チカチーロは結婚の翌年から、電気技師として働くかたわら、大学進学の夢を捨てられず、また社会的地位の向上を目指して再び勉強を始める。30歳でロストフ大学教養学部の通信教育課程へ入学し、ロシア文学を専攻。5年後に念願の大学卒業を果たした。教職資格を取得したチカチーロは卒業と同時に新しい職場を探し、ノヴォシャフチンスクにて小学校の教師の職を得たのである。だが、この頃、若い女性とのふれあいが、一生の仕事にならないだろうかという考えも抱いていた。

チカチーロは1971年から1981年まで、小学校や職業訓練学校の教師を務めていた。強度の近視であったにも拘らず、眼鏡をかけることを嫌ったチカチーロは、結局30歳の時に自動車免許を取得するまで眼鏡を購入しなかった。教師として最初に赴任した小学校の教室で、授業を行おうともするもまるで身動きが取れなかった。教壇に立っても、極度のあがり性によって子供たちを全く指導できず、担当していた上級生のクラスを学級崩壊に陥らせていたため、教師としては全く不適格であった。共産党員であったチカチーロは校長の厚意もあって副校長待遇として迎え入れられたが、能力不足を露呈したため程なく解任されている。

また、チカチーロはこの小学校や後の職場となる職業訓練学校にて、数度の猥褻事件を起こしている。上級生のクラスの担任を外されてからチカチーロは低学年のクラスのみを指導するようになるも、その後「チカチーロ先生は体を触る」という噂が立つようになり、実際に自分の女生徒の体に触れて猥褻な行為に及んでいた。通勤途中のバスや電車の中で、少女に猥褻な行為をしていたことを同僚に目撃されて校長に報告がなされていた。のちに校長から追及され、最終的には辞職させられている。その後GPTU第39職業訓練学校に転任するも、職員の削減という理由で1978年9月に退職、シャフトゥイ(Shakhty)の第33職業訓練学校の教師兼舎監として赴任することになった。ここでは、授業中に自分の性器をいじる癖を生徒たちから嘲笑され、「ガチョウ」という渾名を付けられ、夜尿症、異臭がするという理由で生徒たちに馬鹿にされた。

ここでの仕事以来、チカチーロは少女だけでなく、少年男児にも目を向けるようになる。ある夜、チカチーロは寮で眠っていた15歳の少年のもとに忍び込み、少年の下着を下ろしてフェラチオをしながら自分の性器もいじくり回し、少年に抵抗されると遁走した。このことを翌日に全校に知られたことで生徒たちからさらに愚弄され、同僚も陰でチカチーロを笑った。その後チカチーロは散歩中に生徒から襲われて怪我も負ったことがきっかけで、ジャックナイフを携帯するようになった。このナイフが、のちに引き起こす連続殺人で使用されることになる。

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アンドレイ・チカチーロの生い立ち【ロシアにて52人虐殺】

アンドレイ・ロマノヴィチ・チカチーロは、ウクライナ生まれの連続殺人者。ロストフの殺し屋、赤い切り裂き魔などの呼び名で知られる。1978年から1990年にかけて、おもにロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内で52人の女子供を殺害したとして殺人罪を言い渡された。

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