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さすが妖怪!水木しげるさん享年93歳の人生がいろいろ凄すぎた

水木しげる先生、享年93歳、の人生をまとめさせてもらいました。

更新日: 2016年01月31日

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この記事は私がまとめました

raharahaさん

漫画家、妖怪研究家の、水木しげるさん(享年93歳)

本名:武良 茂
生年月日:1922年3月8日

♢91歳で新連載開始!

マンガ誌「ビッグコミック」(小学館)2014年1号で新連載「わたしの日々」をスタートすることが10日、分かった。

♢妖怪なみの食欲

水木氏の食欲については、「これが91歳で新連載を開始するパワーの源か」と驚嘆の声があがると同時に、敬意を込めて「妖怪並みだ」といった声が相次いでいる

「胃が丈夫だった」と称し、幼少時から大食漢であり、「ズイダ」というあだ名(「何でも食べる浅ましい者」という意味)がある。

先ほど近所の「すた丼」の前を通りかかった水木しげる。「卵がついてこの値段か!安い!」と、一つお持ち帰り。会社に着くなり食べ始め、社内にはニンニクの香りがぷ~ん…。3口ほど食べて「79点!」と一言。高得点が出ました!(狸) pic.twitter.com/HSncSuLFRN

水木先生の満点は、80点なので、かなりの高得点!!

♢戦争経験者

1943年、21歳だった水木さんは激戦地となっていたニューブリテン島ラバウルへ出征、現地で空襲に遭い、左腕を失いました。

軍医によって麻酔のない状態で左腕切断手術を受けた。片腕を失ったことに対して水木先生は、「私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきた。もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう」と語っている

水木は短剣とふんどし一丁でジャングルを数日間逃げ惑い、落ち武者狩りをやりすごしつつ、奇跡的に生還した

九死に一生を得て部隊に戻ると仲間達は喜んでくれたが、国から与えられた武器を捨てて逃げた事を上官にとがめられ、「なぜ死ななかったのか」と詰問された。

この経験から虚無主義的な考えをするようになったそう

♢戦時中はマラリアも発症

「私はまた、しょっちゅうマラリアになっているから、だから頭はやっぱり良くないんじゃないかな。」

42度の熱で頭がおかしくなったと語っている

♢アパート水木荘の経営者

郷里の途中でたまたま一泊した神戸の安宿の女主人が「この家を買わないか」と持ちかけてきた。

出典完全版 水木しげる伝(下)

水木通りにあったので水木荘と名付けた。ペンネーム水木しげるの由来となった。

♢紙芝居作家から貸本作家を経て漫画家へ

水木しげる氏等は紙芝居の画劇作家から漫画家になったその典型です。

♢ゲゲゲの女房とは超スピード婚

見合いから結婚式までわずか5日というスピード婚

♢代表作は

代表作としては『ゲゲゲの鬼太郎』、『悪魔くん』、『河童の三平』等がある。

他にも、『墓場の鬼太郎』『のんのんばあとオレ』『総員玉砕せよ』など

♢妖怪研究家

「子泣き爺」「砂かけ婆」「ぬりかべ」「一反木綿」など文字の記録のみで古典の画が存在しないものは、水木によって初めて絵として描かれていった。

♢睡眠が超重要

いやぁ、健康法はね、睡眠なんですよ。9時間から10時間ですから。ぼやぼやしていると12時間寝るわけです。

『睡眠のチカラ』の中で、忙し過ぎて徹夜続きだった手塚治虫先生と石ノ森章太郎先生に対し、「だから二人は早死にしちゃったんだな」と呟いてマンガは終わる

♢屁が自由自在

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