1. まとめトップ
  2. エンタメ・カルチャー

【沢田研二】確執とかす!!ファンもあきらめていた【ザ・タイガース再結成】

人気絶頂の中、わずが4年で解散してしまったザ・タイガース。メンバー全員が還暦を過ぎた今、奇跡の再結成!!

更新日: 2013年12月28日

8 お気に入り 221678 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

syatohanさん

◎ザ・タイガースデビュー

1965年に京都で前身のバンド「ザ・ファニーズ」を結成。66年に上京し「ザ・タイガース」に改称。67年2月に「僕のマリー」でデビューすると、「君だけに愛を」「花の首飾り」などのヒットで絶大な人気を獲得した。

●沢田研二(ジュリー) ボーカル、タンバリン
●岸部修三(サリー、後に岸部一徳に改名) ベース、コーラス
●加橋かつみ(トッポ) リードギター、コーラス、ボーカル
●森本太郎(タロー) ギター、コーラス
●瞳みのる(ピー) ドラムス

◎メンバーのフラストレーション

不良ロック少年だった彼らにとって、アンドロメダ星の王女と恋をする映画を作らされたりヨーロッパの王子様みたいなタイツの衣装を着せられたり、今でいうとジャニーズ若手グループのようなあた恥ずかしい仕事をすることは次第にフラストレーションのもとになっていった。

◎加橋かつみ脱退

彼ら自身には“ミュージシャンとして認められたい”という思いがありました。ところが、事務所は沢田を前面に押し出したアイドル路線で売り出していったんです

メンバーのなかで、その方針に特に反発をしたのが加橋で、彼の目には、沢田が“事務所のいいなり”と映っていたようだ。

時計の針の如く仕事に対し忠実な姿勢であった沢田研二とは、相入れないことが多く、度重なる意見の相違が不仲との報道へ繋がっていった。

◎デビュー4年後、解散

加橋かつみに同情的だった瞳みのるも芸能界への嫌悪から次第にバンドの解散をうったえるようになり、ついには1971年1月24日の武道館ライブで解散するにいたったのだ。

◎「10年後に会おう。そのとき君たちは乞食になってるだろう」

瞳みのるはその日の打ち上げで「10年後に会おう。そのとき君たちは乞食になってるだろう」と捨て台詞を吐き、その後は芸能界とすっぱり縁を切り高校、大学と勉強しなおし、ついには慶応高校の中国語教師となって学問の世界で地位を築いていった。

◎「10年後の同窓会」、瞳みのる不参加

1982年には「ザ・タイガース同窓会」と銘打って本格的に再結成。ただし瞳みのるに配慮して「来たい人だけ来ればいい」という意味合いから一貫して「同窓会」の語を用い、自分たちは「再結成」とは決して称しなかった。

『コーセー化粧品』春のイメージソング
1982年の年間第19位に輝く大ヒットとなった。
『ザ・タイガース同窓会』オリジナル盤としてリリースしたシングルである。

◎2008年、瞳みのるに心境の変化

変化が訪れたのは、解散から40年近くを経た2008年。すでに還暦を超え、今後の人生を考えていた。同年、テレビに出演した沢田研二たちは瞳に再会を呼びかける曲「ロング・グッバイ」を披露。元マネジャーは学校まで訪ねてくれた。心は動き始めていた。

◎瞳みのる、仲間たちと再会

杯を交わすうち、いつしか昔の自分たちに戻っているのに気がついた。席上、タイガースをまたやってもいいのでは、という話が出た。「これは、ひょっとしたら」と、その時思った。

ザ・タイガースのピーが書き下ろした真実!
1971年、ザ・タイガースが解散。その直後にピーこと、瞳みのるは芸能界を引退。40年近くメンバーとは音信不通だった。長い沈黙を破ってピーが書き下ろした愛と友情の真実と64年の人生。

◎今度は、加橋かつみが拒絶

瞳さんがせっかくみんなと和解、芸能界復帰して「いよいよ再結成!」と思ったら、今度は気難しいことで知られる加橋かつみさんが拒絶。仕方なく"ほぼタイガース"という形で沢田さんのツアーに他のメンバーが合流して活動することとなった。

◎加橋と沢田との”確執”

’69年にグループ脱退を決めた加橋と沢田との”確執”は、40年近くたっても消えていなかった。

◎2011年、沢田が自身のツアーに、一徳、森本、瞳をゲストとして招く

1 2





このまとめへのコメント3

  • この投稿は現在表示することができません。

  • この投稿は現在表示することができません。

  • この投稿は現在表示することができません。

1