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友達地獄-ドロドロした人間関係を生き抜くには

オフィス・宮島です。スクールカーストに関連した内容で、今の中学・高校で繰り広げられる人間関係の駆け引きと、山本七平氏が「絶対権を持った妖怪」と指摘した「空気」との関係から中学・高校での人間関係についてまとめました。

更新日: 2014年05月16日

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この記事は私がまとめました

「優しい」人間関係とは?

社会学者・土井隆義氏は、「優しい」人間関係をこのように定義しています。

・他人と積極的にかかわることでお互いを傷つけあうことを避ける
・「異様」と思われるほどの高度に配慮し、お互いの反感が表に出ないようにする

ゆえに、現在の中学・高校では「お互いの意見衝突」を避けるため、慎重に人間関係を営んでいます。そして、「優しい」人間関係で結びついた人間同士の絆はその場の「空気」によって上下・友人関係が簡単に崩れてしまうほどの非常に脆いものです。

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「優しい」人間関係は非常に「繊細」で「脆い」ものであるから、「薄氷を履む」ような慎重さで相手の出方を探りながら自分の出方を決めなければなりません。そのため、現在の中学・高校生には常に「強いストレス」がかかっています。

ある中学生は「優しい」人間関係を次のような川柳で表しました。
「教室は たとえて言えば 地雷原」

「優しい」人間関係を壊す「KYさん」とは?

「優しい」人間関係は、強迫神経症のように「過剰に」同調に配慮したうえで成り立っています。コミュニケーションに深くかかわっていない人がそのことについて指摘すると、「優しい」人間関係というものは、きわめて脆い砂上の楼閣であることを白日の下にさらしてしまいます。

「裸の王様」という童話で、皆が裸であることを知っているにも関わらず誰もそれを指摘しないが子供は素直に「王様は裸だ」と指摘します。これと同じ関係が現在の中学・高校を包んでいます。これを今の状況に当てはめると、「皆が裸で…指摘しない」ということが「優しい人間関係」ということになり、「子供は素直に…」ということが「KYさん」ということになります。

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「優しい」人間関係の下では、対人距離をうまく測れずに「近づきすぎる」という行為は「相手に負担をかける」行為になります。だから、運動会や遠足といった「イベント」で冷めた態度を取ったり、クラスの9割以上が乗り気でないにも関わらず一人「熱く」なることは、「優しい」人間関係という「秩序」を破壊する「破壊者」と見なされるわけです。

彼らにとって、「優しい」人間関係を維持することが最大の関心事になっているので、「優しい」人間関係を破壊されることを極端なまでに恐れます。であるからこそ、「相手を傷つけない」ことが中学・高校で生きてゆくためには必要なルールであり、それを厳守することが地雷原で生き延びる「最善策」ということになるのです。(と信じ込んでいる…といったほうが正しい)

「優しい」人間関係がいじめを生み出す?

土井氏は、「今の学校でいじめが行われる原因は昔と変わらない部分もあるが、個々の問題では解決できない共通の特徴があり、しかもその時代の固有の特徴が潜んでいる」と指摘しています。ゆえに、「いじめが起きた原因を調べるよりも、集団的な行為が継続的に行われる過程を分析したほうがいじめ解決には効果的ではないか」と土井氏は提言しています。

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現在の「大人」たちは、「現在は人間関係が希薄化した」とよく言います。しかし、現実の中学・高校をのぞいてみると、自分の「対人レーダ」が常に働いているかを確認しながら人間関係を営んでいます。先ほども述べたように、今の中学・高校生は「他人と衝突」することを非常に恐れます。そのため「自分が他人から反感を持たれない」ように常に心がけていなければなりません。

このような「優しい」人間関係のもとで生活してゆくには、常に「身近な人」の言動に気を配っていなければなりません。その結果、「親密な友人」の範囲を狭め、意見の相違などからくる友人の乗り換えを困難にします。そして、人間関係の維持に膨大なエネルギーを使うため、「学業」や「外部の人間とのつながり」など「自分の将来を決める重要なもの」にエネルギーが回らなくなります。現に「クラスの人間関係維持」ばかりに力を入れていた生徒の成績が悪いままだった…というケースがあります。

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「優しい」人間関係の下では、風通しが悪く、すぐ人間関係が「煮詰まって」しまいます。一度意見の相違からくる対立が表面化すると、その生徒には「取り返しのつかない致命的なダメージを受けた」と感じます。彼らは「今のグループでの人間関係」は「絶対」であると思っているため、他人との人間関係を相対的に見つめることができません。

「優しい」人間関係は「繊細」で「脆い」人間関係である…と先ほど述べました。このように意見の相違により人間関係が決裂すると、「対人レーダ」が必要以上に敏感になっているため「○○につくと自分も排除の対象になりかねない」と感じ、自己保身のため「○○」を「シカト(無視)」したり「持ち物を隠す」といった行為を「本人のいないところ」で「静かで密やかに」行うようになります。このようにして「いじめ」が始まるわけです。

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1997年、長野県で中学生男子が「暴力ではないけど、暴力よりも悲惨だった」という遺書を残してこの世を去った…という悲惨な事件があります。これが物語るように、「優しい」人間関係は暴力よりもはるかに精神的ダメージを与えるということがよくわかります。

上の例からでもわかるように、今の中学・高校生は「人間関係が希薄」になったのではなく、「ものすごい濃厚な人間関係」の中で学生生活を送っているわけです。その点に「大人」が気づいていないのです。

相手の事情を詮索したり踏み込んだりしない、あるいは一方的に自分の断定を押し付けたりしないということで「相手との距離」を取る関係、すなわち「(相手に)優しい」人間関係は裏返すと、自分の立場を傷つけるようなことと自分に降りかかる責任を可能な限り回避する「自分に優しい人間関係」でもあるわけです。だから意図せずしてこの「人間関係」を破壊した者には容赦なく「制裁」(いじめ)を加えるというわけです。

実は、この話久米田康治氏の漫画「かってに改蔵」にも登場します。
主人公の勝改蔵(かつ・かいぞう)の幼馴染の名取羽美(なとり・うみ)という女の子が登場します。彼女は相手の事情を詮索したり踏み込んだり、あるいは一方的に自分の断定を押し付けたりするため、「相手との距離」を取ることができません。その結果、誰も彼女に近づかなくなり「友人が一人もいない」状態になりました。そして、性格がどんどんおかしくなってゆきます。

これを読んでもピンとこない方は「かってに改蔵」の10巻以降を読んでみてください。
なぜ彼女の周りから友人がいなくなったのか、なぜ彼女の性格がおかしくなっていったのかという理由が先に述べたこととまったく一致しています。

この女の子が名取羽美です。この子の精神崩壊してゆく過程が「優しい」人間関係から生じるいじめと同じです。

友達との衝突を避けるテクニック

必要以上に「他人との衝突」を避ける現在の人たちは、どのように「衝突」を避けているのか?
よく街中などで聞く会話の例をもとに解説します。

A:とりあえず、食事とかする?
B:私的にはぁこれに決めた、みたいな

A:俺さぁ…「艦これ」とか「サクラ大戦」が好きなんよぉ
B:あ、そうなんだぁ

このような会話を街中だけでなく、オフィスの中あるいは自分自身が「無意識に」使っていると思います。「とりあえず、食事『とか』する?」や「私的にはぁこれに決めた、『みたいな』」という断定を避ける表現や「あ、そうなんだぁ」というような半独言・半クエスチョンと呼ばれる表現を使用して自分の意見をぼかし、他人との間に「一定距離」をとります。

しかし、いくら自分の意見をぼかして対立の芽を摘んだつもりでも限界があります。そこでどうするのかというと…関心の争点をずらす手っ取り早い方法として「対立の芽」そのものを摘む、すなわち「対立した人間をグループから排除する」という行動に出ます。そして「自分自身が排除に対象にならないように」するため、対立意見を述べた人物に対して「攻撃」を仕掛けます。

このようにして彼らは「衝突」を避けているのです。

いじめを「遊び」でカムフラージュする理由

まず、この文章を読んでください。

●中野富士見中学校であったいじめ事件
「屈辱的な仕打ちを受けていたにも関わらず、むしろおどけた振る舞いで応じたり、ニヤニヤ笑いながら応じていた」と訴状に書かれており、この一文のため「いじめ」か「遊び」かの判断が1審と2審で異なったものになった。

●岡山であったいじめられていた生徒がいじめた生徒に仕返ししたケース
「冷やかしやからかいを受けていたにも関わらず、ほとんど抵抗を示さなかった」態度がいじめの認識があったかどうかの争点になった。

●2006年福岡県であったいじめ事件
同級生から「キモイ」「目障りだ」といわれ続けていたにも関わらず、決して笑顔を絶やさなかった。いじめていた側も「笑っていたからいじめになるとは思わなかった」と弁明している。

●2006年大阪府富田林市であったいじめ事件
同じ学校の生徒は「あれはいじめではなく、皆でやった「おちょくり」だった」と弁明している。

これを読んでピンときた方もいると思います。「いじめ」を「遊び」でカムフラージュすることにより、いじめ事件の賠償請求訴訟を起こした時の判決にも大きな影響を与えていることがわかります。実際に中野富士見中学校の事件では、このような判決が出ました。

第一審:悪ふざけの対象としてクラスの注目を浴びることに対する面映ゆさを感じた
    →いじめそのものを否定、首謀者2名を保護観察処分、被告人に400万円の賠償金支払い

第二審:拒否的態度を示した場合に予想される、より激しいいじめを回避するための迎合的な対応
    →いじめ回避を怠った学校の責任を認め、被告人に1150万円の賠償金支払いを命ずる

現在の子供たちは、判決に大きな影響を与えることをわかった上で、先に示した例のようにカムフラージュしている可能性が高いです。

いじめの被害者が屈辱的な仕打ちを受けているにも関わらず「笑顔」を絶やしていないのは、「いじめから自分の身を守る」のと「自分の尊厳を守る最後の手段」なのです!
そこは勘違いしないでください!

SNS=他人とのつながりをチェックする自己確認ツール

この本が書かれた時期はまだ「ケータイメール」が主流でした。しかし、スマートフォンやタブレットが爆発的に普及した結果、現在は「Twitter」や「Facebook」、「LINE」といったSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が主流になっています。

社会学者の若林幹夫氏は「ケータイ・メール(当時の表現のまま)は『要件』を伝えるツールではなく『ふれあい』を目的としたツールになっている」と述べています。なぜこのように若林氏は述べたのかというと…

SNSのメッセージというのは、「受信したら即座に返信しなければならない」ことが基本的なマナーとされています。この傾向は若い世代ほど強く、一日の時間の中で最も不安になるのが本来もっとも落ち着くはずである「入浴時」なのです。なぜならば、この時間はスマホや携帯電話を風呂に持ち込むことができないからです。

もし、ここでメッセージが来て即座に返信できなければ「タッチしてきた手を振り払う」ような振る舞いとして受け止められ、送り主は「メッセージが返信されない=友人ではない」と判断してその次の日からまったく口を利かなくなってしまう…ということになってしまいます。
ほんの一度だけメッセージを送らなかったという「些細な」出来事で実際の人間関係までギクシャクしてしまうため、それを極端にを恐れる人は、常に友人と繋がっていなければ精神崩壊を起こしかねません。そのため、「ケータイ依存症」といわれる病気になるわけです。

昔、テレビで「女子高生から携帯電話(私が高専の学生だったときに放送していた)を取り上げて1日生活させよう」という内容の番組が放送されていました。それを実施した結果、1時間ほどで女子高生が物凄い精神不安に陥りしばらくして大泣きしたため、そこで番組は打ち切りになりました。

絶対的権力を持つ妖怪・「空気」とは?

山本七平氏は、ある日編集者から道徳教育についての質問を受けました。その時彼は、「日本の道徳は"差別の道徳"である」と答えました。しかし、編集者は「理屈ではそうですが、現場の空気としてはそれはまずい」と返答しその後いくつか質問のやり取りがあったが、そこで彼は編集者が何度も「空気」という言葉を発したことに非常に強い疑問を感じました。

「編集者などの意思決定を拘束する『空気』というものが一体何なのか」と。

彼は「空気」とはどのようなものなのかを研究するため、昭和20年の戦艦大和特攻決定までの豊田副武連合艦隊司令長官と伊藤整一中将とのやり取りを例に挙げています。

豊田副武連合艦隊司令長官(以下「豊田」):沖縄に特攻してくれ

伊藤整一海軍中将(以下「伊藤」):米軍の実力を知り尽くしており、物資や航空戦力が豊富な米軍に対して、わが軍は護衛の戦闘機がない「裸の艦隊」である。また、仮に沖縄に到達できたと
しても、機関・水圧・電力系統が無傷でなければ攻撃できないのでとてもできない。

豊田:陸軍の総反撃の呼応して、敵上陸地点に切り込み、船(戦艦大和)を乗り上げて陸兵となることまで考え願いたい。

伊藤:(ベテランである伊藤中将は豊田長官が言った言葉の意味を理解し、反論を辞め)それならば何も言わない。了解した。

ここで、注目してもらいたいのが「陸軍の総反撃に呼応して…」と言われて「それならば何も言わない。了解した」と答えた部分です。これは、「海軍全体の意見である」という「空気」の決定であることを「了解した」という意味で、決してこの決定に同意したわけではありません。
したがって、豊田長官に「何を言っても無駄」であるため、伊藤中将は「それならば何も言わない」という答えが返ってきたわけです。

この事例からもわかるように、我が国では何らかの命題を「絶対化」し、それを臨在感的に把握したもの、すなわち「これは全体の意見である」というものが「空気」の正体である…ということです。

この「絶対的権力を持つ妖怪」は戦前・戦後を問わず生き続け、日本人に良い意味でも悪い意味でも影響を与え続けています。そして「KY」や「空気を読め」という言葉が生まれました。

友達の選び方

友達は「量」より「質」です。自分が逆境に立たされたとき、たとえ意見が衝突しても自分のことを心配してくれる人間が本当の友人です。そういう人間と誼を結んでください。

昔の人の格言から読み取る「良い友人」の選び方のポイントをここに紹介します。

持つべき友人
●畏友と呼びうる友を持つことは、人生の至楽といってよいだろう。つまり、畏友とは、自分が
 「及び難し」と考えを抱いている親友のことだ。(森信三)
 
●友情の価値は、双方の独立性を傷つけずに付き合える点にあるのだ。(武者小路実篤)

●よき友三つあり、一つには物くるる友、二つには医師、三つには知恵ある友。(吉田兼好)

本当の友人かを試すとき
●友の信を見るには、死・急・難の三事もって知れ候。(高杉晋作)
 (友人が本当に自分のことを信用しているのかを知りたいときは、死(葬式)、急(緊急要請)、
  難(困難に出くわしたときに出る態度)を見ればわかるとのこと)

●不遇な時こそ一番友情の度合いがわかる。(前田利家)
 (加賀百万石の始祖、前田利家は若いころ信長が寵愛する茶坊主を斬り捨てて追放されたことが
  あります。その結果彼の友人は①今の姿を見て笑いに来るもの②恨みに思って謀反を起こす
  のではないかと疑うもの③本当に心配してくれるものの3つに分かれました)

●人の善し悪し知らんと思わば、その愛し用いられている臣下、親しみ交わる友達をもって知れ
 (沢庵和尚)
 (今付き合っている友人が本当に「良い友」なのか「悪い友」なのかを知りたい場合は、クラス
  メイトやその友人の友人と話をして知るのが効果的であるとのこと)

持つべきではない友
●多数の友を持つものは、一人の友も持たない。(アリストテレス)
 (多くの友人を持っている人は、肝胆相照らす「親友」を持っていないということ。また、
  友人が非常に多いので、軽んじられること間違いなし)

●敵を作らざる者は、決して友を作らず。(テニソン)
 (敵を作ることができない人は、友人を作り出すこともできない。すなわち当たり障りのない人は
  自分が逆境に陥ったときに力にならない)

●無知な友ほど危険なものはない。賢い敵のほうがずっとましだ。(ラ・フォンティーヌ)
 (無知な友人と付き合うと、自分自身のレベルが下がってゆく。賢く知恵のある人を友人に
  すべし)

●連帯保証人には簡単になってはいけない。(以下略) (加藤諦三)
 (「連帯保証人になってほしい」といってくる友人は容赦なく切り捨てること)

最後に

「友達」は社会生活を営む上で欠かすことのできないものです。しかし、必要以上に「友達」にこだわると、自分自身を滅ぼしかねません。

自分を滅ぼしてまで友人に力を注ぐ必要はありません。「自分の幸せ」は友人の幸せより優先順位は「上」です。友人のことより「自分の将来」と「自分自身の安全」を確保しましょう。それができてから初めて困った友人がいたら助けてあげましょう。

また、自分の尊厳を傷つけてまで身を守る必要はありません。卑屈にならずさっさとそこから逃げてください。(いじめに遭った証拠を持った状態ならなおよい)
そして、体勢を立て直したら反撃に転じます。その方法は下の参考文献・関連リンクにある「実践的いじめ対策まとめ」をクリックしてください。

「みんなと仲良く」とは考えないようにしてください。そんなことをしている暇があったら、自分の能力を高める勉強や趣味に全力を尽くしてください。後々それが必ず生きてきます。

参考文献・関連リンク

今回のまとめ作成のために参考にした文献とこれに関するリンクを貼ります。

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