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命がけの化粧。中世ヨーロッパの貴族たちのメイク法がすごかった

化粧の歴史は長く、古代エジプト時代には目元を強調するアイメークがあったことなどが知られています。長い化粧の歴史の中でも、まさに「命がけ」で化粧を行なっていたのが中世のヨーロッパです。

更新日: 2015年02月19日

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くまもちさん

▼ 中世ヨーロッパの女性貴族たちは、命がけで化粧をしていた

化粧の歴史は長く、古代エジプト時代には目元を強調するアイメークがあったことなどが知られています。長い化粧の歴史の中でも、まさに「命がけ」で化粧を行なっていたのが中世のヨーロッパです。

18世紀、モードの中心はロココ趣味のフランス宮廷の王侯貴族でした。奇抜な髪型や独特の化粧法など豪華なよそおいが華ひらきます。

中世ヨーロッパではベラドンナの抽出液を点眼。要するに薬理作用によって瞳孔を開かせる化粧方が貴族女性の間で流行った。もちろん、入ってくる光りの量が調節できないので、失明と隣り合わせの化粧方だった。

大昔の化粧品、水銀や鉛など有害物質の塊なのにクレンジングどうしてたんだろ... 「水銀中毒で歯が黒ずんでボロボロになることから中世ヨーロッパでは口元を隠す扇子が流行した」副作用で新しい産業生み出されとる

▼ 中世ヨーロッパでは、化粧をすることは公に認められていなかった

キリスト教の影響で中世ヨーロッパでは公然と化粧をすることが出来ませんでしたが、特権階級の人々は化粧で自分自身を美しく見せることに夢中でした。

キリスト教では「男性が文明の担い手であるのに対して女性は自然に近い存在」と考えられていて、女性が化粧をしたりして美しく身を飾ることは罪とされてきた。

中世ヨーロッパではキリスト教の影響から化粧は公には認められなくなり、一部の特権階級のものとしてその文化を繋いだ。

化粧することは結果として男の目を惹いて「よからぬこと」を起こすもとになるという考えもあり、中世ヨーロッパでは街中の女性がすっぴんだったという

▼「雪のように真っ白な肌」が、女性にとって最大のステータス

今の時代も美しく白い肌は好まれますが、中世ヨーロッパではその思いが尋常ではなかったようです。

中世の北部ヨーロッパと英国では、14世紀まで化粧品で肌を塗ることは一般的ではありませんでしたが、騎士道精神が普及するにつれ、理想的貴婦人として「雪のように白い肌」が求められました。

【中世の美白は医学だ!】肌を白く見せるために、極端な場合は瀉血(血抜き)をして人為的に貧血になることで肌を白く見せようとした。

▼ 真っ白な肌は、無謀な方法で作り上げられていた

白い肌は人工的な演出で作り上げられていました。その行為の中には、命を奪うほどの恐ろしい方法も取られていました。

肌の白さは重要視され、引き立たせるために皮膚の上にうすく青色で1~2本の血管を書いたりもしました

ビールで顔を洗ったり、眉を剃って細くし額の髪の生え際を剃って髪を結い上げることで顔の白さを強調

肌は白ければ白いほど美しいとされており、白粉を多めにつけるようなメイク方法が流行しました

当時の白粉は白鉛などが含まれていたために皮膚にシミができやすかったとされる(鉛中毒)。これを誤魔化すために、付けボクロが一時期貴族の間で流行した

真っ白に白粉を塗った肌に黒いつけぼくろをつけて、肌の白さを一層強調するのが当時の“いけてるメーク”だったんです。形も丸や三日月、ハートと様々。つける位置によって上品さやセクシーさのアピール。上級テクでは“婚約中”なんてメッセージになったりしてました

白い肌を強調するファッションアイテムとして「付けボクロ」が流行した中世ヨーロッパ時代には「付けぼくろ師」なんて職業も存在した

中世ヨーロッパでは不健康こそ美人とされていて、 念入りなメイクは禁じられていたらしい。 肌の蒼白色は上品で美しいとされていたので、 そのために絶食したり、 貧血状態を保つために血液を抜いたりという努力をしていたそうです。 美の追求ハンパないぜ((( ゚д゚ ;)))

▼ 真っ白な化粧といえば、イギリスのエリザベス一世が有名

バージン・クイーンと呼ばれたイギリスの女王、エリザベス一世。肖像画でも真っ白な顔に飾り立てた衣装が印象的です。

イギリスのエリザベス一世が、戴冠式などの儀式のときに、はちみつを下地に塗り、その上におしろいを塗ったメイクで登場したことで、当時の女性たちの間で、そのメイク法を真似たものが流行しました。

顔のはちみつが溶けてしまうため、寒い日でも暖房に近づくことができなかったと言われています。

女王は厚く白粉を塗っていたので、その感情はくみ取れなかったと伝えられます。女王の化粧法は、宮廷の他の女性へと浸透しました。こうして念入りに顔をつくるさまは、一七世紀のはじめに「メイク・アップ(メイキャップ)」という英語のことばが生まれるきっかけとなりました。

▼ 肌だけでなく、髪へのこだわりも凄かった…

自分自身を美しく見せる手段としてもう一つ注目されていたのが、髪の毛を飾り立てることです。世界最初のモード雑誌が出版された1760年代末のフランス・おありでは、1200人の髪結い師が腕を競ったと言われています。

顔の1.5倍の高さだった盛り髪スタイルは徐々にエスカレートし、飾りも草木を着けた“庭ヘアー”や船の模型を載せた“船盛りヘアー”など、とにかく革新的なスタイル

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