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【閲覧注意】「シリアルキラー」世界を震撼させた連続殺人鬼

世界の恐るべき連続殺人鬼たち。不幸な生い立ちや犯罪の動機など様々ですが、常人には計り知れない狂気が存在しています。

更新日: 2018年03月18日

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saizoneさん

シリアルキラーとは?

FBIの調査報告書によると、アメリカでは毎年約200人が、シリアルキラー(連続殺人鬼)に命を奪われる。

シリアルキラー事件の場合には犯人の主眼があくまでも殺害行為に置かれており、テロリズムや犯罪組織に所属しているなどの理由で継続して殺人を犯す場合とは明確に分けて考えられる。

シリアルキラーに共通する14の特徴

アメリカで高い人気を誇る心理学医のドクター・フィルは、自身の公式サイトで、「連続殺人鬼(シリアルキラー)には14つ特徴がある」とあげている。

「シリアルキラーの90%以上は男性」
「IQが高い者が多い」
「学校の成績は悪く、仕事も長続きせず、スキルのいらない労働に就くことが多い」
「不安定な家庭に育った者が多い」
「幼児期に父親に捨てられ、支配的な母親に育てられた者が多い」
「身内に、犯罪者、精神異常者、アルコール依存症がいる者が多い」
「父親と母親を激しく憎んでいる者が多い」
「幼児期、近親者から、心身、そして性的に虐待を受けていた者が多い」
「幼い頃から精神的な問題を抱えていた者が多い」
「自殺願望が強く、未遂をした者も多い」
「幼い頃から、のぞき見やフェチ、SMやポルノに興味を持つ者が多い」
「シリアルキラーの60%以上が12歳以降もおねしょをしていた」
「放火に魅了されている者が多い」
「小動物を虐待するなどサディステックな行為をした経験を持つ者が多い」

「ピエロになれば、人殺しなんて簡単なことさ」ー”殺人ピエロ”ジョン・ウェイン・ゲイシー

■生い立ち

ジョン・ウェイン・ゲイシーは1942年3月17日、イリノイ州シカゴに生まれた。
高圧的な父、ジョン・スタンリー・ゲイシーは息子を決して愛する事はなかった。ゲイシー・シニアはジョンの姉と妹を可愛がったが、病弱なジョンは虐待し続けた。

スタンリーは身体の弱い息子をことあるごとに「クズ」「間抜け」「オカマ」「お前はホモになるのさ」となどと常に責め立て、肉体と精神の両面で痛めつけた。

このためにジョンはパニック障害や心臓発作を頻繁に起こすが、彼は罵倒されるのが嫌でストレスや体の不調を我慢して必ず失神し、そのたびにスタンリーは息子を激しく罵った。

ジョンが18歳の時、当時の女友達と性交に及ぼうとするも意識を失う。それを知ったスタンリーは、「お前の中のオカマが登場した」と言った。最終的には家を追い出されたが、それでもジョンは自身を罵倒し続けた父親を心から愛しており、いつか父親に認めてもらおうと一生懸命に働き続けた。

■成功、名士への道

ジョンはハイスクール卒業後、一時家を出てラスベガスで働き、その後実家に戻りノースウェスタン・ビジネス短期大学に入学、無事卒業する。
卒業後はナン・ブッシュ・シューカンパニーに入社、マネージャー見習いとして働き始めた。

またゲイシーは青年会議所(United States Junior Chamber)の有力会員でもあり、会議所の貯蓄販売券の販売でも優秀な成績を残し、その2年後には州全体で3番目の活動実績を挙げたとして第一部長に就任している。

1964年9月にマリリン・マイヤーズと結婚する。彼女の父親は地元ではかなり成功した実業家で、ゲイシーはケンタッキー・フライドチキンのフランチャイズ店の経営を任せられた。

1男1女にも恵まれ、あんなに否定的だった父も彼のことを認め始めた。なにもかもが順風満帆かに思われた。

■ところが、そんなある日のこと

彼は少年に性行為を強要したかどで逮捕されてしまう。

のちの市長候補とまで言われたジョンは1968年同性愛関係にあった15歳の少年ドナルド・ヴァリューズに少年への性的虐待の罪で訴えられ禁錮10年の刑を宣告された。

ジョンを尊敬していた同僚達や地元の人間達は驚いたが、彼はこれまでも同性愛嗜好があるのを隠そうとしてはいなかった。

マネージャー見習い時代に酔った勢いで同僚と男色関係を結び、以来そっちの世界にのめり込んでいたのだ。
ケンタッキー・フライドチキンの店長になってからは、アルバイトの少年達にも常習的に手を出すようになっていた。

1968年に少年への性的虐待の罪で服役することになる。その間にマリリンが離婚を提訴し、受理されたことで結婚生活は終わりを迎える。

■殺人

ゲイシーはパーティーで知り合った少年をあさるようになる。その翌年の1月のある夜、自分の「拾った」青年とベッドをともにする。早朝に目を覚ますと、その青年がナイフを持って立っているのを見てパニックを起こし、格闘の末刺し殺してしまった。

青年はゲイシーのためにサンドイッチを調理しており、彼はナイフを持ったままゲイシーを起こそうとしたのだった。これに大きく混乱したゲイシーは死体を床下に隠した。これ以降、殺人が習慣となっていく。

これが殺人ピエロ、ジョン・ゲイシーの出発点であった。

1970年、出所したゲイシーはデ・プレインでリフォーム業を始めた。かつてのセールスマンとしての腕前は健在で、会社は順調に売り上げを伸ばして行った。

さらに高校時代からの知人キャロルと結婚したちまち地域の名士的存在になりおおせた。

休みには道化師「ポゴ」に扮し、福祉施設を訪れるなどして子供たちの人気者となる。

しかしそうした表の顔とは裏腹にジョンは少年を殺害し続けていた。

1975年に妻キャロルとの離婚が成立するとジョンの殺害ペースは一気に倍増した。

たちまち床下は少年の死体で埋め尽くされ、捨て場に困ったジョンはなんと川へ死体を流し始めた。

■家宅捜索・逮捕

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