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困難を乗り越えた遅咲きスケーター鈴木明子の軌跡

摂食障害を乗り越えてソチ五輪への出場を決めた鈴木明子選手の歴史。

更新日: 2014年02月22日

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この記事は私がまとめました

生年月日:1985年3月28日(28歳)
出生地:愛知県豊橋市
身長:161 cm
体重:48 kg
コーチ:長久保裕

6歳でスケートを始めノービス時代から頭角を現す

1997年の第1回全日本ノービス選手権Aクラスで3位に入った。2000-2001シーズンでは全日本Jr.選手権で2位、全日本選手権で4位。2001-2002シーズンはジュニア特別強化選手に指定され、JGPSBC杯で優勝、JGPファイナルでは3位となった。

ジュニア時代から注目選手だった。

高校1年のときには全日本選手権で4位、翌年にも全日本選手権で4位となり四大陸選手権に出場し8位に入賞する。

長久保裕の師事を仰ぐため東北福祉大学へ進学

地元の高校を卒業して初めて親元を離れて仙台市にある東北福祉大に進学。現在もコーチを務めてくれている長久保裕コーチの家に下宿することになりました。

自己管理への意識が強くなりすぎて摂食障害に

身長160センチで体重が48キロだった私は、少しだけ体重を落とそうと思いました。いま振り返れば、食事を制限する中で自己管理への意識が強くなりすぎてしまいました。

160cm48kgだった体重が32kgまで落ちてしまった。

「先生のところに行ったのだから、ちゃんとやらなくちゃ」。自分にプレッシャーをかけ続けたのです。

食べることが怖くなり、体重は入学から1カ月で10キロも激減。 長久保先生も心配して、私を食事に連れていってくれたり、料理を作ってくれたりしました。

母の理解と料理で徐々に回復

母親のケイ子さんは、最初は「食べなさい」と厳しく言っていましたが、だんだんと明子さんの状態を受け入れ
「食べなさい」から
「食べられるものはある?」に変わっていったそうです。

食べるという当たり前のことができない自分を責めていた私は「母がこんな自分を受け入れてくれた」と胸が熱くなりました。少しずつですが、快方に向かったのはこのことが転機でした。

食欲が少しずつ戻り、母が作ってくれた料理を食べる私を見て、母が泣いていた光景は今も鮮明に覚えています。

体重が38キロまで戻ったその年の秋、仙台へ戻り練習を再開

練習拠点だったアイスリンク仙台

長久保先生から40キロに戻るまではリンクに立たせてもらえず、外を歩いたりして体力を回復させました。

2003-2004シーズンにはスケートカナダにエントリーしていたが、出場を辞退している

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