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フォルクス・ワーゲンのビートルはヒトラーの発案だった!

ナチス・ドイツのヒトラーは「国民のための車」を持つべきであるという方針のもと、ポルシェ博士に「国民車」の設計を依頼して完成させたのが、後にビートルとなる「KdFワーゲン」です。しかも、ヒトラーはプロトタイプのデッサンまでしています。

更新日: 2016年09月12日

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motome-lifeさん

Volks-Wagenを、英語で表現すると「People's Car」

Adolf Hitler
1889年4月20日 - 1945年4月30日

ヒトラーは、ベルリン・モーターショーで演説!
「国家を真に支えている国民大衆のための自動車であってこそ、文明の利器であり、素晴らしい生活を約束してくれる。我々は今こそ「国民のための車」を持つべきである」。

そしてヒトラーは、「国民車」の設計をレーシングカーのデザイナーとして有名だったフェルディナント・ポルシェ博士に依頼。

ヒトラーが提示した条件

①頑丈で長期間大きな修繕を必要とせず、維持費が低廉であること
②標準的な家族である大人2人と子供3人が乗車可能なこと(すなわち、hydeであれば5~6人乗れること)
③連続巡航速度100km/h以上
④7Lの燃料で100kmの走行が可能である(=1Lあたりの燃費が14.3km以上である)こと
⑤空冷エンジンの採用
⑥流線型ボディの採用

さらに、ヒトラーはデザインも提示

ヒトラーが描いたプロトタイプのラフスケッチ

デザインの変遷

1936年春、試作車VW3が完成

翌年、VW3のテストによりVW30を試作

1938年、最終生産型プロトタイプ「VW38」が完成

「VW38」はその外観・内容ともにどこから見ても後のVWビートルそのものであった。

「KdF-Wagen」(KdFワーゲン)の誕生!

大量生産のための「フォルクスワーゲン工場」の起工式で、ヒトラーは「国民車」を「KdF-Wagen」(KdFワーゲン:歓喜力行団の車)と命名。

当時、この車の予約購入に33万人もの労働者が2億8000マルクを支払った。
この車の価格は990マルクで、毎週5マルクづつ払い込めば、4年後に車が手に入ることになっていた。

しかし、翌1939年9月、戦争に突入すると、当初の予定は変更となり、「フォルクスワーゲン工場」では「KdFワーゲン」をベースとした「軍用小型車」(キューベルワーゲンやシュビムワーゲン)が製造されることになった。

戦争中もノーマルタイプの「KdFワーゲン」(タイプ60)が生産されてはいたが、1940年から1944年までの間にわずか630台生産されたにすぎなかった。

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