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カスパー・ハウザーの謎ってどんな謎なの

17世紀のドイツで16歳ほどの孤児が言葉もしゃべれない状態で発見された。彼の名はカスパール・ハウザー。彼は誰なのか、どこでどうやって育ったのか。ようやく彼が過去の真実を明らかにしようとしたとき、誰かに殺害されてしまう。カスパール・ハウザーの謎とは。。

更新日: 2014年09月15日

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kaizinさん

1828年5月26日にドイツの町に現れた少年

少年は一人でドイツのある町に現れた。

そのときの姿を描いたウンシュリットプラッツのカスパー像。手には手紙を持っている。

、ニュルンベルクのウンシュリットプラッツ(Unschlittplatz)で16歳程の少年が発見される。彼はものを訊ねられたがほとんどまともに言葉を話せず、警察に連れてゆかれた。少年はそこで紙と鉛筆を渡され「カスパー・ハウザー」という名前を書いた。

少年が携えていたニュルンベルク駐屯の第6軽騎兵隊の第4中隊の大尉フリードリヒ・フォン・ヴェッセニヒに宛てた間違いだらけの文の手紙には、同様にカスパーというファーストネームが出ていた。宛てられた本人には何ら心当たりがない手紙には、少年の誕生日を1812年4月30日と記しており、この少年の両親は既に死去していると説明し、手に余れば殺して欲しいと書かれていた。

カスパーは当初、肉や牛乳は口にしても吐いてしまい、パンと水だけを採ることができた。さらに本人は鏡の中の自身を捕らえようとするなど、通常の人間らしさを失っていたという。これによりフォイエルバッハは、カスパーがかなりの長期にわたり孤独な状態で地下の監獄に囚われていたのではないかと推測している。

カスパーの記述には、彼が人前に姿を見せるようになる以前、何年も地下牢を思わせる暗く小さな場に閉じ込められ、玩具の馬を与えられてそこで育っていたものと僅かなことしか記録されていない。

地下牢にいたときと較べ、情報量が多いため、しばしば頭痛を訴え地下牢に戻りたいと要求したこともあった。カスパーは貪欲に様々なことを学んだ。それでも、灰色の猫を見て『どうして顔を洗わないのか』『顔を洗えば白くなるのに』と言ったり、歩道に寝そべっている牛を見て『どうして家に帰って寝ないのか』といぶかったりした。

 木や花が生きてはえていると言う認識がカスパーにはなかった。現実に認識したのは、種を蒔き、発芽するのを見て、苗になり成長し花が咲くという実践をへて始めて知ったのです。

特異な能力を発揮するようになる

カスパーの特異な性質は次々と明らかになる。まず、コーヒーやビールといったものに対し、異常なまでの拒否反応を示した。それらが部屋に運び込まれただけでカスパーは気分が悪くなってしまうのである。ワインにいたってはその匂いだけで酔ってしまうほど敏感だったという。また鼻だけでなく、その目も明らかに普通の人間とは違っていた。彼は暗闇の中で完全に物を見ることができたのだ。彼は真っ暗な中で聖書を読むという実験を成功させ、見事その能力が本物であることを実証したという。
またその耳も恐ろしく敏感で、隣の部屋で囁く声を聞き分ける事ができた。

カスパーの元を次々と学者や著名人が訪れた。中でも彼に格別の興味を示したダウマー教授は、ほぼ毎日に渡って彼の元を訪れ、物心が付き始めたカスパーの人生最初の教師になっていたようである。また当時の市長もカスパーについては特別処置を取り、熱心に彼の成長を記録し続けたという。こうして周囲の善意か、あるいは好奇心に支えられ、カスパーがニュルンベルクに現れてから数ヶ月が過ぎた頃、彼はまるで別人のように成長していた。カスパーの知能はその年齢の通常の人並みに達し、言葉を流暢に喋るようになっていたのである。それはまるで、新しい言葉を次々に「覚える」というよりは遠い昔に知っていた言葉を「思いして」いるような凄まじい吸収ぶりだったという。

ニュルンベルクの乗馬隊長であるルンプラー氏の好意で、やがてその望みがかなえられた。彼がカスパーを弟子にしてくれたのである。カスパーは、彼やほかの弟子たちに教師が指示することは、何でも、きわめて気をくばってよく守るので、最初の数時間でもう乗馬術の主要なルールとその基本をのみこんだばかりでなく、最初の試乗のあとですぐ物にしてしまった。
 数日後には、もう数カ月も教習を受けてきている老若の弟子たちが、彼を師とあおがなければならないほど上達したのである。その乗馬姿勢、勇気、正しい馬の扱いかたは、すべての人を驚嘆させたもので、彼は、自分と隊長のほかは誰もあえてやろうとしないようなこともできる自信をもった。

突如の襲撃事件で謎の死

カスパーハウザーが人間として様々な学習をしているさなか、自叙伝を執筆するという誤報が新聞に流れたため、軟禁者が彼を2度にわたって襲ったとみられ、2度目の暗殺で命を落とします。

暗殺者によって襲われたカスパー。

第一の謎 暗殺した犯人は誰なのか

1833年12月14日に、左胸をナイフで刺され、4日後の12月17日に死亡。死の直前には、街で発見される以前の過去の記憶を語るようになっていた。彼の記憶の回復を恐れる人物によって、カスパーは殺害されたのか。

法医学者のアルベルトとコッペンの証言によれば、彼は1833年12月17日に正体不明の男による襲撃によってその際の刺傷が原因で死亡したとされている。アンスバッハの法医学者クリスティアン・ヴィルヘルム・アルベルトは、その同僚、クリストフ・コッペンと共に法医学解剖を担当した。加えて、医師のヨハン・カール・フォン・ホーアラッヒャーとフリードリヒ・ヴィルヘルム・ハイデンライヒが、専門的なオブザーバーとして招かれていた。

すでにカスパー・ハウザーは多くの人々に存在が知られるようになっていたが、さらに世間的注目を集めるために、自分で襲われたという話をしたのではないかという説もある。この他、彼への注目への嫉妬、個人的な人間関係の問題などさまざまな可能性がある。

だが、ハウザーの出自が明らかになるのを恐れての犯行ではないかと考えられている。

その後フォイエルバッハ氏も亡くなりますが、公式上では病死といえど、実際は毒物による中毒死、つまり誰かの手によって暗殺されたというわけ。
なんだか怖いですね。。。

第二の謎 カスパー・ハウザーは誰の子供なのか

街に現れるまではカスパーの証言では、どこかに幽閉されて食事は与えられたが、人形相手の生活をしていた。何か事情があって、彼は世間から断絶させられていたらしい。

彼は注目されることに喜びを覚えて、作り話をしているのではないかという見方もあるが、実は、高貴な生まれで隠されて育ったのではないか、という説が注目されてきた。

一つはバーデン大公国の王に当たるバーデン大公の地位にあったカール・ルートヴィヒ・フリードリヒの隠し子説。もう一つはそのバーデン大公の妻のステファニー・ド・ボアルネが不倫で生んだ隠し子だという説。

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