1. まとめトップ

国分寺崖線・散歩とグルメガイド【ウォーキング・サイクリング・ポタリング】

都市部に残された貴重な樹林や湧水等の豊かな自然環境の中を散歩してみませんか?自転車で走破するのも楽しいですよ。崖下では水の流れ、崖上からは素晴らしい眺めが楽しめます。以前「タモリ倶楽部」でも紹介されました。高低差・地形マニアの方には必須科目?

更新日: 2017年12月19日

63 お気に入り 63573 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

KURISEKIHANさん

国分寺崖線とは

現在この崖線は、野川の流れとほぼ並行して連なっていますが、実は太古の多摩川が武蔵野台地の南側を削ってできた河岸段丘です。国分寺崖線沿いには緑地、公園や寺社、歴史遺構などが数多く点在しています。
●台地部には、畑地や樹林地の緑、古墳や神社や寺院などの史跡が多く、富士山や丹沢などの山並みを眺望できる地点が多い。
●低地部には豊かな自然が残る小河川や湧水池などが多い。
●台地部と低地部を結ぶ斜面部には、崖線のスカイラインを形成する緑地や変化のある坂道、地下水が湧き出ているハケ(崖下)と呼ばれる場所が多く存在する。

野川の水源周辺

http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/1733/18115/003318.html
姿見の池は、かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えていました。 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵野路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。

http://www.hitachi.co.jp/rd/crl/nature.html
ここは、奈良時代に 聖武天皇が全国に建立した国分寺の一つ、武蔵国分寺の旧地に当たります。
この池は、ハケと呼ばれる湧水を集めて流れる野川の源流の一つにあたり、大池も構内数ヶ所の湧水を利用して湿地に造られました。 池の白鳥、マガモをはじめ、林に群れる野鳥は、カワセミ、ヒヨドリ、カルガモなど40種を越えます。
日立中央研究所では、毎年2回、春と秋に庭園公開を行っています。

http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/1733/18115/003325.html
武蔵国分寺は、武蔵野にひときわ高くそびえる壮大な七堂伽藍を持ち、奈良東大寺にも匹敵する大きな寺院であったといいますが、 その遺跡は日立中央研究所の西南約1kmに今も残っています。

国分寺遺構のすぐ北側に現在の国分寺があり、その北側には旧国鉄・鉄道学園跡地に建設された武蔵国分寺公園が広がっている。

野川の水源、国分寺跡は崖線の上に位置します。
崖の下には湧水が湧き、小さな流れや池となりお鷹の道や真姿の池を形作っています。

https://www2.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=23
「真姿の池」には、嘉祥元年、絶世の美女といわれた玉造小町が難病で苦しみ、病気平癒の祈願のため国分寺を訪れ21日間日参すると一人の童子が現れ小町を池に案内し、この池で身を清めるように言って、姿を消したので、小町がそのとおりにすると病は消え、元の美しい姿に戻ったという伝説がある。

http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/1733/18115/009820.html
江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていました。それにちなんで、崖線下の湧水が集 まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ-トルを遊歩道として整備 されています。

http://www.ota-cafe.com/index.html
国分寺市が東京経済大学・国分寺地域連携推進協議会に委託し、 資料館・庭園のチケット販売、史跡地域の総合案内、等を行う施設。
国分寺の地場野菜を使ったスパイスカレーや、喫茶・甘味類も食べられます。

http://tabelog.com/tokyo/A1325/A132502/13005946/
お鷹の道からすぐの住宅街の中にあるお蕎麦屋さん。
メニューは蕎麦と野菜天のみ(お酒は多種あります)。
産地・品種、挽き方・ふるい方を変えた4種の蕎麦から2種類を頼むオーダー方法です。

http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/1733/18115/003323.html
国分尼寺跡と伝鎌倉街道に隣接している黒鐘公園は、国分寺崖線の南に位置しています。公園内の池は、水量がだいぶ減りましたが崖線からの湧水でできています。

殿ヶ谷庭園~はけの森美術館

国分寺崖線の地形と豊富な湧水を巧みに生かして築かれた、回遊式林泉庭園である。池の水源である湧き水は、古くは「次郎弁天の清水」と言われた名水でした。
紅葉亭から見下ろす紅葉と池の眺めは絶景です。

http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/about036.html

1913年(大正2年)から1915年(大正4年)にかけて、江口定条の別荘として庭師・仙石の手で作庭される。1929年(昭和4年)に三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備した。

http://koganei-kanko.jp/php/s_csb24.php
貫井神社の創立は1590年(天正18年)です。貫井村発祥の地と伝えられる下弁天にあった厳島神社と稲穂神社を合祀して現在地に移したといわれています。貫井村の鎮守で、江戸時代には貫井弁財天と呼ばれており、明治になって貫井神社と改称されました。日照りに雨乞いをすると必ず雨が降るとの言い伝えがあります。

http://koganei-kanko.jp/detail/hlt/hlt0069.html
こちらには、大正時代前田家の別荘がありました。新潟から移築した木造建築の立派な建物があったのですが、火事で焼失してしまったそうです。現在は、小金井市が管理し、公共緑地として一般に公開されています。緩やかな南側の斜面に芝生が広がり、豊かな自然が今も残されています。秋にはノムラモミジが鮮やかに色付きます。

http://koganei-kanko.jp/detail/hlt/hlt0067.html
こちらは、大正~昭和初期頃、実業家で政治家の波多野承五郎氏の別荘でした。「滄浪泉園」は、友人で政治家の犬養毅によって名付けられました。現在、建物は残っていません。昔ながらの武蔵野の風景が広がり、そのままの自然が残る庭園です。

http://www.res-terakoya.co.jp/index2/index2.html
滄浪泉園から少し東へ行った国分寺崖線斜面を庭に持つ洋館フレンチレストラン。
庭に出ると市街地を見下ろせます。
コース料理のみなので気軽には立ち寄れませんが、特別な日にどうぞ。

http://koganei-kanko.jp/php/s_csb24.php
この場所は、貫井村の発祥の地と言われており、この地が貫井の地名の由来になったと言われています。かつてはこの場所に水が湧いており、湧水地の池の中央に弁財天(厳島神社)を祀り、下弁天(元弁天)と呼ばれていました。この下弁天が後に貫井神社に移されました。

http://koganei-kanko.jp/php/s_csb24.php
菅原道真を祭神とし、鎌倉時代(1205年)に坂上、現在の市立第一小学校東側付近に天満宮として創建されたと言われており、その後、安土・桃山時代・天正11年(1583年)に、現在地に社殿を移したと伝えられています。古くから小金井村の鎮守で、明治3年小金井神社と改称されました。境内左奥にある石臼塚は約3mの高さで富士塚風に築き、 役割を終えた石臼を供養しています(昭和48年、建立)。

http://koganei-kanko.jp/detail/hlt/hlt0191.html
小金井市立はけの森美術館の裏庭を、美術の森緑地と呼んでいます。大正~昭和に活躍した洋画家、中村研一が戦後小金井に移り住み、晩年まで絵を描き続けた自宅兼アトリエがここにありました。湧水を囲んだ真ん中の池や北側の門から続く竹林に囲まれた階段など、とても風情があります。

はけの森美術館の裏庭“美術の森緑地”から湧き出る湧水を野川へと流すためにつくられた水路です。水路に沿った遊歩道を、“はけの小路”と呼ばれています。この周辺は、昔ながらののどかな風景、栗の木林などが残っています。又、ジブリ映画“借り暮らしのアリエッティ”のラストシーンは、はけの小路から野川の本流がモデルになっているようです。(※狭い遊歩道なので、自転車での通行は別の道をお勧めします。)

1 2 3 4