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陸軍中野学校を知る

日本にもスパイ映画の世界があった??日本のスパイ育成機関、陸軍中野学校についてまとめてみました!

更新日: 2013年12月17日

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tatsuki0509さん

まるでスパイ映画!実際に映画にもなった陸軍中野学校

昭和十三年十月、陸軍少尉・三好次郎は、連隊に奇妙な訪問を受けた。草薙中佐と称する恰幅の良いその男は、いきなり次郎に次々と質問を浴びせた。一週間後、次郎は陸軍省へ出頭せよという秘密の命令を受けた。その夜次郎は、いったんわが家に帰った。家では次郎の母菊乃と、許婚者の布引雪子が、明日からの行先不明の次郎の出張に不安を覚えていた。
 翌朝、次郎を含めて十八人の陸軍少尉が東京・九段の靖国神社にに集められた。彼らは近くのバラックに連れて行かれたが、そこには草薙中佐が待っていた。
 “諸君を向う一ケ年スパイとして教育する、したがって今後は軍服を背広に変え、言葉も軍隊の用語は禁止する”この草薙中佐の言葉に、一同は戸惑った。しかしスパイの任務の重大さを語る草薙中佐の熱意に、次郎は何となく好感をもった。この時から次郎は変名させられると共に、彼の軍服も二度と陽の目を見なかった。東京帝大を卒業後、幹部候補生として陸軍予備士官学校を出た次郎の経歴と、ここに集められた若者達のそれとは、いずれも大同小異だった。
 翌日から、早速厳しい訓練が開始された。柔道、剣道は言うに及ばず、自動車、飛行機、運転、操縦、射撃、無電などの軍事教練から、政治、経済、外交問題では、大学教授の教えを受けた。やがて学校は九段から中野電信隊跡に移住し、スパイ専門の教育が開始されるようになった。手品師、金庫破りの名人、警官と、教官も多彩をきわめた。そんな一日、生徒の一人が自殺した。スパイ教育に落伍したのだ。しかし、他の仲間にも多少なりとも将来への不安はあった。動揺した生徒の気持ちを知った草薙中佐は“スパイは殺人者や犯罪者ではない、スパイの根本精神は誠だ”と説いた。
 その頃、次郎の留守宅では、全く音信の途絶えた次郎の身を案じて、雪子が連隊区司令部や陸軍省を訪れていたが、一向に要領を得なかった。何かの消息がえられるならばと、雪子はこれまで勤めていた外国商社のベントリイ商会を退社して、参謀本部のタイピストになった。
 中野学校の授業はさらに進んでいた。変装、エチケット、ダンス、さらには女の肉体を喜ばせる方法まで次郎たちは教えられた。その実地訓練で、生徒の一人がバーの女と本当の恋におちいり、仲間の軍刀を盗み出して金をつくろうとした。これが憲兵隊に知られるところとなったため、仲間は中野学校の名誉のために死を選ばせた、これが二人目の犠牲者となった。
 中野学校の教育もやがて終りに近づいた。次郎と杉本と久保田は、卒業試験として英国外交電報の暗号コードブックを盗め、と命令された。参謀本部では、この英国の暗号が解読できず、苦慮したあげく非常手段に訴えたものだった。次郎たちは横浜の英国領事館に狙いをつけた。
 次郎は洋服屋に化け、領事館の暗号係ダビッドソンに接近した。中野学校で教えられた技術がさまざまに活用され、見事コードブックを金庫から出して、写真撮影に成功した。
 参謀本部では早速暗号の解読にかかった。しかし、コードブックは使いものにならなかった。コードブックを盗まれたのに、英国側では気がついていたのだ。次郎には秘密が漏れたのは参謀本部としか考えられなかった。参謀本部を訪れた次郎はそこでタイピストとして働く雪子の姿を発見して愕然とした。次郎は雪子の姿を発見、尾行した。かっての上司だったラルフと連絡をとっていた。ラルフが英国側の諜報機関員であると次郎は直感した。雪子がラルフから受け取った紙片を次郎は奪い去った。雪子はそれが次郎とは思いも寄らなかった。最愛の次郎を奪った日本軍隊に雪子は復讐しようと決意し、ラルフの甘言に乗り、英国側スパイ機関の手先となっていたのだ。
 次郎の奪った紙片は、雪子がスパイであることを物語っていた。しかも重大な秘密を雪子に不用意に語ったのは参謀本部の前田大尉であることもはっきりした。憲兵隊は直ちに行動を開始し、ラルフ邸宅を襲った。次郎は雪子だけは憲兵隊に渡したくなかった。次郎は雪子のアパートを訪れ、ホテルに誘った。突然の再会に雪子は狂喜し、自らベットの上に身を投げ出すのだった。次郎の差し出すワイングラスの酒を飲み干した瞬間、静かな死が彼女を待っていた。雪子の死を自殺に偽装した次郎の胸に複雑な感情がよぎるのだった。
 数日後、陸軍中野学校を巣立った十六人の秘密戦士は、それぞれの任地へ向って、晴れがましく、そしてひそやかに旅立って行くのだった。(公開当時のプレスシートより)

忍者に指導を受けていた!

30年もフィリピンに隠り続けた小野田寛郎も出身者

実際にここで教育を受けたから30年もこもれたのかも知れませんね

映画 陸軍中野学校

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