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明治の日本にもロミオとジュリエットのようなカップルがいた!

明治の日本にもラブラブなカップルがいたのです。  八重の桜/大山捨松/山川浩/山川健次郎/西郷隆盛

更新日: 2014年01月20日

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pato30333さん

▼明治時代の恋愛ってどんな感じだったの?

明治時代には中流階級では家制度による親が結婚相手を決めるお見合い結婚が多かった。

未婚の男女が親しく談笑するのも見咎められ、親の命令に従わされて、顔も満足に知らない相手との封建的な結婚が広まっていた時代である。

明治から大正にかけて、文化人を中心としてロマン主義の影響もあって、恋愛結婚が理想的なものとの認識が広まり、
大正時代には恋愛結婚に憧れる女性と、保守的な親との間で葛藤がおこることもあった。

日本人が初めて「恋愛」という言葉に出会ったのは、明治時代である。

▼明治時代のジュリエットはこの人

(山川 すてまつ)

福島の会津若松生まれ。
代々会津藩の家老という家柄のお嬢様育ちですが、幕末の戊辰戦争で会津が負けてからは波乱の人生を歩んでいます。

11歳でアメリカへ留学し、大学を卒業後22歳で帰国します。

▼「捨松」という名前の由来

捨松がアメリカへ旅立つ際に、母親が「捨てたつもりで、あなたの帰りを待つ(松)」という思いをこめて改名させたといわれています。

末っ子の大事なお嬢さんを泣く泣く海外に行かせる、切ないお母さんの気持ちが伝わりますね。

この時代に「女の子が外国へ行く」というのは考えられないことでした。戦争に敗けた幕府の娘たちが、再起をかけて留学したそうです。

一番幼い津田梅子は、後の津田塾大学の創設者です。

▼11年間海外で暮らし、帰国した捨松

成績優秀で、卒業生39人の代表10人に選ばれ、
「イギリスの日本に対する外交政策」 というタイトルで演説をし、
もっとも素晴らしかったとの評価を得ました。

アメリカで勉強に励んだ捨松だったが、「娘は十代に嫁に行く」時代において、適齢期は過ぎていた。
アメリカで滞在したベーコン家の娘アリスに出した手紙で、

”二十歳を過ぎたばかりの女性が売れ残りだなんて想像がつきますか。母は、もう縁談もこないでしょうと言っています”と述べたという。

「もう縁談もこないでしょう」と言った捨松だったが、縁談はいくつかあった。その中で最も熱心だったのが、薩摩出身の陸軍卿(大臣)・大山巌だった。

▼ついにロミオが登場

(おおやま いわお)

鹿児島の薩摩藩生まれ。軍人。西郷隆盛の従兄弟。

巌には先妻がいたが病死してしまった。
政府高官の立場上、夫人同伴での外国要人とのつき合いも多かった為、才色兼備の捨松に白羽の矢が立ったのです!

大山が捨松に初めて会ったのは、永井繁子と瓜生外吉の結婚披露宴でのことだった。
そこで大山は一目で恋に落ちる。

自他共に認める西洋かぶれだった大山巌は、パリのマドモアゼルをも彷彿とさせる捨松の洗練された美しさにすっかり心を奪われてしまったのである。

▼しかし、この二人の家柄は敵同士…

故郷を滅ぼした薩摩の砲兵隊長と大事な末娘の結婚なんて言語道断!と家族は猛反対。

けれども、大山巌は諦めずに山川家へ通う。

大山の従兄弟である従道(西郷隆盛の弟・当時の農商務卿)が説得役になり、山川家に通った。
西郷従道の交渉は、時には徹夜になったという。

結局、山川家では捨松本人が承諾すればよいと答えた。
捨松は、「大山巌を知った上で返事したい」と今でいうデートを求めた。

親の意向で結婚が決められていた時代において、まさにアメリカ的だった。それに、大山巌は応じた。

帰国したばかりで日本語が不慣れな捨松に対して、英語で話しかけるなどとても紳士的だったそうです。

2人には親子ほどの歳の開きがあったが、デートを重ねるうちに捨松は大山の心の広さと茶目っ気のある人柄に惹かれていった。

この頃アメリカの友人・アリスに書いた手紙には捨松は、
「たとえどんなに家族から反対されても、私は彼と結婚するつもりです」と記している。

41歳、現役の陸軍卿の大山がいそいそとデートに出かける姿を想像しただけでもほほえましいと、ひ孫にあたる久野明子氏は書いている。二人はデートを重ねた。そして、捨松は結婚を承諾した。

ほんわかしたエピソードで素敵ですね~^^

▼そして、「鹿鳴館の華」が開花する!!

完成したばかりの鹿鳴館で大山夫妻は盛大な結婚披露宴を催した。
千人を超える招待者でごった返す披露宴、気さくな捨松には誰もが目を止め、話しかけ、また捨松の話に耳を傾けた。

英語・フランス語・ドイツ語が堪能、またアメリカ仕込みの社交ダンスに、
写真を見ての通りのセンスの良さで捨松は伯爵夫人として活躍。

時折冗談も交えて話すなど、コミュニケーション上手だったそうです。

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