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山本太郎議員の天皇陛下への直訴で話題になる「田中正造」とは?

2013年10月31日に赤坂御苑行われた秋の園遊会で山本太郎議員が、直接天皇陛下に原発関連の手紙を渡したという事件。ネットではこれが直訴にあたるとして、過去に天皇に直訴した田中正造を引き合いに出す声が。その田中正造とはどんな人だったのかをまとめました。

更新日: 2013年11月01日

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monet333さん

・山本太郎参院議員が秋の園遊会で天皇陛下に直接手紙を渡し大きな問題に

10月31日に赤坂御苑で開かれた秋の園遊会で、出席していた山本太郎参院議員(38、無所属)が陛下に直接、手紙を渡した

山本氏は「子供たちの被ばく(状況)や原発作業員の劣悪な労働環境、放射線管理がずさんなままの実情を陛下に知っていただくため、手紙をしたためた」と説明

菅義偉官房長官は「手紙を渡すことがその場にふさわしいかどうか。常識的な線引きはあるのだろう」と述べ、不快感

参院議院運営委員会は、今回の問題について11月1日の理事会で対応を協議する

・この山本氏の直訴とも言える行動で「田中正造」を思い出す人が多数

議員を辞職して、遺書を用意してまで直訴をしたのが田中正造。議員の地位を守ったまま、軽い気持ちで怪文書を手渡したのが山本太郎。

山本太郎氏の件、書いた内容はともかく陛下に手渡すとか 手紙の内容以上に手渡したという行為がデカすぎる… 彼は平成の田中正造を気取っているのだろうか?だとしたらとんでもない裸の王様である いやそれ以上にタチの悪さを表す言葉が見つからずに気持ち悪さを感じる

田中正造氏は鉱毒被害直訴前に議員を辞職。死を覚悟し遺書を用意し迷惑をかけないよう妻に離縁状を送っている。山本太郎氏が園遊会で手紙渡したのを田中正造氏の直訴に例えるのは、田中氏に対してあまりにも失礼ではないだろうか

天皇陛下に直訴した国会議員がいた…というニュースを聞いて、田中正造氏の明治天皇直訴事件を思い出した。しかし、今と当時は状況が違う。山本太郎氏は田中正造氏の真似のつもりだろうか?園遊会で国会議員の立場の人がやっていいものだろうか。ニュースを聞いて、ドン引きした。(^_^;)

足尾銅山事件は科学的な証拠がいくらでもあるのに、政府が文字通り放置していてそれを直訴した田中正造が後世に英雄になったわけだが、証明できないことを起きていると騒いでる山本太郎は科学文明が崩壊しない限り、英雄にはなるまい。

山本議員の行為を、足尾鉱毒事件について明治天皇に直訴した田中正造に例えて「よくやった」とか「感動した」とか言ってる人達は、ちゃんと田中正造の直訴までの経緯を調べた方がいい気がします…。

・この山本氏の行動で話題になる「田中正造」とは

明治時代に生きた田中正造氏(天保12年11月3日(1841年12月15日)生まれ、1913年(大正2年)9月4日没)

田中正造は、明治期の民権家、政党政治家、社会運動家

維新後江刺県(岩手県)付属補などを経て明治11(1878)年ごろから自由民権運動に参加

日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家として有名

明治時代に、わが国初の公害事件として名高い足尾鉱毒問題の解決に生涯をかけて奔走し英雄として尊敬されている偉人

・田中正造氏の直訴までの経緯

時の明治天皇に直訴を行う様子が刻まれている「田中正造翁遺徳の碑」

田中氏は、明治23年の第1回総選挙で衆議院議員に当選し、そのころ農作物や魚に大きな被害を与えていた足尾銅山の鉱毒問題を繰り返し国会でとりあげ、渡良瀬川沿いの人々を救うため努力

明治24年(1891)の第2回帝国議会で鉱毒被害に関する質問書の提出を始めとし、足尾銅山の鉱毒問題に取り組み

しかし国の政策に改善が見られず、ついに明治34(1901)年12月10日、天皇に直訴した

何度も国会に質問しながら無視されたため、田中は議員を辞職してまで直訴を試みた

・田中氏の直訴の方法

明治34年12月10日、第16議会開院式から帰る途中の天皇に、田中氏は、鉱毒事件の解決を訴えるため直訴を決行

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