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20年前の1993年10月、シャンキル・ロードからグレイスティールへ、暴力は連鎖した。

「北アイルランド紛争」で繰り返された「暴力の連鎖」の中でも最も陰惨な事例。ベルファストの商店街の魚屋をIRAがボムで爆破し、ロイヤリストはその報復としてデリー近くの村のパブを襲撃。

更新日: 2014年11月01日

nofrillsさん

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北アイルランド。「二度と、あの時代に戻ってはならない」という社会的コンセンサスがある中にも、こんなのがいる。

Loyalists show their respect to the Greysteel victims. This the same people who demand respect for Shankill victims pic.twitter.com/PlkeKJ27Xe

「トリック・オア・トリート」は、北アイルランドでは、ほかの地にはないであろう《意味》を持つ。

'The leading gunman, Stephen Irwin, carrying the AK-47, yelled "trick or treat" as he opened fire' Greysteel massacre en.wikipedia.org/wiki/Greysteel…

1993年10月、「暴力」は「連鎖」した。まずは23日、ベルファストのシャンキル・ロードで……

1993年10月23日、ベルファスト西部のロイヤリストの拠点、シャンキル・ロードの鮮魚店にIRAメンバー2名が爆弾を持ち込んだ。建物2階のUDA事務所を狙ったものだったが、犠牲になったのは店内の一般市民8人とUDAメンバー1人だった。 en.wikipedia.org/wiki/Greysteel…

1993年。初夏にはOasisがクリエイション・レコードと契約し、10月にはリヴァー・フェニックスが急逝した年。

ニルヴァーナは最後となったスタジオ・アルバム、In Uteroを出し、スマパンのSiamese DreamやBlurのModern Life is Rubbishといったアルバムがヒットした。「アンプラグド」というコンセプトが流行っていた。Snowとかジャネット・ジャクソンとか、2 Unlimitedや小室サウンドがどこでも流れていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/1993_in_music

つまり、その時代を知ってる人には「そう遠くない過去」。

爆弾は、予定より早いタイミングで爆発した。そのため、爆弾を運んできたIRAメンバーも死んだ。

シャンキル・ロードのメモリアルパークに置かれた記念碑。

BBC News - Hundreds attend Shankill bombing church service bbc.in/16uY9nZ 1993年10月23日(土)13:05.シャンキル・ロードの商店街、魚屋にIRAが持ち込んだ爆弾は9人を殺した。

Shankill bomb: Frizzell's fish shop was at very heart of the community belfasttelegraph.co.uk/news/local-nat… via @BelTel 爆破された魚屋がどういう店だったか。北アイルランドは紛争中…続

承前。北アイルランドは紛争中、特に武装組織の活動が活発だった地域では資本投下がされず開発が滞り、1990年代になっても60年代、70年代の生活インフラが保たれていた。大規模なスーパーマーケットの時代になってもベルファストのこの地域は魚屋、八百屋といった個人商店が繁盛していた。

Shankill bomb 20 years on: 'They were bringing out the limbs in plastic bags... I'll never forget horror of that day' shar.es/I1wgR

承前。1993年10月23日。いつもの土曜日だった。21歳のマーティはサッカーの試合を見にいこうとしていた。爆発音が響いて、マーティは崩れ落ちた魚屋に駆け付け、瓦礫を掘って救出作業にあたった。その6年前、父親(UVFメンバー)がIRAに撃ち殺された現場の目と鼻の先。…

魚屋に爆弾を持っていったIRAメンバーはトマス・ベグレイとショーン・ケリーの2人。

ベグレイは爆発で死んだ。ケリーは瓦礫に埋まり、シャンキルの住民(つまり「プロテスタント」)に救出された。

Shankill bomb: 'I'd have killed bomber I rescued if I had realised just who he was' shar.es/I1k2n vi @BelTel 「私が瓦礫の下から救出した男が爆弾犯だった」

爆発で片目を失い、腕にも障害を負ったショーン・ケリーは逮捕・起訴され、有罪判決(終身刑)を受けて、北アイルランドのパラミリタリー専用の刑務所だったメイズ(ロングケッシュ)刑務所に送られた。

そして1998年のグッドフライデー合意での取り決めにより、2000年に早期釈放された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sean_Kelly_%28Irish_republican%29

そしてシャンキル・ロード爆弾事件から20年となる今年、2013年10月。爆発で死んだべグレイを「記念」するプラーク(銘板)が、彼の友人らによってベルファスト北部の彼の出身地の通りに設置された。

写真は除幕式で抱擁するベグレイの父親とショーン・ケリー。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-24599485
20 October 2013 Last updated at 18:08 GMT

シャンキル・ロードの事件のあと、この非道な爆弾テロへの「報復」が行われた。

続)北アイルランド紛争では、一方のコミュニティの民間人が他方の武装組織の活動によって殺されると、同じように民間人を殺す「報復」が頻繁に行われた。シャンキル・ロード爆弾事件でも、ロイヤリストによる「報復」がナショナリストに対して行われた。10月30日までの間に既に8人の一般市民が…

続)ベルファスト市内でロイヤリストによって殺されていた。しかし最大の「報復」が行われたのは、グレイスティールでのことだった。ベルファストから離れ、デリーの東に数キロ maps.google.com/maps?ll=55.032… 静岡県の浜名湖のように海につながった湖、フォイル湖の湖畔に…

続)家屋がぽつりぽつりと並んでいるだけで「街」の形とは言えないこの地域の「街道筋のパブ」を10月30日の夕刻、AK47やショットガン、拳銃を持った男たちが襲った。シャンキル・ボムの「報復」としてUDAが計画した襲撃で、男らは事前にパブの様子を把握するために飲みに行きしさえしていた

「街」の形=メイン・ストリートやマーケット、中央のスクエアなどがあり……という形のことです。グレイスティールは英語ではvillageと称されています。

パブの名前は「ライジング・サン」。目の前に野原と湖が望める、のどかなロケーションだ。この集落の人たちの社交の場であり、デリーから東へ向かう街道筋の休憩の場として昔からあったのだろうと思う。
http://goo.gl/maps/yHJ6O

As we approach the 20th anniversary of Greysteel atrocity, details of how that awful incident was planned londonderrysentinel.co.uk/news/local-new…

デリー(ロンドンデリー)の「プロテスタント」側の新聞、「ロンドンデリー・センティネル」の、事件から20周年を前にした記事。

続)そのとき、パブの中ではハロウィーンの催しが行われており、およそ70人の客がいた。乱入した3人の男たちは覆面姿でも怪しまれなかった。人々が気づいたのは、彼らが「トリック・オア・トリート」と叫んでAK47や9ミリ拳銃を取り出したときだった。人でいっぱいのラウンジのエリアに銃弾が…

続)…注がれた。13人が負傷し、8人の一般市民が犠牲となった。うち6人がカトリック、2人はプロテスタントで、政治団体や武装組織と関係のある者は犠牲者の中にはいなかった。襲撃犯は笑い声を上げてパブから引き揚げ、逃走用の車に乗り込んだ。 en.wikipedia.org/wiki/Greysteel…

事件後の店内。(より凄惨な、「血の海」になっている写真も見たことがある。)

Remembering the Greysteel gun victims: Some of those first on the scene of the 1993 Greysteel massacre have sp... bit.ly/1aE3mOR

"Some of those first on the scene of the 1993 Greysteel massacre have spoken to UTV about the devastation they were faced with in the aftermath of the UFF gun attack on the Rising Sun bar at Halloween, as the victims are remembered on the eve of its 20th anniversary."

UTVのこの記事によると:
http://www.u.tv/News/Remembering-the-Greysteel-gun-victims/8d9bc728-2551-4099-bd85-903dd4d4cc43

グレイスティールのパブ銃撃事件の犠牲者8人のご家族は、この20年間、沈黙を守ってきた。家族の死が「利用されること」を拒んだのだろう。それをUTVはdignified silenceという表現で示している。

そして30日の前日、29日に、UTVは当時現場を見た救急隊員や警官、教会関係者らの話を聞いている。

「そこらじゅうに人が倒れていました。ただ唖然としました」と救急隊のウィルキンソン氏。

「本当に、すさまじいありさまでした。バーにいた人たちはひどいショック状態にありました」と、当時警官だったハミル氏。「すでにこと切れた人や瀕死の人たちが床に倒れていて、何人かは知っている人でした」

グレイスティールはデリーの東数キロのところにあるが、さらにその数キロ東にリマヴァディという街がある。メイン・ストリートを備えた「街」の形をした街で、古くから「デリーの次の街」だったのだろう。

銃撃事件の最も若い犠牲者は、このリマヴァディからハロウィーン・パーティに来ていた19歳のカレン・トムソンさんだった。「ガンマンの扮装をした男たち」に、カレンさんは「シャレでやってるつもりかもしれないけど、笑えないから」と言ったという。彼女のボーイフレンド、グレイスティール在住の20歳の男性、スティーヴン・マランさんも一緒に撃ち殺された。

カレンさんの他にも女性の犠牲者がいる。59歳のモイラ・ダディさん。6人の子を持つ母親で、一緒にパブに来ていた夫は難を逃れた。

最も年長の犠牲者は81歳のジェイムズ・ムーアさん。北アイルランドで最高齢の紛争の犠牲者のひとりである。「ライジング・サン」のオーナーの父親で、この日、息子の店のハロウィーン・パーティに遊びに来て、バー・カウンターで注文をしているときに銃撃が始まった。複数発の銃撃を受け、4発を被弾した。

50歳のジョン・モインさんは、一緒にいた妻を床に倒して覆いかぶさるようにして、撃たれて亡くなった。

60歳のジョゼフ・マクダーモットさんは、独身でひとり暮らし。グレイスティールの村ではよく知られた顔だった。

54歳のジョン・アレクサンダー・バーンズさんは、グレイスティールから少しデリーの方に行ったところにあるエグリントンの人だ。英軍のUDR (Ulster Defence Regiment) の一員で、つまりプロテスタント。一緒にいた妻は重傷をおった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ulster_Defence_Regiment

76歳のヴィクター・モンゴメリーさんもこの日、銃撃で怪我をした。そして事件から半年近く経ってから、その怪我が原因で亡くなった。モンゴメリーさんは現役時代は、警察のBスペシャルズの一員だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/B_Specials#Organisation

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作った「まとめ」の一覧は:
http://matome.naver.jp/odai/2133787881446274501

※基本的に、ログを取ってるのであって、「まとめている」のではありません。