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【ドリフターズ】歴史上の登場人物の一覧 その歴史的な活躍(ネタバレ有り)

ドリフターズに登場するキャラクターの中で、歴史上の人物の実際の活躍を紹介します。各人物の出身・素性・生きた時代・その人生などを紹介。4巻までのネタバレ有りです。

更新日: 2014年12月24日

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skydropさん

島津豊久

出身:日本
1570年~1600年

日本の戦国時代の武将
島津家の事実上当主の甥

豊久は、九州を制覇しかけるほどの強さを誇る薩摩(現・鹿児島)の大名家に生まれる。ただ、父親を病死(?)で失ったために、豊久は伯父の義弘を父親のように慕っていた。そのために、徳川家康ら東軍と石田三成ら西軍が争った天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、豊久も叔父について西軍として参戦。しかし島津は石田三成と仲違いを起こしたために、徳川とまともに戦わず、ようやく動いたのは西軍の敗北が決定的になった時の敵中突破による撤退だった。この撤退により、伯父の義弘は生き残り、敵の猛将・井伊直政も重傷を負った。だが、その時に豊久は捨て奸という戦法で戦死してしまう。
ただ、豊久の死体は発見されていない。また、その後の島津家は徳川の許しを得て大名家として残ったが、約270年後にはその徳川を滅ぼすまでになる。

織田信長

出身:日本
1534年~1582年

日本の戦国時代の大名
織田家の大将
超残虐

信長は尾張(愛知県)の小さな大名家で生まれる。だが子供のころから変なことばかりをして、将来は大丈夫かと周りに不安に思われ、そのためか教育係の平手政秀が自害したり、弟が反乱を起こしたりと、前途多難な人生であった。しかし当時の強敵である今川義元を少数で倒すことで一気に名を上げ、その後は木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)や明智光秀など有能な家臣も得て、さらに勢力を拡大して、日本全土を支配するのも時間の問題というところまで来た。だが比叡山延暦寺を焼き討ちにするなどしたために魔王と呼ばれ、どれほど勢力拡大しても同盟相手や家臣に何度も裏切られたりした。そして最後には、自分の家臣でも一番の実力者である明智光秀による裏切りで死亡してしまう。しかも嫡男(跡継ぎの長男)も死亡してしまい、その後の織田家は小大名としてなんとか生きるだけだった。
ただ、現代では戦国時代の三英傑の一人として知名度は抜群で、バラエティ番組で好きな偉人アンケートをすれば第一位になるほどの人気者。だが、気難しく無慈悲に人を処断する人物としても知られる。また信長の死体は発見されていないというミステリーも残っている。

那須与一

出身:日本
1169年?~1190年?

日本の平安時代の武将
源氏の武将
弓の名手

与一は神田城(現在の栃木県)にて生まれるが、実のところ学問的には存在が確認されておらず、詳しい生涯は分かっていない。ともかく日本が源氏と平家に別れて戦う治承・寿永の乱にて、与一は源氏側に参戦。源氏の棟梁である源頼朝の弟である源義経に付き従って、一気に平家を滅ぼした。ただその後の義経は頼朝によって自害に追い詰められるが、与一は普通に病死しており、それほど華々しい人生を送ったわけではない。
しかも現代に伝わる有名な逸話は、与一の弓の腕を賞賛して踊る敵将を、義経の命令で射ち殺した、というものである。

安倍晴明

出身:日本
921年~1005年

日本の平安時代の陰陽師
化け狐の子供

清明は父親も誰かはっきりしていないほど出自がはっきりしておらず、出世も遅かった。だが40歳の頃には天皇から占いを命ぜられるなどして、才能が認められており、雨乞い・天皇の病回復の禊も効果があったとされる。そのために清明の息子も陰陽寮に入り、安倍氏は陰陽師一族としての地位を確立し、その死後はその伝説がさらに増強されて、現代では魔術師のような扱いになっている。ただ清明は陰陽師の職を途中でやめて主計寮(税収を管理したりする所)に異動してしまう。

サンジェルマン

出身:スペイン?
1691年?~1784年

中世ヨーロッパの詐欺師・錬金術士

サンジェルマンは出自もはっきりしていないが、様々な知識、芸術性、話術に優れており、若いころからヨーロッパ各地を渡り歩き、老年期になってからはフランス社交界に現れていた。ただ、その語りは様々なホラが含まれており、その中には魔術のような話もあり、その死に際には宮殿火災の末の行方不明であるとも言われ、現代では魔術師扱いもされている。

ハンニバル

出身:カルタゴ(現代のチュニジア共和国(北アフリカ))
紀元前247年~紀元前183年

古代のカルタゴの将軍
天才的な戦術家

ハンニバルは父もカルタゴの将軍で、義理の兄で軍人の下で育つ。そして若くしてカルタゴ軍の司令官に就任して、当時の圧倒的な力を持っていた共和制ローマに対して何度も勝利する。特にカンネーの戦いの戦法は現在でも有名で、戦術家が見本としてよく学ぶ。だが、ハンニバルは共和制ローマの首都まで侵攻したところで、そこから足が止まってしまう。しかも共和制ローマに執政官スキピオが現れてからは形勢が逆転。最終的にカルタゴは共和制ローマに敗北。その後、ハンニバルは結局は周辺各国を亡命して周り、一時はシリアの参謀にも就任するが、冷遇されて再び共和制ローマに敗北。最後は自殺する。

スキピオ

出身:ローマ
紀元前236年~紀元前183年頃

古代共和制ローマの執政官、軍人
天才ハンニバルを破った男

スキピオはローマの軍人の息子で、若くして元老院に入り、また軍人としても活躍する。しかし当時はハンニバルがローマを攻め滅ぼしかねない勢いであり、兵士として敗戦も経験する。だが、また若くしてローマの執政官に選ばれると、すぐ目の前のハンニバルを無視してカルタゴ本国へ侵攻する奇策を成功させ、さらにハンニバルとの直接対決にも勝利。終戦後は、独裁官になることも提案されるほどのローマの英雄となったが、スキピオは独裁官を断った。しかしそんな英雄を良く思わない政治家らによって一時は追い詰められ、最終的には無罪になったものの、スキピオはローマを離れて静かに隠居。まもなく死亡。死因は不明。

ブッチ・キャシディ(左) ザ・サンダンス・キッド(右)

ブッチ
出身:アメリカ
1866年~1908年

西部の強盗団のボス


キッド
出身:アメリカ
1867年~1908年

ブッチの相棒

二人共、アメリカの一般的な家庭で生まれるが、若いころに強盗を働く悪党であった。そしてブッチが強盗団ワイルドバンチを結成し、まもなくキッドが加入し、数万ドルを盗むことに成功して悪名を高めた。しかし法執行官から逃走して南米へ向かっているうちに仲間が死亡していき、さらにボリビア騎兵との銃撃戦で二人も死亡した。ちなみに、このワイルドパンチは殺人はしないようにしていると主張していたが、それなりに人は殺していた。また、実は二人は生きていて、あらためてアメリカに戻ったという話もある。
現代では、この二人が結成したワイルドパンチを元にした「ワイルドバンチ」と「明日に向って撃て!」という1969年の映画で有名。

山口多聞

出身:日本
1892年~1942年

日本海軍の中将
人殺し多聞丸

中学時代から秀才と言われ、海軍兵学校を卒業、第一次世界大戦にも参加。そして順調に出世し、軽巡洋艦「五十鈴」、戦艦「伊勢」の艦長などを歴任する。しかし日中戦争での重慶爆撃では、無謀な戦い方で味方を多く殺したために「人殺し多聞丸」と言われた。その後、アメリカへの奇襲となる真珠湾攻撃にも参加するが、そのための訓練も無茶であり、また「人殺し多聞丸」と言われた。ただ、それでもその真珠湾攻撃を始めとして多くの戦果を上げて、ミッドウェー作戦に参加することとなった。しかし山口多聞の反対にも関わらず、準備期間の短いままに作戦は決行されることとなり、山口多聞ら日本海軍は圧倒的な敗北をすることになる。そして山口多聞は自分が艦長を務めていた空母「飛龍」から船員を退去させると、自分だけは残り、そのまま沈没した。

菅野直

出身:現在の北朝鮮(両親は日本人)
1921年~1945年

日本海軍の戦闘機パイロット
太平洋戦争の撃墜王
菅野デストロイヤー

文学を好んだり、兵学校ではおとなしくしていたりしていたが、元来はガキ大将で、訓練も乱暴にこなし、着陸禁止のところに着陸しようとして飛行機を駄目にしたりしていた。そうした破天荒な振る舞いから、周囲からは「菅野デストロイヤー」と呼ばれ、兵学校の卒業後は航空隊の分隊長に就任するも、相変わらず破天荒なエピソードを多く作っていく。しかしその実力は確かであり、また部下を思うエピソードも多くある。だが、ある日に空中戦を行っていたらば突如として行方不明となる。それが敵機に撃墜されたのか、自爆したのかは不明。

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