように勧告。
返上に伴い、全日本プロレスにて王座決定トーナメントを開催。これを制したのがドリーだった。
ちなみに大木はトーナメントにエントリーされていなかった。その代わり(?)にアジア・ヘビー級王座なるものが渡された。その王座もPWFヘビー級王者・馬場とのダブルタイトル戦に破れ、手放すことに。

NWA総会に出席したジャイアント馬場によると、NWAは東洋シェアでの実績と信用を評価し、PWFと全日本プロレスに半永久的に管理及び運営を一任するとした。
ということで、全日本プロレスにこの王座が復活してからはPWFヘビー級のベルトと同様に、PWF管理下のベルトとなった。

第11、13、17代王者と3度輝き、防衛回数も二桁。
鶴田、天龍にドリーとテリーらと王座を争った。
一年半もの長期に渡って君臨していたことも。

両者リングアウト決着ではあるが、これは快挙。

第14、16、18代王者。ブロディ、ハンセンらと激闘を残した。
日本の至宝だけに日本人王者はファン待望だった。

何度となくブロディに苦汁をなめさせられたが、テリー・ファンク引退試合と同日に行われた王座戦で遂に獲得した。多くの観客、視聴者が観ている中での奪取は効果絶大で、鶴田は全日本プロレスのエースとして認識された。

ニック・ボックウィンクルを下し、日本人初となるAWA世界ヘビー級王者となった。
この頃よりダブルタイトル、トリプルタイトルの気運が高まってくる。

最後のインターナショナル・ヘビー級王者は鶴田でした。
88年9月にアブドーラ・ザ・ブッチャーを相手に行った試合が、インターベルト単体の王座戦となった。

AWA世界ヘビー級王者だったハンセンが鶴田を下し、二冠王に。
インターナショナル・ヘビー級王者としては第15代になる。
まだラリアットを多用しておらず、このときも後方回転エビ固めで鶴田を押さえ込んで決着がついた。

奪取後は長州が持つPWF王座とのダブルタイトル戦を行った。

以上でインターナショナル・ヘビー級を獲得したレスラーは全てです。

PWFヘビー級王座の歴史

ベルトデザイン下部にある星で見分けましょう。

NWA認可、PWF認定。

ジャイアント馬場は日本プロレスから独立し、全日本プロレスを設立。
このときに返上したインターナショナル選手権に変わるベルトを新設し、ブルーノ・サンマルチノ、テリー・ファンク、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・デストロイヤー、ウイルバー・スナイダー、ドン・レオ・ジョナサン、パット・オコーナー、ボボ・ブラジルら強豪選手と勝ち抜き戦を行い、馬場が8勝2敗で初代王者に。
PWFは「パシフィック・レスリング・フェデレーション」の略称で、本部はハワイ州ホノルル。
PWFのベルトに「世界」の文字がつかないのは、当時まだまだ権威があったNWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)に加盟する際、「NWA世界ヘビー級王座以外に世界王座を作らないかつ認定しない」ことを求められたからである。元々はPWF認定世界ヘビー級王座だったが、これらの理由により「世界」の文字が外されたのである。ただ、何もPWFだけに限った話ではなく、当時はこのような時代背景だった、ということだ。

PWF初代のベルトは、力道山が巻いていたインターナショナル選手権の二代目ベルトを流用していた。
ただ馬場にはベルトが小さくて腰に巻けないので作り直したらしい。
確かにこの写真を見ると巻けない気がする。

馬場さんの「デカすぎて○○」エピソードは枚挙にいとまがありません。

かつてのインターナショナル・ヘビー級ベルトがPWFヘビー級として扱われているのでややこしい。

力道山はルー・テーズを破って二代目のインターナショナル・ヘビー級王者となるが、ベルト自体は「ルー・テーズ個人の所有物だから王座の移動しか認めない」ため、アキバ徽章に依頼して日本式のベルトを作ったらしい。

初代王者となって連続38回、通算で59回という抜きようのない防衛回数を叩き出した。
第1、5、7、9代として4度名を残した。

1 2 3 4 5 ... 31 32





karykaruさん

色々なものをまとめます。

このまとめに参加する